2003年4月16日〜4月23日「しんぶん赤旗」
国立大学法人法案の国会審議が、三日の衆議院本会議での趣旨説明と共産、民主、自由の各党質問を皮切りに始まりました。法案が大学制度を変質させる重大な問題をもつことが、日に日に明らかになっています。
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遠山文部科学大臣は、国会の答弁で「大学の自主性を尊重する」と繰り返し強調しました。しかし、法案では、各大学の六年間の「中期目標」を文科大臣が定め、大学はこれにもとづき「中期計画」をたてて大臣の認可をうけなければなりません。
中期目標には「教育研究の質の向上」も含まれます。文科省が昨年十二月に各大学に示した資料によれば、「目指すべき研究の水準」や「教育課程、教育方法、成績評価」にまでたちいることになり、教育研究の内容に国が介入することになりかねません。
そのため、自民党が三年前に発表した提言でさえ、「大臣が大学に目標を直接指示する制度は、諸外国にも例が無い」と認めていました。遠山大臣は、法案が「目標を定めるにあたり、大学の意見に配慮する」としたことを「自主性の尊重」の証しにします。しかし、「配慮する」とは大学の意見に拘束されるわけではなく、「直接指示する」ことと変わらないものです。
「教育研究の質の向上」のために国がなすべきことは、欧米の半分にすぎない国の高等教育予算を抜本的に拡充し、大学の劣悪な研究条件を改善することです。それを放置し、教育研究の内容、計画を国が押しつけるのは本末転倒です。
教育研究を国が直接評価することも問題です。文科省に国立大学法人評価委員会を置いて、法人の毎年の業績を評価し、業績が悪ければ「改善」を勧告します。総務省によれば、「評価結果を踏まえて、法人の長の解任も行われ得る」としています。
さらに六年後には、目標の達成ぶりを国立大学法人評価委員会が評価し、文科大臣がそれに応じて運営費を交付するなどの措置をとります。
評価する委員会がいったいどんなものなのか、どんな基準で評価するのかなどは「政令で定める」とされ、政府の思い通りになります。しかも、教育研究の“門外漢”である総務省が二次チェックを行い、大学法人の廃校まで勧告できるなど、何重にもコントロールするしくみです。
岡崎国立共同研究機構の勝木元也所長は「大学の評価は簡単ではありません。教育も研究も、刻々と変化しますし、立てた計画通りに進むものではありません」とのべています(『世界』二〇〇二年十二月号)。それなのに、国のさじ加減で評価すれば、教育研究はゆがめられ、優れた研究の芽を摘みとってしまうおそれがあります。
一九九七年に採択されたユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」は、「加盟国は、高等教育機関の自治に対するいかなる筋からであろうとも脅威から高等教育機関を保護すべき義務がある」としています。法案は、この世界の流れに逆行し、「自主性の尊重」どころか、教育研究への国家統制を強め、「学問の自由」「大学の自治」をじゅうりんするものです。
(つづく)
国立大学法人法案は、「国立大学法人」(以下「法人」)とは、「国立大学を設置する…法人」(第二条)としています。国立大学の設置者はこれまで「国」でしたが、法律上、新たに「法人」をつくり、これが国立大学の設置者になります。学校教育法で、設置者が、その学校の財政責任を負うと定めているため(第五条)、国立大学の第一次的な財政責任を負うのは「国」から「法人」に移ります。
他方で、国の財政責任は、法人に必要な金額を「交付することができる」という程度に後退します。私立大学の経常的経費に対して国は「その二分の一を補助することが…できる」(私立学校振興助成法)とされていますが、実際は、12・5%(二〇〇一年度)に減らされてきました。「できる」という規定では、国の責任は弱まらざるをえません。
国の財政責任が弱まれば、大学は企業からの資金や国の競争的資金の獲得など、自己収入の拡大を余儀なくされ、教育研究のあり方が、「経営」優先でゆがめられる恐れがあります。
ある国立大学では、法人化準備の中で、教授による助教授以下の評価が点数化され、国際誌への論文掲載が六点に対し、外部資金の獲得一億円以上を百二十点とするなど、論文よりも資金獲得に高い評価を与えています。ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏は、国立大学法人化を危ぐし、「採算に結びつかない基礎科学が冷や飯を食う」(「東京」四月十日付)と語っています。
法案では、付属病院の整備やキャンパス移転などの際に国の責任でつくった借金(約一兆三千億円)を、独立行政法人国立大学財務・経営センターに引き継がせ、各「法人」が分担して返済していくことになります。
さらに「法人」が債券を発行できるようになります。これは、「国の財政が悪化したもとでも、大学が施設整備などで資金調達できるようにするため」(文科省の説明)だとしています。債券を発行すれば、その償還のために収益を上げ続けなければなりません。
国がつくった借金の返済の責任も、国が放置してきた狭くて老朽な大学施設を整備する責任も「法人」に押し付けるものです。
国立大学の学費は、国会の審議で全国一律に決まっていますが、「国が示す範囲内」で各大学法人が決めることになります。自己収入の拡大や施設整備のため、学費が大幅に値上げされたり、「学部間格差」が導入されたりする可能性があります。文科省が昨年十一月に各大学に示した案では、今年度授業料五十二万八百円を35%の上限で値上げすることを認めています。とくに、法曹養成のための法科大学院では、そうした上限さえ設けないことも検討されています。
不況・リストラで国民の所得が伸び悩む一方、世界一高い学費はさらに上がりつづけ、経済的理由で大学進学をあきらめる高校生が増えています。法人化による学費高騰は、大学進学の経済的な不平等をいっそう広げ、国民の教育をうける権利をおびやかします。(つづく)
国立大学法人法案は、大学の組織や運営のあり方を根本から変えてしまいます。
現在の国立大学では、各学部の教授会の代表からなる評議会が学長を選ぶ権限をもち、全学的な予算や計画も評議会の審議を尊重して学長が決定します。大学が「学術の中心」(学校教育法)として、教育研究を直接担う教授会を基礎に運営される必要があるからです。
教職員の意思を排除
国立大学法人では、評議会を廃止し、学長を選ぶのは学外者と学内代表の各同数(学長や理事も参加できる)でつくる学長選考会議になります。そこで選ばれた学長が、法人経営、教育研究、人事などのすべての権限をもち、重要事項を議決する役員会の理事も学長が任命します。
他方で、学長の独走をチェックする機能はありません。法案では、学部長や学長指名の理事などでつくる教育研究評議会をおき、教育研究に関して審議するとされています。しかし、予算をどこに配分するか、どんな学部・学科をもつか、教授会をどこにおくかなどは教育研究評議会の審議事項に明記されず、役員会の議決に委ねられています。
文科省は、大学が経営責任をはたし「民間的経営手法」を導入するためといいます。しかし、これでは学長の専決体制です。教職員の多数の意思が排除される運営では、教育研究の発展は望めません。
大企業圧力で研究中断も
法案では、法人に経営に関する審議機関として経営協議会をおき、この委員の二分の一以上は学外者としています。文科省の調査検討会議の最終報告(昨年三月)では、これを「社会の意見や知恵を大学運営に反映させる」ためとしていました。ところが、法案では、学則や職員給与、予算を含め経営に関わる事項のすべてを審議するなど、学外者が大学運営に直接手だしすることになります。想定されているのは、企業経営者や政治家、役人、コンサルタントなどです。
さらに、役員会の理事にも、文科大臣が任命する監事にも、必ず学外者(学外役員)を含めなければなりません。これらの学外者は、経営だけでなく教育研究に関する事項に深く関与し、議決や監査を行います。これでは、政府や大企業の意向に応じた大学運営がなされ、それによって教育研究が大きく左右される恐れがあります。
水俣病の原因を解明して注目された東京大学名誉教授の西村肇氏は、大学での研究をもとに社会的発言をしたことで産業界からの圧力をうけ、公害研究を十五年間にわたり中止せざるを得なかったとのべています(『水俣病の科学』日本評論社)。こうしたことが、今度は全国的な規模で、制度的裏づけをもって行われかねません。
また、すでに独立行政法人となった試験研究機関では、理事や監事の多数を関係省庁からの役人の天下りがしめています。国立大学法人が役人の天下りの温床にならない保障はありません。
法案は、「学術の府」としての大学を、学長専決体制の下で企業経営の論理で運営される「経営体」へと、変質させるものです。(つづく)
国立大学法人の教職員を非公務員とするため、国家公務員法の関係条項や教育公務員特例法(以下、教特法)の国立学校への適用を廃止する法案も、国立大学法人法案とセットで提出されています。
教特法には、(1)大学教員の採用・昇任は教授会が決める、(2)教員は評議会(教授会)が認めなければ、意に反して転任・降任・免職されない、などが規定されています。これは、学問の自由と教育の自主性を大学において実現するため、教員の身分を尊重し、ふさわしく処遇する趣旨で制定されたものです。
対象は国公立大学の教員ですが、少なくない私立大学では学内規定にとりこんで準用されています。教特法の適用が廃止されれば、私立もふくめて大学教員の職務にふさわしい身分保障制度が崩れることになり、大学の教育研究に深刻な悪影響をおよぼします。
ミミズの研究で著名な中村方子さんは、大学在職中、枯葉剤が生態系に悪影響がないことを立証しようとする上司の研究への協力を断りました。そのために十五年間も研究を干された経験をふりかえり、「私は、教育公務員特例法に守られ、首にはならなかった」と語り、法人化への危ぐを表明しています。これまでも、一部の私立大学では教員の不当解雇事件がおきています。
国立大学法人では、教員人事の手続きを教育研究評議会で審議し、学長が定めます。だれを教員に採用し、昇任させるかを、一部の教員や学外者でつくる人事委員会が決める、あるいは学長が自らの意向で決めることになれば、公正な人事が行われなくなる恐れがあります。
法人化によって、教員への任期制の導入が全国の大学にひろがる問題もあります。任期制とは、大学教員を三〜五年の任期を定めて採用し、任期がきたら失職、その後も再任するか否かは業績評価で決めるという、いわば「合法的な解雇制度」です。すでに、文科省は、中期計画で「任期制の導入に関する具体的方策」を決めるように、各大学に指図しています。
これまでの国家公務員削減によって、大学職員が大幅に減らされ、事務、技術、図書館、看護などの職員が過密労働を強いられています。公務員の身分を失えば、人員削減や外部委託がすすみ、教育、研究、医療を支える業務に支障をきたす恐れがあります。
しかも、今国会に提出された労働基準法改正案は、労働者を保護するという法の精神に反して「労働者を解雇することができる」とするなど、使用者の「解雇の自由」を認めるものです。これが成立して教職員にも適用されれば、非公務員化の措置とあいまってリストラ・解雇が横行しかねません。そうなれば、教職員の自主性、創意性が失われていき、教育研究の発展を望むことはできません。(つづく)
遠山文部科学大臣は、「大学の自主性を尊重する」と何度も強調します。それなら、こんなに重大な法案の国会提出は、大学からの同意をえてすすめるのが当然です。しかし、三日の衆議院本会議で日本共産党の石井郁子議員が「国立大学協会の総会で同意を得たのか」と質問したのに対し、大臣は「提出に至る過程で関係者に十分な説明をし、理解を得たと考えている」としか答えられませんでした。
文科省による関係者への説明は、二月十日の国立大学長会議で、たった四?の「法案の概要」を示しただけです。それも「未定稿」とされていました。しかも、この内容に、二十四大学からの意見が国立大学協会に提出されています。
「国立大学の自律性があるような制度設計になっていない」「国は大学の経費負担の義務を負わない可能性がある」「経営優位・短期的な業績向上志向となりかねない」「教授会の名称すらないのは不可解さを通り越して不審を抱かせる」…。
法案がもつ根本問題への深刻な疑念や厳しい批判であり、とても「同意」どころか、「理解を得た」とさえいえるものではありません。国立大学協会では、法案を議論する総会さえまだ開かれていません。そうした中での国会提出は、あまりにも拙速、強引であり、大学の自主性を踏みにじるものにほかなりません。
いま、法案に対して、大学内外から危ぐと反対の声があがっています。
国会審議を目前にした三月二十七日、全国から四百人の大学関係者などが集まり、国会要請と請願デモを行いました。同日、全国大学高専教職員組合をはじめ、全学連、新婦人、全教、国公労連、マスコミ文化情報労組会議など諸分野の十四団体が、共同アピールを発表、「廃案をめざす」と訴えるなど、共同のとりくみがひろがっています。
池内了・名古屋大学教授が中心になり、作家の小田実さん、井上ひさしさん、映画監督の山田洋次さんら著名な文化人が、国立大学法人法案のとりやめを求めるアピールを二月末に発表しました。これに、作家の赤川次郎さんや柳田邦男さん、大橋巨泉さんなど、四千人をこえる賛同がよせられています。
ジャーナリストの櫻井よしこさんも、『週刊新潮』四月十七日号で「独法化は官僚の支配力の強大化に貢献するのみ」と告発しています。
国会では、大学関係者の国会要請に「こんなにひどい法案か」と驚く議員が少なくありません。衆議院本会議での論戦をうけて「これは重要法案」との認識もひろがっています。徹底した審議をつくし、法案の問題点を究明することは国会の責務です。法案の廃案をめざす国会内外のたたかいが結びつき、大きく発展することが期待されます。(おわり)


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