教育基本法とその精神
―つよまる改悪の動きのなかで考える―


憲法改悪の動きと軌を一にして

 「まあ、五年ぐらいで憲法改正をやろうと。そういうペースでものを進めたいと私は思っている」「もう一つはその前に教育基本法の改正をやろう。これはこの次の参議院院選挙が終わったらすぐ成立させるようにしないと」――これは産経新聞紙上での中首根康弘元首相の言葉です(「八月に語る」八月十七日付)。こうした発言に合わせるように、いま憲法改悪の動きと軌を一にして教育基本法改悪の動きが急浮上しています。

 森首相は、七月二十八日、衆議院本合議での所信表明演説で、「制定して半世紀となる教育基本法についても、抜本的に見直す必要があると考えております」とのべました。国会の演壇から教育基本法見直しに言及したのは歴代総理のなかではじめてのことです。

森首相の発言が後押し

 森首相の発言と口裏を合わせるように、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」(江崎玲於奈・座長)は七月二十六日に公表された第一分科会の審議の報告で「教育基本法の改正が必要だという意見が大勢をしめたと考えている」「教育基本法に関しては、第一分科会のみならず、今後全体においても議論していくことが必要である」と、教育基本法見直しの方向を明らかにしました。

 九月ニ十二日提出予定の、教育改革国民会議の「中問報告」でも「教育基本法の改正方針をもりこむことで一致した」「これは改正に意欲をみせる森首相の積極的発言による後押しが大きかった」と報道されています(別項参照)。

●政府が見直しをリードする教育改革国民会議

 教育改革国民会議は故小渕首相の私的諮問機関として三月二十七日に発足しましたが、第一回会合で、小渕首相は「教育立国をめざし、社会のあり方まで含めた抜本改革について論議していただく」とのべ、教育基本法の見直しには直接言及しませんでした。
 ところが小渕首相の死去にともなって首相の座を引き継いだ森首相は、初めて参加した四月十一日の教育改革国民会議での挨拶のなかで、「教育基本法の見直しをふくめて論議するときがきている」と教育基本法の見直しに言及、また五月十一日の会議では「教育基本法の抜本見直し」を直接要請しました。そして八月二十八日の全体会議で、「なぜ変えてはいけないのかが議論されていない」と反対意見を牽制するとともに教育基本法の論議をうながしたのです。このことが「教育基本法の改正で一致」につながったと報道されています。
 町村信孝教育改革担当首相補佐官の役割も重大です。オブザーバーとして参加していながら三月二十七日の第一回会合で「日本人の軸を再構築するための議論を行い、その中で教育基本法の改正についても触れていきたい」とのべ、五月二十五日の第一分科会の第一回会合でも「教育基本法の問題について是非審議していただきたい。今の教育基本法は、九割方学校教育基本法であり、家庭教育や地域社会教育にはほとんど触れられていない」「今回ショック療法で是正していけるのか論議していただきたい」と教育基本法の見直しの議論をおこなうよう強い調子で要請しています。
 法律で制定された審議会ではなく私的諮問機関に教育基本法の見直しを要請すること自体不見識です。しかも、政府に都合のいいような人物を委員に据えた私的諮問機関になんども出席してその審議をリードし、政府に都合のいい見解を引き出させ、それを「公の審議会の答申であるかのように装い」、錦の御旗として国民におしつけるなど到底許されるものではありません。

 いまなぜ、教育基本法の見直しなのでしようか。森首相は総選挙直前の四月の教育勅語の礼讃の発言につづいて「日本は天皇を中心とする神の国」発言をおこない、国民的批判をあびました。教育基本法見直しはこうした一連のものとみる必要があります。

 それは、天皇のために命をささげることを最高の道徳にした「教育勅語」のように、憲法改悪の露払いとして、学校教育で「国家」「愛国心」「天皇」などを強調し、「国家のために尽くす」「私を殺して公に奉仕する」人づくりをおこなおうとしているのではないでしょうか。

日本人の頭と手によってつくられた教育基本法

 それでは、教育基本法とはなにか。なぜ教育の憲法といわれるのか。教育基本法について見ていきたいと思います。まず成立過程です。

 「今の教育基本法は昭和二二年、アメリカの占領下でできたものです。マッカーサーが第一次教育使節団を日本に派遣して日本の学者といろいろ話をして答申をだした。日本の学者の意見も多少入っているけど、基本的には、アメリカによって作られた基本法であるのです」――これも中曽根氏の言葉です(二〇〇〇年七月『二一世紀日本の国家戦略』)。占領下にアメリカによってつくられたものであるから変える必要があるのだ、という論理です。

 この点では財界代表の亀井正夫氏(住友電気工業相談役)も同じです。

 「教育基本法は、米軍占領時代に作成されたものです。個人の尊厳を重んじ、真埋と平和を希求する人間を育成すると言うものだが、これはどこの国にでも通用する内答に過ぎない、日本国民としてどうあるべきかを示すのが、教育基本法の本来の姿です。ところが、米国が倫理、道徳、歴史教育を抹殺して、現在の形になってしまった」(九九年三月二十九日「東京」)

 アメリカの手によってつくられたものといわんばがりです。

“自由な討議で、自主的につくった”

 はたしてそうでしようか。教育基本法は、一九四六年八月、内閣総理大臣所轄のもとに設置された教育刷新委員会(後に審議会)で審議され、当時の田中耕太郎文部大臣や田中二郎参事らの手によって作成されました。そして、一九四七年三月十七日の衆議院本会議で、また三月二十七日の貴族院本会議で可決成立し三月三十一日に公布・施行されたものです。

 教育刷新委員会の副委員長であり後の委員長となった、南原繁氏(東京帝国大学総長)はこう述懐しています。

 「わが国の戦後の教育改革は、教育刷新委員会を中心として、これら政府当局者の責任において行われたわけである」「その際、アメリカ教育使節団の報告書が重要な指標であったことは事実であるが、私のしるかぎり、その間、一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった」「少なくとも教育刷新委員会に関する限り、すべては、われわれの自由の討議によって決定した」(朝日新聞社編、『明日をどう生きる』一九五五年)

 教育基本法は、主に教育刷新委員会第一特別委員会で検討され、原案の骨組みがつくられました。この第一委員会の委員には、芦田均(衆議院議員)、天野貞祐(一高校長)、森戸辰男(衆議院議員)、島田孝一(早稲田大学総長)、関口鯉吉(東京帝国大学教授)、羽渓了諦(元龍谷大学長)、務台理作(東京文理科大学学長)、河井道(東京恵泉女専門学校校長)など八氏が指名され、学校における教育勅語の奉読禁止、新勅語の奉請中止を決めて教育基本法の審議にはいりました。

 当時文部省の学校教育局長として教育刷新委員会に出席した日高第四郎氏も「教育基本法は日本人がつくった」と題した論文のなかで、「教育基本法を、多くの人は、アメリカ人におしつけられたものであると、考えているように思われます。しかし、わたくしは当時現場にいたものとしてこれが誤解であることを、みなさんに知っていただきたい」として、委員のまったく自由な討議のうえに、干渉をうけずにつくられたと強調しています。また実際に、この教育基本法の法案づくりをした田中二郎氏も、内容や書き方もふくめて、「教育基本法は日本で自主的に作ったといってよいでしょう」と証言しています(別項参照)。

●教育基本法作成関係者の証言

◇「(教育刷新委員会第一特別委員会の)それらのかたがたが、ひじょうに苦心をして教育基本法の原案をつくられ、さらに教育刷新委員会で充分検計して、それをしあげたのであります」「この教育刷新委員会そのものには明自に自主牲が認のられていて、アメリカのオブザーバーも、その代埋として日本人のオブザーバーもはいっていず、委員は全く自由に討議したのであります」「一般に法律案の形式にして国会に出す前にはすべて総司令部の検閲と承認を受けとらなければならず、その際、往々干渉があったことは事実であリます。しかし教育基本法のばあいには、実際上の干渉はなかったのであります」「それですから、もしあのなかにほんとうに、日本人の魂がはいっていないとすれば、それは日本人の気概が足りなかった責任であり、もしあれが、良くできているならばそれは日本人の貢献であります」(日高第西郎「日本の教育あゆみ・ねらい・よりどころ」『民主教育の回顧と展開』一九六六年)
◇「あの前文にしろ、そこにもるべき内容にしろ、内容の書き方にしろ、田中先生(田中耕太郎文相――引用者注)を中心に文部省内で検討し、その技術的な準備の仕事は調査局の審議課でやり、それを田中先生と連絡して、内部的に固めたもので、教育基本法は日本で自主的に作ったといってよいでしょう」(田中二郎「教育基本法の成立事情」、一九七四年『日本教育法学会年報』第三号所収)

 アメリカの手によってつくられたのではなく日本人自身の頭の中で考えられ日本人の手によってつくられたことは明瞭です。

 一九九五年に教育刷新委員会(審議会)の議事録が岩波書店から出版されますが、その冒頭の「諸言」で国立教育研究所所長の菱村幸彦氏は次のように述べています。

 「この委員会(審議会)は先行するそれらの諸機関のいずれにも認められない画期的な性格を有していた。まず設置者である内閣からはもとよリ、占領軍当局からも基本的に拘束されることなく、自由な審議が原則的に保障されていたことである。教育刷新委員会(審議会)が自主的に審議事項を選択して検討を進め、その結果を随時内閣に建議することとされた」

 自主性において、先の教育改革国民会議における政府の介入的干渉からみれば雲泥の違いです。

教育の憲法としての教育基本法=準憲法的性格

 それでは教育基本法の基本的な内答と特徴をみてみましょう。

 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである」「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」――教育基本法の前文の第一段と第三段の部分です。

 この教育基本法は、教育の理念を宣言する意味で教育宣言、あるいは教育憲章であるとともに、教育にかんする根本法ともいえるものです。それゆえに普通の法律には付けられていない前文が設けられています。前文がつけられているのはこの教育基本法と日本学術会議法だけです。

 教育基本法の法的性格は教育刷新委員会で次のように確認されています。まず第一に、教育にかんし、憲法にうたってよいような事項をうたうこと、第二には、憲法にうたわれている教育原則を一段と具体化すること、第三は、他の教育法令に規定せらるべき事項について根本原則をしめすこと、第四に、教育基本法と他の教育法令と総合一体化させて、教育法令の体系をつくり、教育基本法は教育法規をまとめ、しめくくる法律であること、です。

 このように教育基本法は、憲法との関連において教育法とのつながりをつくるという考えに立っており、憲法の付属法=教育の憲法といわれる所以です。すべての教育問題を網羅するのではなく、日本国憲法の理想を実現するのに必要な教育理念を摘出し、前文と十一の条文からなる簡潔な法文にまとめられています。

人格の完成、平和な国家社会の形成者として

教育勅語、天皇制教育を根本から否定

 教育基本法の成立はあの第2次世界大戦における日本の敗戦を契機としています。

 日中戦争、太平洋戦争など、日本がおこした侵略戦争によって二千数百万人のアジア人と、三百万人の日本人が犠牲となりました。

 その侵略戦争に国民をかりたてたのが教育勅語を頂点とした天皇制教育でした。主権は天皇にあり、教育勅語に「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ」とあるように、いざとなれば天皇のために命をささげるという「臣民」(天皇の家来)づくりの教育でした。

 一九四一年の国民学校令では「国民学校ハ皇国ノ道二則テ初等普通教育ヲ施シ、国民ノ基礎的練成ヲ為スヲ以テ目的トス」とし、同施行規則の第一条では「教育二関スル勅語ノ趣旨ヲ奉戴シテ教育ノ全般二亘リ皇国ノ道ヲ修練セシメ特二国体二対スル信念ヲ深カラシムベシ」とするなど、「皇民の練成」の教育だったのです。

 そうした教育勅語を頂点とする天皇制の教学体制を「根本的に刷新」したのが教育基本法でした。

憲法の根本原則を教育目的にとりいれ

 新憲法では国民が主権者であることを明記し、同時に平和と民主主義を根本原則としました。その根本原則を教育基本法の教育目的として積極的にとりいれたのです。

 「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」(教育基本法前文)、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(第一条 教育の目的)としました。

 ここに戦後教育の核心があるといえるのではないでしょうか。戦前の教育の目的が、天皇の「臣民の育成」にあったのにたいし、戦後のそれは、「人格の完成」とともに、「真理と平和を希求する人間の育成」「平和的国家および社会の形成者の育成」にあるからです。なかでも「真理と平和を希求する人間の育成」とは、真理と平和を傍観したり、無視したりする人間ではなく、真理と平和を希求=ねがいもとめる人間の育成のことです。教育基本法には、こうした人間が育成されてこそ、平和と民主主義を基調とする憲法の理想を実現できるという確信がもりこまれているといえます。

 高橋文部大臣はこの点について、「教育基本法においては、人格の完成をもって教育の目的と定めておるのである。わが国において最も欠けておることは、個人の覚醒がなかったというにあったと考える。この点が国を誤らしめたところのものでなかったかと考えておる。これから先、文化的な平和国家を建設するがためには、どうしてもこの個人の尊厳を認め、個人の価値を認めていかなければならぬというのが私どものもっておる確信である」と答弁しています。

 そして「人格の完成」「社会の形成者」などについて、つぎのように説明しています。

 「教育基本法においては、まず人間は人間たるの資格において品位を備えているのであって、なんら他のものとかえられるべきものではないと言う意味において、その前文において『個人の尊厳を重んじ』とうたっている。次に人間のうちに無限に発達する可能性がひそんでいるという考えを基礎として、教育はその資質を啓発し、培養しなげればならないのであって、これをば第一条に『個人の価値をたっとび』といっている。第三に、人間は単に個人たるにとどまらず、国家及び社会の成員であり、形成者でなければならないということもまた、基本法における人間観の基礎である。更に、人間は真、善、美などの絶対価値を追求するものとして、文化活動の主体であると考える。これらを基礎として教育が人格の完成をめざさなければならず、普遍的にして、しかも日本人として又個人として、個性豊かな文化の創造をめざさなければならないとしている」

 「(文化の創造をめざす教育とは)健全なる国民文化の創造、ひいては健全なる祖国愛の精神の涵養を含むものと考える。人格の完成、これがやがて、祖国愛にのび、世界人類愛にのびていくものと考える」

 また、「教育基本法の解説」(教育研究法令会著)では「文化の創造とは無からできることではない。過去の文化の伝統の上に築きあげられるべきものである」としています。

 森首相や中曽根氏など教育基本法の改悪論者は、「教育基本法には国家や郷土、文化や伝統がない」としきりにいっていますが、文化や伝統がないどころか、ここまで掘り下げて検討されているのです。

学校教育、社会教育、教育の機会均等

 第二条の教育の方針では「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現しなければならない」います。

 これは「社会のあらゆる場所において、あらゆる機会を利用して教育がおこなわれなければならないことを強調するのである」「今後日本においては学校教育とならんで社会教育が大いに尊重され振興されなければならない」としています。

 教育基本法改悪論者である町村氏がいう「学校教育が九割、地域社会教育がない」なども教育基本法のなんたるがを知らない者の典型論といわなければなりません。

 そしてこの目的達成のために、憲法二三条の学問の自由という精神から、学問の自由を尊重し、真理の探求をもとめる教育になんら拘束をくわえることなく、しかも実際の生活に即した教育を求めています。

 第三条は、戦前の教育が一部の人だけ――とくに高等教育がそうでしたが――に開かれていたことへの反省と教育基本法の教育の目的実現のために、すべての国民に幼稚園から大学院までの学校の門戸を開くべく教育の機会均等の保障をうたっています。すなわち、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」としています。憲法は、その第二六条で「すべて国民は、法律のさだめるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と宣言し、教育を受ける椎利を基本的人権としてみとめています。その国民の権利を保障するための規定で、経済的理由などによって就学困難なものには、広く就学の保障をしなければならないとしたものです。

 第四条では、義務教育の年限を九年とし、授業料は徴収しないとしています。

国民全体に責任を負い、条件の整備確立を目標に

 第五条で男女共学をさだめ、学校教育についてもさだめた第六条では、法律にさだめる学校は「公の性格をもつ」ものであることを明記し、第二項でこれらの教員は「全体の奉仕者であって」「教員の身分は保障され、その待遇の適正が期せられなければならない」としています。第七条で社会教育についてさだめていますが、これは従来(戦前)学校教育にくらべて軽視されてきた社会教育について、今後の教育上重視されなければならないという見地から社会教育に対する助成や社会教育の方法がしめされています。

 第八条で政治教育、第九条で宗教教育についてのべていますが、第一〇条は教育行政の核心ともいえる条文です。

 「教育基本法の解説」は次のようにのべています。「教育の目的を実現するための条件として教育行政のいかんは、教育の死活を制するものである。そこで本法は教育行政に関して、まず教育と国民の関係を明らかにした。教育は党派的なものであってはならない。教育は教育者だけのものではなく、国民全体のものである。しかし、教育には自主性が尊重されなければならず、党派的な不当な干渉が侵入してはならない」。そして第一○条第一項で、「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」としたのです。

 そして第二項では、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」としました。これは第一項の国民と教育の関係を基礎にして、教育行政の任務とその限界を定めたものです。「教育基本法の解説」は、「従来教育行政官は、中央集権的な教育行政制度の運営者として、教育が国民全体にたいして責任を負うという自覚にかけ、独断的傾向が強かったのである」としていますが、この状態はいまと同じです。そして「将来においては、国民の名をかリて不当な影響が教育に介入する恐れがある」「教育行攻官は、かかる不当な支配が教育にはいらないように、教育を守らなければならない」としています。教育改革国民会議のような国による教育介入を許さないというのが第一○条の立場です。

 そして「『教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立』というのは、教育行政の特殊性から教育ないように介入すべきものではなく、教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件をととのえること」としています。この趣旨を実現するために、教育行政機構の根本的刷新をおこなうとして、地方に教育権限を委譲することを前提に、公選制の教育委員会制度が実施されたのです。

教育基本法に逆行した教育行政

 こうした教育基本法の精神が政府の手によって教育行政に生かされていたら、今日のような教育荒廃を招くことはなかったでしょう。自民党政府はこの教育基本法を敵視し、教育基本法の見直しを一貫して主張してきたのです。

 歴代自民党政府はそれにとどまらず、教育基本法に逆行する政策を実行してきました。たとえば公選制教育委員会を直接の任命制教育委員会にし、学習指導要領の「法的拘束力」による教育内容のおしつけ、教科書の検定制度の創設強化など、教育基本法の根本精神をふみにじって教育の国家統制強化をすすめてきました。

 本来、もっとも人間的で自由であるべき教育が管理と統制の場に、そして個々の能力を開花させ調和的に発展させるという教育が息苦しい、国際的にも批判をあびるような競争教育へと変えられていったのです。いま見直すべきはこうした教育基本法に逆行した教育政策と教育のあり方です。

 そして、急いでとりくまなければならないのは、それらによってつくりだされた子どもと教育の危機的状況の打開です。ところが、教育改革国民会議は、教育基本法改正が、「いじめが直ちに滅少するとか、青少年の凶悪犯罪が発生しなくなる」とか、「教育の諸課題の解決にただちに結びつくものではない」(「審議の報告」)といっています。

 今日の教育の危機的状況の打開こそ急がなければなリません。なぜなら、子どもと教育の問題は日本社会の存続と発展の根本問題の一つだからです。危機的状況の打開のために教育基本法を改革の基本にすえ、国連・子どもの権利委員会から勧告された「高度に競争的な教育制度」を是正し、子どもの成長・発達を中心においた学校教育の抜本的改革は急務の課題です(別項参照)。

国連・子どもの権利委員会の日本政府への勧告から
(一九九八年六月、政府仮訳)

〈編集部注=「締約国」は日本を、条約とは子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)をそれぞれさしています〉
C、主な懸念事項
22、締約国による教育への重要性の付与及びその結果としての非常に高い識字率に留意しつつも、委員会は、児童が、高度に競争的な教育制度のストレスにさらされていること及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて、条約の原則及び規定、特に第3条、第6条、第12条、第29条及び第31条に照らし懸念する。委員会は、さらに、登校拒否の事例がかなりの数にのぼることを懸念する。
24、委員会は、学校における暴力の頻度及び程度、特に体罰が広く行われいること及び生徒の間のいじめの事例が多数存在することを懸念する。体罰を禁止する法律及びいじめの被害者のためのホットラインなどの措置が存在するものの、委員会は、現行の措置が学校での暴力を防止するためには不十分であることを懸念をもって留意する。
D、提案及び勧告
43、締約国に存在する高度に競争的な教育制度並びにそれが結果的に児童の身体的及び精神的健康に与える否定的な影響にかんがみ、委員会は締約国にたいし、条約第3条、第6条、第12条、第29条及び第31条に照らし、過度なストレス及び登校拒否を予防し、これと闘うために適切な措置をとるよう勧告する。
45、特に条約第3条、第19条及び第28条2に照らし、委員会は、とりわけ体罰及びいじめを除去する目的で、学校における暴カを防止するために包括的なプログラムが考案され、その実施が綿密に監視されるよう勧告する。加えて、委員会は、体罰が家庭及び養護その他の施設において法津によって禁止されるよう勧告する。委貢会は、また、代替的な形態の懲戒が、児童の人間としての尊厳に合致し条約に適合する方法で行われることを確保するため、啓発キャンペーンが行われるよう勧告する。

 教育改革国民会議の論議について、日本共産党の不破哲三委員長はこういっています。「事件はみているが教育の現場をみていない。それで事件と直結させて自分たちの考えを無理やりに押し込もうとすることが非常につよい」「国連の児童の権利委員会が一昨年六月に日本政府に勧告書を出しているのですけれども、そのほうが教育の現場に合った、非常に鋭い痛烈な勧告をしています。むしろそれに学ぶべき」と(CS放送朝日ニュースター「不破委員長、大いに語る」、「しんぶん赤旗」八月二十四日付)。

 教育の現場をかえりみず、政府の都合のいい考えをおしつけることはむしろ教育現場にとって混乱と困難をもたらすものといわざるをえません。

教育基本法の精神を二十一世紀に花開かせよう

 自民党政府による攻撃、逆行する政策というなかでも、教育基本法は、今日まで国民の手によってまもられ、教職員らによって教育基本法の精神にもとづく教育が展開されてきました。

 教育基本法は国民とともにこの五十年歩いてきたといっていいでしょう。なぜでしょうか。

 「新しく定められた教育理念に、いささかの誤リもない。今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なせならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めるに等しい。こと教育者は、われわれの教育理念や主張について、もっと信頼と自信をもっていい。そしてそれを守るためにこそ、われわれの団結があるのではなかったか。ことはひとり教育者のみの問題ではない。学徒、父兄、広く国民大衆ふくめて、民族の興亡にかかわると同時に、世界人類の現下の運命につながる問題である」(南原繁、朝日新聞社編『明日をどういきる』一九五五年)

 また務台理作氏は、一九六一年の雑誌『世界』誌上で、「当局と自民党はおそらく何かの形で、憲法改正の促進と並行して、教育基本法の改正を可能にするような体制をつくりだすでしょう。日本の教育の本当の民主化と機会の均等を念願するものが、勇気をもってこれとたたかわねばならぬ日が必ずやってくるものと存じます」とのべていました。いまから四十年も前のことです。いま勇気をもって教育基本法改悪の動きにたいしてたたかうときではないでしょうか。

 同時に二十一世紀の教育の基本に教育基本法をすえ、教育基本法の精神を花開かせるときではないでしょうか。それがいま抱えている子どもたちの困難を充服する近道です。


この論文は、「月刊学習2000年10月号」の原稿を転載したものです。


機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


Copyright(C)石井郁子事務所 2001
本サイト内のテキスト・写真等全ての掲載物の著作権は石井郁子事務所に属します。
リンク希望の方は、お手数ですがメールにてお知らせください。


石井郁子トップページはこちらから