平成十一年八月四日(水曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 小川 元君
理事 栗原 裕康君 理事 小杉 隆君
理事 塩谷 立君 理事 増田 敏男君
理事 藤村 修君 理事 山元 勉君
理事 富田 茂之君 理事 松浪健四郎君
岩永 峯一君 大野 松茂君
奥山 茂彦君 佐田玄一郎君
下村 博文君 高鳥 修君
高橋 一郎君 渡辺 博道君
渋谷 修君 田中 甲君
中山 義活君 赤羽 一嘉君
池坊 保子君 近江巳記夫君
西 博義君 佐々木洋平君
笹山 登生君 石井 郁子君
山原健二郎君 濱田 健一君
粟屋 敏信君
出席国務大臣
文部大臣 有馬 朗人君
出席政府委員
法務省民事局長 細川 清君
法務省人権擁護局長 横山 匡輝君
法務省入国管理局長 竹中 繁雄君
文部大臣官房長 小野 元之君
文部省生涯学習局長 富岡 賢治君
文部省初等中等教育局長 御手洗 康君
文部省教育助成局長 矢野 重典君
文部省高等教育局長 佐々木正峰君
文部省学術国際局長 工藤 智規君
文部省体育局長 遠藤 昭雄君
委員外の出席者
文教委員会専門員 岡村 豊君
本日の会議に付した案件
文教行政の基本施策に関する件
午前九時開議
――――◇―――――
○小川委員長 次に、石井郁子君。
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
国旗・国歌問題は、今参議院の特別委員会で審議中でございますけれども、教育現場への影響が極めて重大でございますので、きょう、私は重ねて質問をさせていただきます。
日の丸・君が代を国旗・国歌と法制化するに当たりまして、政府は、国民に強制し義務づけるものではないという御答弁をたびたびされていらっしゃるわけですけれども、そのことを改めて確認できますか。そしてまた、強制できない、義務づけてはいけないというのはどういう理由からでしょうか。よろしくお願いします。
○有馬国務大臣 たびたび同じような御答弁を申し上げて恐縮でございますけれども、学校における国旗・国歌の指導というものは、児童生徒に日本の、我が国の国旗と国歌の意義を理解させまして、これを尊重する態度を育てながら、同時に、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるために行っているものでございます。
今回の法案におきまして、国旗・国歌の根拠について、慣習であるものを成文法として明確に位置づけるものでございます。学校教育において、国旗・国歌に対する正しい理解をさらに促進するものと考えており、意義があるものと受けとめている次第でございます。
文部省といたしましては、学習指導要領に基づく学校におけるこれまでの国旗・国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えておりまして、今後とも学校における指導の充実に努めてまいりたいと思います。
○石井(郁)委員 私の趣旨がちょっと伝わらなかったようでございますけれども、文部省の御見解、きょうは文教委員会ですからそうなんですけれども、大臣は閣僚の一人でもございますから、政府として国民に強制はできない、義務づけないという御答弁ですが、それを確認したい。そして、それは一体どういう理由からでしょうかとお尋ねしているわけであります。
○有馬国務大臣 政府といたしましても、官房長官がお返事申し上げたと思いますけれども、国民に対して強制するものではございません。
○石井(郁)委員 なぜ強制できないのでしょうか、それをお聞かせください。
○有馬国務大臣 国民の一人一人が国旗・国歌に対して愛着を持つ、そういうふうなことで国民一人一人が御判断になることかと思っております。
○石井(郁)委員 なぜか憲法が出てこないのですけれども、強制できない、義務づけることができないというのは、憲法十九条の思想、良心の自由を侵してはならないという、やはりここからきているのではないでしょうか。
次に、国民には強制できないということを、たびたびそういうふうにおっしゃっているわけですから、それが学校という場になると押しつけということになってくるわけで、国民に強制できないものは、学校、子供や教職員にも押しつけることはできないというふうに思うのですけれども、この問題についての御見解はいかがでしょうか。
○御手洗政府委員 今回御審議をいただいております国旗・国歌に関する法案は、国旗と国歌を定めているものでございまして、それに伴いまして何らかの義務づけというような条文はないわけでございます。
これに対しまして、学校教育におきましては、再三繰り返しになりますけれども、文部大臣が定めております学習指導要領におきまして、我が国の学校教育におきます国旗と国歌の指導について、全国的にすべての学校で教えなければならない基準ということでお示しをしているわけでございまして、学校の教員並びに校長は、この学習指導要領に基づきまして適切に教育課程を編成し実施しなければならない、こういう法的な関係に立つわけでございまして、最終的に子供たちがその指導をどう受けとめるかということは、これは教育の指導の結果の問題でございますので、そこまで学習指導要領は義務づけておりません。
子供は当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくということでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるかあるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。
○石井(郁)委員 学習指導要領に基づきまして教師がいろいろ義務を負うというか義務づけというか、そういうふうに文部省がおっしゃるわけですけれども、最初に伺っているのは、強制という問題でいうと、やはりそれはしてはならないという立場でしょう。強制ができないのは憲法の十九条があるからではないですか。それは一般国民にも教職員にもひとしく保障されるものだというふうに当然理解されるわけですが、よろしいですか。
○御手洗政府委員 委員御指摘の強制という言葉をどう理解するかということでございますけれども、通常の国語的理解であれば、無理強いして何かをさせていくということであろうかと思います。そういった無理強いして何かをさせていくということは、一般的には教育活動として適切ではないと私どもは思っております。
ただ、子供が一つの課題に向かって主体的に困難に打ちかっていく、これも一つの教育作用でございますから、強制と言われることは一体どういう場合に当たるかという言葉の使い方の問題であろうかと思いますけれども、憲法十九条で保障しておりますのは、内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならない、こういう意味でございます。
そういう意味では、これは学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところはないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をしてまいりたいと思っております。
○石井(郁)委員 子供に対してどういう指導をするかという問題は言われるとおりだと思うのですが、私が最初に確認したいのは、教師自身も内心の自由は保障されなければいけませんねということなのです。
このことで実は大臣が既にいろいろと御発言がございますので、ちょっと私の方から申し上げたいのです。
内心の自由は保障されなければいけないということはもう確認されていることだというふうに思うのですけれども、それに続けまして、ただ、それが外部的行為となってあらわれる場合には、一定の合理的な範囲内の制約を受け得るものと解釈されているということをおっしゃっていらっしゃいますけれども、それはよろしいですか。――済みません、もう時間があれですから。
では、この解釈は、有馬文部大臣の憲法解釈なのでしょうか、それとも憲法学説のどこかから援用されているものでしょうか。
○矢野(重)政府委員 良心の自由につきまして、先ほど御指摘がございましたように、これが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならないが、外部にあらわれるときは一定の制約を受け得るものであるということにつきましては、おおむね異論がないものと私ども考えているところでございます。(発言する者あり)
○小川委員長 静粛に。
○石井(郁)委員 だから、おおむねというのはどこでですか、どなたがおっしゃっているのですか、それをお聞きしているのです。
○矢野(重)政府委員 私どもが承知しておる限りにおける学説等において、おおむね異論がないものと考えられているところでございます。
○石井(郁)委員 具体的におっしゃってください。学説というのですから、どなたのですか、どういう著書ですか。具体的におっしゃってください。
○御手洗政府委員 憲法解釈を私ども文部省なり文部省の役人が行う立場にはないわけでございますけれども、私ども公務員といたしまして、法律に基づいて一定の行政作用をいたします際に、当然そのことが法律に反していないかどうかということは、みずから職務を執行するに当たって常に判断をしなければなりません。
また、そういった意味では、一定の行政作用が憲法に反するかどうかということも、私ども職務を遂行するに当たりまして、憲法遵守義務がございます公務員といたしまして、当然それは自分たちの職務を遂行していく上でも、職務としてみずからの責任においてさまざまな知見を取り入れながら判断しているところでございますので、私どもとしてはそのように考えながら仕事をしておるということで御理解をいただきたいと存じます。
○石井(郁)委員 今の局長答弁は全く答弁にはなっていません。一般的な公務員としてのあなた方の立場をおっしゃっただけにすぎません。
今私が尋ねていますのは、大臣が解釈された、そして何度も国会で御答弁をされている、その根拠について伺っているのです。私、大変問題だと思います、それを明らかにできないということは。
それでは、私の方から申します。
私は幾つか調べてみました。これは「注釈日本国憲法」ですけれども、昭和五十九年に出ていますよね。内心の自由という問題は、私たちがなぜこれを重視するかといえば、これは絶対的な自由だからなのですね。しかも、戦前にはこの条項はなかった。明治憲法にはなかった項目ですよ。なぜなかったかといえば、天皇の絶対的権威の前に、国民の内心における思想、良心も自由であり得なかった。だから、戦後、まさにここが据わったということは本当に人権としても人間としても重要な問題で、この「注釈日本国憲法」では、「生命・身体の自由とならんで、人間の尊厳を支える基本的な条件であり、また、民主主義存立の不可欠の前提でもある。」こう書かれていますよね。
さて、これが制約があると文部省はおっしゃっているのですけれども、この「注釈日本国憲法」では、この原理は、「民主主義が民主主義たるために最低限堅持すべきことがらである。その意味で、本条の保障は絶対的であり、いかなる名目をもってしても一切の制約を許さないものと解すべきである。」これが憲法解釈ではないですか。いかなる名目をもってしても一切の制約を許さないのだ、そういう意味なのですよ。あなた方、勝手に制約をつけているではないですか。そんな憲法解釈がどこにあるのですか。
○有馬国務大臣 教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、御自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両者の関係を御質問だと思うけれども、その人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないということは、それはやむを得ないと思いますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。
ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理やりにする、口をこじあけてでもやるとかよく話がありますが、それは子供たちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理やりに口をこじあける、これは許されないと思う。
しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、ほかの人にも自分はこうだということを押しつけて、ほかの人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げております。
○石井(郁)委員 せっかくですけれども、大臣の御答弁もやはりすりかえていらっしゃるわけですね。
局長自身がおっしゃったじゃないですか、文部省としてはやはり憲法遵守の立場で憲法をちゃんと見ていると。だから、どんな憲法解釈を見ているんですかとお聞きしているわけですが、それはお答えにならないでしょう。それで公務員論にすりかえているわけですよ。それは別な問題なんです。
だから、今回はもう時間があれですから、本当に文部省、有馬文部大臣はどうなんですか、外部的行為となってあらわれる場合には一定の合理的な範囲内の制約を受け得るという解釈は、これは文部省の解釈だというふうに確認しておいてよろしいですか。簡単に答えてください。
○矢野(重)政府委員 私どもさまざまな学説等を踏まえながら、基本的には、文部省の解釈として今申し上げたような考えでございます。
○石井(郁)委員 さまざまな学説の中身は全然明らかになりませんでした。
さて、それでは、教員は教職の専門性というかどういう立場で教育の仕事に携わるかという問題なんですね。
そこで次の問題が出てくるわけですけれども、私は、内面の自由というのは教育の仕事にとって本当に重要だというふうに思っているわけです。それは言うまでもなく、教育の仕事は人間の内面に働きかける仕事でしょう、まさに精神活動そのものじゃないですか。だから、その自由という問題がやはり重要になってくるわけですね。そして、そういう教育の仕事に教師が責任を持つ。どういう責任を持つかということは、教育基本法の六条がはっきり書いていますよね。「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」この項目は、これもまた戦前の反省に立っているんですね。
だから、教師は専門性をかけた責任、そして教育の自由を保障する、こういう意味合いで書き込まれたものじゃないんでしょうか。文部省はこの教育基本法の六条は否定しませんね。
○小野(元)政府委員 教育基本法の第六条でございますけれども、学校の法的性格、そういったことを踏まえて、学校の教員の使命、身分についての原則を規定したものでございまして、私どもは教育基本法六条は大事なものだと思っております。
○石井(郁)委員 私は、教育基本法六条というのは、本当に戦後の教育面での大きな変化であって、非常に大事だと思っているんです。
そこで次の問題なんですけれども、文部省は、先ほど出された学習指導要領に基づいて教師は義務を負うと。だから、教師には義務づけをしているわけですよ。ここに学習指導要領というのを挟むわけです。それで、学習指導要領に基づいて遂行しなければ、校長が決めたことに従わなければ職務命令で処分もいい、こういう答弁もされていますよね。そこで公務員論を持ち出してこられるわけですけれども、教育というのは一般行政と違うんじゃないですか。
教育の独自性を持っている、まさに教育の専門性を持っている、文部省というのはまさにそういう教育のことを考えるところなのに、処分だけは公務員論で行政処分だということでされる。いかがですか。これが文部省のやることなんでしょうか。
○矢野(重)政府委員 お答えします。
職務命令とおっしゃいますが、これは学校現場において校長がいきなり職務命令を出すわけではないわけでございまして、学校におきましては、国旗・国歌の指導を行うに当たりまして、校長は、日ごろから職員会議等の場を通じまして、教員との間で国旗・国歌の指導やその意義等につきまして意思疎通あるいは共通理解を図るように努めて、全教員が一致協力して国旗・国歌の指導を行うような学校運営上の配慮を行うことが何よりも大切でございます。
しかしながら、このような取り組みをしたにもかかわらず、国旗・国歌の指導を教員に求めることが困難な場合があるわけでございまして、そういう困難な場合について、校長は学校運営の責任者として、その責任を果たすために、学習指導要領の趣旨を実現するために、必要に応じ教員に対し職務命令を発することもあり得るものでございます。
○石井(郁)委員 現場ではこの十年間どんな状況だったか。日の丸・君が代問題をめぐっては、一九八九年の学習指導要領で入学式、卒業式で掲揚、斉唱する、指導するものとするとなったわけでしょう。それ以来もう議論ができなくなった。今校長先生はお願いの一辺倒だ、指導要領があるからやってくださいと。校長先生は、そこでは教育論もなければ、それこそ憲法もないんですよ。指導要領があるからやってください。これはたくさんの方がおっしゃっていますよ、親の方も。これでは本当に校長先生の権威もなくなるというふうに私は思うんです。
そこで伺うんですけれども、最終的に学校長が行政処分、職務命令を出すということですけれども、そもそも学校長は教育者でしょう。どうなんですか、私は教育者だというふうに思うんですね。だから、校長先生と教職員が反目を広げる学校というのはやはりよくないでしょう。言ってみれば、校長先生をも文部省のいわば下級官吏的な位置にあなた方がおとしめているんじゃないですか。本当にこの問題は学校を重苦しくしているんですよ。でも、その指導要領に従わなければ職務命令だと。職務命令が頻発しているわけですよ、現場では。それが、議論もなくしている、学校を暗くしている、もうあきらめている。これは教育ではないですよ。どうですか。
○矢野(重)政府委員 先ほど申し上げましたように、いきなり職務命令をかざして職務を命ずる、必要な指導を命ずるということは通常はないわけでございまして、それは、職務命令を発さなきゃならないような事情がある中で、校長はやむを得ず職務命令を発して校長としての責任を果たそうとしているものというふうに私どもは理解しております。
○石井(郁)委員 しかし、実際国会の審議の中では違うじゃないですか、発言は。とにかく校長が決めて、それに従わなければ職務命令を出す、処分もやむなし、こういう発言さえ出ているじゃないですか。これは大変な事態ですよ。
私は、これは新聞の報道ですけれども、今見ていますが、従わなければ処分する、そこまであなた方は言っているんじゃないですか。こういう言い方というのは本当に権力的な介入、統制そのものじゃないか。戦前最も否定したやり方を今文部省はやろうとしているんじゃないか、そう言わざるを得ません。
決して、おっしゃるように、本当に職場で自由な議論を尽くしてやっているという状態ではありません。こういう職務命令は教育の場になじまないと私は思っているんですね。もうやめるべきだというふうに思いますが、いかがですか。
○矢野(重)政府委員 先ほど来繰り返して恐縮でございますけれども、さまざまな学校運営上の配慮を尽くして、それでもなお学習指導要領の趣旨が実現できないような場合に、最終的に、校長が学校運営の責任者として、その責任を果たすために職務命令を発することもあり得ることでございます。この点につきましては、どうぞ御理解をいただきたく存じます。
○石井(郁)委員 重ねて確かめますけれども、やはり義務づけるという発言は強制ですよね。だから、政府は国民には強制しない、義務づけないと言いながら、学校には義務づけている、強制している、こういう理解でいいですね。局長、どうですか。
○御手洗政府委員 先ほど来私と助成局長で繰り返し答弁しております考え方なり指導方針というものは、今回の法制化の前と法制化の後において何ら異なるものではございません。
○石井(郁)委員 学習指導要領のことで伺っておきます。
学習指導要領に基づいてということが文部省の唯一の根拠になっているわけですね。このことでも本当に申し上げたいことはたくさんあるんですけれども、この学習指導要領については、あの学力テストの最高裁判決等々も持ち出すまでもなくやはり大綱的基準なんですよ。必要かつ合理的な基準の設定として認められている。だから、大綱的基準だという理解でいいますと、やはり国旗・国歌についてはこの大綱的基準の範囲を超えているんじゃないか、逸脱した指導があり過ぎるのではないかというふうに思っているんですが、その辺はいかがですか。
○御手洗政府委員 学習指導要領におきまして、これが学校の教育課程の編成と実施の基準となるという意味で、その教育課程そのものを事細かに律することのないように、できるだけ大綱的なものとしてとどめる、これは私ども学習指導要領の改訂のたびごとに繰り返し努力をしてきたところでございます。
しかしながら、最終的に学習指導要領の形で示された文言につきましては、あるいは指導事項につきましては、学習指導要領に掲げている文言に従ってそれをそのままやってもらわなければならない事項、あるいはそういう方向性を示しながら各学校にある程度の裁量の幅を持って工夫をしていただくように示している事項と、教育の内容、各事項に伴いまして、現行の学習指導要領につきましてもそういった性格の違いがあることは事実でございますけれども、例えば卒業式、入学式におきます国旗・国歌の取り扱いにつきましては、これはそのままの形で全国の各学校におきまして、入学式、卒業式におきましては国旗を掲揚し国歌を斉唱するということは最低限やっていただかなければならないという意味で理解していただきたいと思います。
○石井(郁)委員 ちょっと具体例で伺うんですけれども、この議論の間に、これは七月二十三日の新聞ですけれども、福岡県北九州市教委が、八六年から四点指導というのをやっているそうですね。国旗掲揚の位置はステージの中央だ。式次第には国歌斉唱を入れる。三つ目には、国歌斉唱は教師のピアノ伴奏で行い、全員が起立し、正しく心を込めて歌う。四番目に、教員は全員参加。
正しく心を込めて歌うというのを聞いて、私はこれこそ内心にまで踏み込んでいるのではないかというように思うんですが、しかし、これに対して指導第一課長は、学習指導要領の解釈に基づいている、その要領を超えるものでも子供の信条を踏みにじるものでもないと説明しているんですね。これは文部省、どう思いますか。
○御手洗政府委員 御指摘の指導につきましては、北九州市教育委員会が学校の設置管理者としての権限におきまして各学校や教員等に指導しているものであろうかと存じておりますけれども、具体的な一々の指導内容については報告は受けていないところでございますが、お聞きする限りでは、校長が教員に児童生徒に対して指導すべき指針として示しているということであれば、それは設置者の判断に任せられていることであろうかと存じております。
○石井(郁)委員 今これをお聞きになっても、やはりそれは結構だという文部省のお考えですか。心を込めて歌いなさいということを指導しても、設置者の指導として認められるということですか。
○御手洗政府委員 学校教育におきます国歌の指導につきましては、その意義を理解し、それを尊重する態度を育てる、こういうことを最終の目標として行っているわけでございますので、尊重する態度を育てるような指導のあり方として教員がそういった態度で教えていくということは、私どもの指導から見ましても特段問題はなかろうかと存じております。
○石井(郁)委員 私は、今の答弁を聞いて、やはりこれは大変だなとますます思いました。
内面に立ち入って強制できないということをおっしゃりながら、しかし尊重する態度だったらこういうこともやっていい、こういうこともやっていいということになると、全然境界がないじゃないですか。私は、そういうことに行き着くというのがこの問題だというふうに思うんですね。
つまり、内面、価値にかかわる問題を教育の場で扱うときには抑制的でなければいけません。また、本当に慎重でなければいけないと思うんです。これが教育基本法のとってきている立場だというふうにも思うんですね。ところが、今それを大きく踏み外そうとしているということが私は大変危惧されるわけであります。
時間がありませんので、最後に、ドイツの教育法学の創始者と言われる人で、ハンス・ヘッケルさんという方がいらっしゃるんですけれども、学校の行政はどうあるべきかということで、大変私たちは考えなきゃいけないのですが、こういうことをおっしゃっているわけです。
それは、学校がドイツの文部省ともいうべき学校官庁の命令下にある下級官庁になって、教師が官僚制度に組み込まれていっている、そういう現状の中でおっしゃっていることなんですが、このような現状は疑問であり不健康だ、自由で自立的な人間を育成、教育すべき場がみずから不自由ではあり得ない、生き生きした個性豊かな人間が、常に新たで個性的な状態で教育を受ける場が規範や命令の支配するところとなってはならないと。だから、命令の支配するところになってはならないんですよ。学校が本当に責任と自由、民主主義に満ちていなければならないんじゃないですか。
そういう意味で、私は、今回の文部省の国旗・国歌の義務づけ、あるいは上意下達の教育行政というのは、本当に世界の流れと逆行するということを厳しく申し上げまして、きょうの質問を終わりにいたします。ありがとうございました。



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