| わたしが日頃感じたことや、考えたことを不定期ですが書いています。 |
 |
ともちゃんと歩む
石井郁子が初孫のともちゃんとのふれあいを通して,今日の子どもについておはなしするコーナーです。 |
|
■ともちゃんの3歳の春/2003年3月
私は,国会で青少年問題特別委員会にも属している。先日(3月25日)この委員会のある懇談会で私は,孫の話をしてしまった。3歳になると,意思を表し,大人と交流でき,発達はめざましい。私たちの3年の変化と較べて,子どもの3年がどんなに内実のあるものかと思う,と。
その後同僚議員や省庁の方々から「孫の話のとき,顔の表情がかわる」「普段見たことのない顔をしていた」などなど冷やかされてしまった。
3歳の誕生日を終えて新年をともちゃんは,大阪の私の家で数日過ごした。私にとって孫一家と始めて過ごす新年だ。
この時ともちゃんが一番発した言葉は「なんで」だった。大人の問いかけ,指示などに必ず「なんで」と聞き返す。大人の反応を確かめるかのように。「なんで」といえば,大人は説明することを知っているからなのだ。
「日本の子どもたちが自分の意思をありのままに表現することができないでいる」とよく言われる。子どもだけではないように思うが。これは自分勝手の行動を戒め,我慢強く目標に向かうという「理想」の人間像を描いて行なう教育,しつけの結果ではないだろうか。幼児期に子どもがどんな我慢をしているかを知らずに押し付けているしつけのために,子どもは何をいってもいいよ,受けとめてもらえるよ,という安心感をもてなくなっているからではないかと思う。
これは,青年期のひきこもりなどに多い対人恐怖や要望や容姿を気にするこだわりとも関連しているように思う。大人はこどもの言い分をまず聴くよりも,先にお説教,指示を繰り返して抑えていないか,自戒が必要のようだ。
ともちゃんと遊んでいると,大人と子どもの対等のコミニュケ−ションは3歳で十分成立していると思った。この時期からの交流の一瞬一瞬が子どもの心をひらき,大人を信じる心を育むのだと,ともちゃんは自然な態度で教えてくれた。 |
|
|
|
■3歳の誕生日を迎えて/2002年12月
12月24日,ともちゃんは3歳の誕生日を迎えました。
「ぼくたち,どうしても二人とも出かけなければならない。一日みてくれない?」この夏のある日,こんな電話があってなんとかやりくりして,日を空けた。
ともちゃんと絵本読んだり,近くの公園で動物を見たり,お昼寝したり...子どもとの一日はこのことだけに心を集中していたので,ともちゃんの一言,しぐさなど,そのひと時,シーンを思い出してはなんとも穏やかな,ゆったりした気分になっていました。
こうして夏から年末へ,このコーナーもお休みをしてしまいました。3歳の記録をまた来年から書き続けましょう。
|