IKUKO NET 日本共産党副委員長・党女性委員会責任者・衆議院議員 石井郁子
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プロフィール
石井郁子ISHII IKUKO
日本共産党幹部会 副委員長
衆議院議員(5期目/近畿ブロック選出)
国会議員団 文部科学部会長
男女平等推進委員会会長
石井郁子議員
経 歴
1940年 北海道芦別市生まれ
1959年 北海道立三笠高校卒
1963年 学芸大学札幌分校卒
1971年 北海道大学大学院教育学研究科博士課程修了
1971年 大阪教育大学講師
1974年 大阪教育大学助教授
1986年 衆議院議員初当選
2003年 総選挙で当選,4期目(比例・近畿)
現在所属している委員会
文部科学委員会
青少年問題に関する特別委員会
現在所属している党国会議員団のチーム
文部科学部会 部会長
男女平等推進委員会 会長
児童虐待対策チーム 責任者
子どもの権利条約全面実施委員会
少子化問題プロジェクトチーム
在所属している党国会議員団のチーム
日本・ロシア友好議連
日本・アゼルバイジャン友好議連
音楽議連
21世紀女性推進議連
図書議連
映画議連
環境ホルモン・ダイオキシン問題にとりくむ議連
パラリンピック推進議連
麻薬・覚せい剤乱用防止対策推進議連
子どもの未来を考える議連
街頭演説議連
活字文化議員懇談会
パートタイム労働者等の均等処遇を実現する議連
日中友好議連
アルバム
スポーツ大好き,芦別市のスキー大会女子回転で優勝した
小学校6年生の時(前列・中央)
■子どものころ
小学校時代は炭鉱の町,北海道・西芦別で育ちました。

勉強よりも,町あげて大人と一緒に観た映画鑑賞や運動会の紅白リレーの選手が思い出。運動会の朝だけ私に生卵がついた。貧しい暮らしの家族の思いやりです。

スキー大会の回転競技で優勝。吹雪の中のスタート,不安ながら突進した一瞬を人生の決断の場面で思い出します。
学生時代の1枚
■学生のころ
安保闘争が高揚しつつある1959年,北海道学芸大学に入学。教師への道を志したのは教員一筋の父の影響もさることながら,炭鉱と開拓の街で貧しい生活を変えねばという思いと,女性として生きがいのある仕事を考えてのことでした。

そして学生運動のなかで日本共産党に入党。サークル活動や女子寮の寮長の経験は,ゼミとは別の貴重なもの。私のもう一つの大学でした。
大阪教育大学の研究室で長男と一緒に
■教育学の研究者として

大学院へ,そして大阪教育大学へ恩師から「教育の勉強をもっとしたら」というすすめで北海道大学大学院へ進学。クルプスカヤの教育理論を研究のテーマにしたことは,私の生涯の仕事に。

8年間の大学院生活で就職を半ばあきらめかけていた時,最後の挑戦のつもりで大阪教育大学の公募に応じて「社会科教育」講座に就職。30歳になっていました。

2歳の長男と生まれたばかりの次男の保育所通いから,大阪での共働きの忙しい生活をその後14年間続けました。
初当選後のポスター写真
■大学から国政へ
日本共産党から国政への転進を要請された80年代の中頃,中曽根首相(当時)の「日本をアメリカの浮沈空母に,浮沈空母の乗務員をつくる」発言に,私は危機感を募らせていました。

「子どもは政治を選べない」と政治家への道を決意。1986年総選挙で初挑戦,初当選できました。公約に掲げた「子どもらに愛と希望の教育を」は,今も私の熱い思いです。
元オリンピック水泳選手の長崎宏子さんと
教育シンポジウムで
■いま国会議員として,党の代表者として

党文教委員会責任者を経て,いま女性委員会責任者・党副委員長として全国駆け巡る。

1990年9月,国連「子どもの権利条約」批准NGO会議に日本共産党から出席。95年日本共産党の提言「いじめ克服の道」を発表,教育シンポジウムなど全国をまわりながら96年秋,2期目の国会に戻りました。

「児童虐待防止法」の提出者になり新法が成立。また30人学級法案を3野党で提出するなど,子どもと教育問題で全力投球しています。
大阪に住む夫の守さんと愛猫
■子どもと教育の第一線で活躍する家族

夫の守さんは「青年の自立支援センター『ゆう』」を設立し,子どもと父母たちの悩みをともにしています。また長男は弁護士として子どもの権利問題にも打ち込み(東京ウェール法律事務所),次男は名古屋大学教育学部助手。教育学を専攻しています。
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