平成十一年七月二十一日(水曜日)
午前九時十四分開議
出席委員
内閣委員会
委員長 二田 孝治君
理事 植竹 繁雄君 理事 小此木八郎君
理事 小林 興起君 理事 萩野 浩基君
理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君
理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君
越智 伊平君 小島 敏男君
佐藤 信二君 谷川 和穗君
近岡理一郎君 虎島 和夫君
桧田 仁君 平沢 勝栄君
堀内 光雄君 矢上 雅義君
河村たかし君 藤村 修君
山元 勉君 倉田 栄喜君
石井 郁子君 児玉 健次君
中路 雅弘君 深田 肇君
笹木 竜三君
文教委員会
委員長 小川 元君
理事 栗原 裕康君 理事 小杉 隆君
理事 塩谷 立君 理事 増田 敏男君
理事 藤村 修君 理事 山元 勉君
理事 富田 茂之君 理事 松浪健四郎君
岩永 峯一君 大野 松茂君
奥山 茂彦君 倉成 正和君
佐田玄一郎君 下村 博文君
高鳥 修君 高橋 一郎君
中山 成彬君 渡辺 博道君
田中 甲君 中山 義活君
池坊 保子君 西 博義君
笹山 登生君 石井 郁子君
山原健二郎君 濱田 健一君
粟屋 敏信君
出席国務大臣
文 部 大 臣 有馬 朗人君
国 務 大 臣(内閣官房長官) 野中 広務君
出席政府委員
内閣総理大臣官房内政審議室長 竹島 一彦君
内閣法制局長官 大森 政輔君
内閣法制局第二部長 宮崎 礼壹君
内閣総理大臣官房審議官 佐藤 正紀君
文部大臣官房長 小野 元之君
文部省初等中等教育局長 御手洗 康君
文部省教育助成局長 矢野 重典君
文部省体育局長 遠藤 昭雄君
委員外の出席者
内閣委員会専門員 新倉 紀一君
文教委員会専門員 岡村 豊君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出第一一五号)
――――◇―――――
○二田委員長 これより内閣委員会文教委員会連合審査会を開会いたします。
先例によりまして、私が委員長の職務を行います。
内閣提出、国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。
本案の趣旨の説明につきましては、これを省略し、お手元に配付の資料をもって説明にかえさせていただきますので、御了承をお願い申し上げます。
これより質疑に入ります。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。
―――――――――――――
○小川委員長 次に、石井郁子君。
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
国民の間で初めて、国旗・国歌をどうするのか、議論が始まったところでありまして、その議論を通して日の丸・君が代にさまざまな思いが語られていますし、これを法制化するのは拙速だ、とんでもないという声も今や多くなりつつあるわけでありまして、世論は動いているという状況だというふうに思うのです。こういうときに今国会でこの法案の成立を図るということは断じてやるべきではないということを私はまず最初に申し上げて、質問に入りたいというふうに思います。
きょうは主に教育現場の強制という問題について私は質問をさせていただくわけですけれども、この点は、今国民の間でも、また地方公聴会、中央公聴会等々ございましたが、その中でも、大変危惧の声が多く聞かれました。今国民の最も心配な点になっているかなというふうに思うわけであります。
さて、その第一問ですけれども、国旗・国歌の問題が教育の現場でどういう形で問題になるのかといえば、私は、端的に入学式、卒業式で式次第に掲げるかどうか、そして、一斉に起立をし斉唱をするかどうかということだろうというふうに思うのですね。
そこで、国旗の掲揚とか国歌の斉唱、一斉起立とか斉唱ということがやはり内心の自由にかかわる問題であるのかどうかということなのです。その御認識をまず最初に伺っておきたいと思います。大臣。
○有馬国務大臣 学校における国旗・国歌の指導は、児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるために行っているものであるということは、たびたび申し上げたとおりでございます。
学習指導要領に基づく国旗・国歌の指導は、憲法、教育基本法に基づき、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者としての国民を育成することを目的として行っているものでございまして、憲法に定められている思想及び良心の自由を制約するものではございません。
○石井(郁)委員 もう少し絞って私はお願いをしたいと思っているわけですが、要するに、国旗・国歌問題、一斉起立、斉唱ということは、これは内心の自由にかかわる問題なのだ、そういう性格の問題だというふうにとらえていいでしょうか。これははっきりイエスかノーかでお答えください。
○有馬国務大臣 先ほどお答え申し上げたとおりでございまして、教えること、学習指導要領に基づいて教えるということは必要であると思っています。
○石井(郁)委員 私は、今は、教えるかどうかのことは聞いていないのですね。国旗・国歌ですから、やはり拝礼とかあるいは敬意を表する、そういう部分があるわけでしょう。その問題として、これは内心の自由という問題にかかわる性格を持っていると思いますが、いかがですか。
○御手洗政府委員 学習指導要領は、あくまでも、各学校におきまして児童生徒に指導すべき事項を学校あるいは教員に対して指導上の基準という意味で示したものでございまして、その効果は直接児童生徒に及ぶものではございません。
したがいまして、児童生徒が具体の指導の場面においてどのような行為を行い、それに対する学校のあるいは教員の対応がどのようなものになるかということによって、先ほど来幾つか御指摘ございましたように、外形的に精神的な苦痛を与えていくとか、長時間にわたって精神的な苦痛を与えるような指導が繰り返されるとか、そういったような行為が伴う場合は別にいたしまして、通常の教育課程の指導計画に従って児童生徒に指導していくこと、あるいは具体的には卒業式、入学式の場で起立あるいは国旗への敬礼を指示するような号令を加えていくこと、これ自体をもって内心の問題に立ち入る問題ではないものと考えているところでございます。
○石井(郁)委員 私は、やはりそういう理解は到底納得できないのですね。
つまり、指導課程だということですけれども、算数の掛け算を教えるということは、一回教えるか繰り返して教えるかで問題にはなりません。それこそ無理強いさせたらこれは問題ということはあるかもしれませんが、それにしても、掛け算を教えるということ自身は内心の自由に抵触するという問題ではないでしょう。
国旗・国歌の問題、日の丸・君が代問題というのは、やはり一斉起立、一斉掲揚、斉唱という形をとるわけですから、それは内心の自由にかかわる、そういう性格の問題でしょう。そこをはっきりさせてください。
それは、あなた方は既にこの議論でも、あなた方はというか、この委員会でもやはり内心に立ち入って強制するものではないということで議論されているじゃないですか。ということは、内心の問題にかかわる問題なんだということをお認めになっていることでもあると私は思うのですけれども、それは一応はっきりさせていただきたいという意味で質問しているわけであります。
○御手洗政府委員 具体の指導の場面におきまして、内心の自由の問題にかかわるような学校教育活動の具体的な場面が全くないということはあり得ないと思います。
そういうことのないように十分教育的な配慮をしなければならないと思っておりますが、例えば歴史の学習あるいは文化や伝統に対する学習、さまざまな個人の歴史観あるいは価値観というものにかかわる学習というのは、国旗・国歌にかかわりませず、学校教育は小学校から高等学校までさまざまな面であるわけでございますので、いずれの場面におきましても、そういった指導すること自身が憲法に定められた内心の自由の問題に直ちになるということではなくて、具体的な指導のあり方、場面に即して、いずれの場合においても全くあり得ないかということにつきましては、それはあり得ないわけではないというぐあいに理解をしているところでございます。
○石井(郁)委員 どうもその辺があいまいにされるようですけれども、内心に立ち入ることはどうなのか。これは、立ち入ったことになるのか、立ち入らないことになるのかということで議論されているわけですから、この問題はそういう性格の問題だということをやはりはっきりさせるべきではないかというふうに私は思うわけです。
では、質問いたしますが、無理強いさせてはだめだ、先ほども長時間ではだめだとかいうことを言われましたが、では、一回ならよくて繰り返したらだめだ、こういう仕分けというのはなぜできるのでしょうか。
○御手洗政府委員 いずれも、学習指導の場面と申し上げましたように、再々繰り返しておりますように、個々具体の学校ないし教師の指導場面にかかわるものでございまして、そのことが内心の自由にわたるか、あるいは教育上不適切な指導であるかということは、一概にはここでケースを特定して申し上げるわけにはいかないわけでございますけれども、一般的には、一回であるとか二回であるとかいう回数の問題ではなくて、あくまでも子供との関係におきます指導の内容によって、不適切な指導か、教育上合理的な指導として認められる指導であるかということは分かれてくるかと思います。
いずれにしても、具体的な場面場面で判断するほかないわけでございまして、私どもとしては、いずれの教育指導の場面におきましても、教育的に不適切な指導が行われてはならないということは大原則でございますし、さまざまな場面を通じまして、教師の研修等の場面あるいは学校に新規に採用されました後の校長等の指導等におきまして、十分そういった点は留意しながら、教師の指導力の向上というものに努めてまいっているところでございます。
○石井(郁)委員 何が適切か適切でないかだとか、そういうことはいろいろとあるようですけれども、今、その問題ではなくて、やはり内心の自由というものをどう理解するかということを私は問題にしているわけであります。
それで、ではちょっと別な観点でお聞きをしますけれども、一般論として、憲法十九条、思想、良心の自由、これを侵してはならないという問題ですけれども、内心を表明しない自由、これはその解釈としてございますよね。この内心を表明しない自由は保障されていると思いますけれども、一応御見解をお聞かせください。
○御手洗政府委員 憲法の理解といたしまして、内心にとどまる限りは、それは絶対的に保障しなければならないもの、私はそう理解いたしております。
○石井(郁)委員 それだけではちょっと不十分じゃないでしょうか。私が今聞きましたのは、内心を表明しない自由は保障されているのかということなんです。もう少し突っ込んで言えば、沈黙の自由ということですけれども、そういう御理解はございますね。
○御手洗政府委員 そのとおりだと思います。
○石井(郁)委員 私は、入学式、卒業式という場面で問題にしているわけでございまして、局長の方も先ほど来、指導が適切かどうかということで出されておりますので、具体的にお聞きしたいというふうに思います。
学校行事の入学式、卒業式などでは一律の起立、斉唱ということが行われているわけですね。そうなりますと、一斉にということになりますと、やはり君が代に対してはいろいろな思い、価値観、良心等々がございます。それを、だから歌わないということを行為で表明しなければならないということになるわけですね。私は、これは一種の強制だというふうに思うのです。
日の丸・君が代については言うまでもなくいろいろ戦前からの思いがありますし、とても歌えない、歌いたくないという子供たち、学ぶにつれてそういう子供たちも当然出てくるわけですし、父母の方だってそうだと思うのですね。また、宗教上の理由などであるとも思います。そういう価値観等もいろいろございます。
だから、思想や価値観にかかわる根拠のある問題として、やはり一律の起立、斉唱を義務づけるということは無理があるし、子供たちにも父母にも内心の表明を迫ることになるのじゃないか、君が代に対する考えを表明させることになるのではないかというふうに私は思うのですが、いかがですか。
○御手洗政府委員 あくまでも教育指導上の課題としてそういった儀式を行うということでございまして、単に、御指摘のように、児童生徒が自己の内心の信念あるいは良心というようなものに基づきまして、具体的に歌わないあるいは起立をしないということにつきまして、そのことが学習指導要領から直ちに何らかの法的効力を及ぼすということは一切ないわけでございまして、そういった子供に対して事後どういった指導をしていくかということにつきましては、あくまでも教育指導上の課題として現場にゆだねられるということでございます。
○石井(郁)委員 局長はどうも指導がお好きなようでして、すぐ指導の絡みにされるのですが、私が伺っていますのは憲法十九条のこの沈黙の自由という問題なんですね。これは基本的人権ですし、やはり民主主義の根本だというふうに思うのですよ。
これはもう言うまでもありませんけれども、それぞれがどんな思想を持っているか、それを口外または沈黙する自由は認められる、それから、権力を用いていかなる思想を抱くかを強制的に告発せしめ、または口を緘せしめることはできないというのは注解日本国憲法の話ですね。どの憲法の通説を見てもその点はあるわけです。だから、それぞれがどういう思想を持っているか。それは子供であれ親であれ、みんな、教師でもそうですけれども、国家権力がそれを露見させる、それを強制することはできないでしょう。それは先ほどお認めになったとおりですね。
では、君が代はやはり、決めて、歌いなさいということは、それぞれが判断を迫られる、自分の思いを表明しなければいけない、そういう場面に立たされるわけでしょう。これは、憲法のこの沈黙の自由に反するのじゃありませんか。そこを聞いているのですよ。指導の問題じゃありません。
○御手洗政府委員 そういった場面におきまして、当該児童生徒が憲法の思想、良心の自由ということを意識してそういった行為を行うということは当然あるかと思います。したがいまして、あくまでも強制にわたらないということが肝要でございまして、先ほど申し上げましたように、事後に精神的苦痛を伴うような指導を行うとか、あるいは他の児童生徒に対して個別具体の名前を挙げながら適切でないというような、そういう教育的に見ても適切でないような指導を行い、それが児童生徒に心理的な強制を与えるといったようなことであれば、これは許されないものと考えております。
○石井(郁)委員 私は、事後のことを言ってないんですよ。その場面で既に強制されることになりませんか、自己の内心を表明する、表明させられる、そういうことになりませんかと言っているわけでございます。
ちょっと局長、同じことですから、文部大臣はいかがでございますか。
○有馬国務大臣 学習指導要領は、学校すなわち校長や教員に対しての指導の基準でございまして、直接、児童生徒に対して拘束力を持つものでありません。
学校における教育のあり方としては、国旗・国歌の指導に従わない児童生徒がいる場合、あくまでも穏やかに教育指導上の課題として受けとめて指導を進めるという態度が必要であると考えております。仮に、児童生徒がその信念に基づいて指導に従わなかった場合には、国旗・国歌のみならずさまざまなことにおいて同じようなことが起こると思うのですが、しかし、児童生徒が国旗・国歌について正しい認識を持って、それを尊重する態度を身につけるよう繰り返し指導を行うということが必要になるかと思っております。
○石井(郁)委員 やはり全然お答えになっていませんね、残念ですけれども。
私は、その子供たちに後でどう指導するかとかそういう話を聞いているのじゃないんですよ。内心を表明するという場をつくられる、一人一人がそこを問われる、これ自身がそれぞれの見解の表明ということになるんだ、しかし、これは沈黙の自由からして許せないのじゃないかと言っているわけです。
やはりそういう場面をつくるという、立たなかった人は君が代に対して一定の考えを持っているということの表明になるわけでしょう。これは、一斉起立、斉唱というのはある面で思想調査ではありませんか。思想調査なんですよ。あの人はあそこで立たなかった、親も立たなかった、こういうことをわざわざつくるわけですよ。そういうことになる。
思想調査ではありませんか。こういうことは許されますか。大臣、そこをお答えください。
○有馬国務大臣 私は、国旗・国歌のみならず、さまざまな場合にそういうことが起こると思います。将来、例えばあることを国として決めていく際に、その子供が、自分は国の考えに従わないというふうなこともあり得ると思う。さまざまな場合があります。しかし、これは、その子供なりその親なりがやはり責任を持って考えるべきでありまして、あくまでもその個人の問題だと思っております。
○石井(郁)委員 全然話は違うんですね。それはもちろんそうですけれども、わざわざ学校という場で、あるいは国の規定としてというか、今度は法的根拠を持たせるわけでしょう。そういう形で、その学校の儀式がいわばそれぞれの思想の告発の場になる。そうでしょう。これは思想調査ですよ。だから、そういうことをしてはいけない。これは憲法の十九条からしてもやってはいけないことだ。
だって、私は先ほども申し上げましたけれども、権力を用いていかなる思想を抱いているかを強制的に告発せしめたりしてはならない。それは告発せしめているじゃないですか、一斉起立、一斉斉唱というのは。思想調査ですよ、間違いなく。そういう認識にやはり立つべきだというふうに私は思うのですね。
この点では、そうだと言ったらもう文部省はこの先ないでしょうから、おっしゃらないでしょうけれども、私は、憲法十九条の理解が非常に不十分だと思います。一面的だというふうに思います。これはまさに人権感覚が問われる問題でもあります。自由と民主主義にかかわる問題なんです。そういう意味で、私は、儀式としての一斉起立、斉唱ということを、これ自身が強制だと言わなければならないと思います。
では、時間もあれですから、残念ですけれども、大臣は海外の経験もいろいろおありですから、私は外国の例でお聞きしたいんです。
サミット参加国では、学校の入学式、卒業式に儀式として国旗掲揚、国歌斉唱をさせているところはないと思うんですけれども、それはどうでしょうか。国旗の分はちょっとあるかもしれないけれども、少なくとも国歌の斉唱などというのはないんじゃないでしょうか。それは、やはり価値観の違うものをそういう形で持ち込んじゃいけないという考えも背景にあるかというふうに思うんですが、こういうサミット諸国の対応についての御理解をお聞かせください。
○有馬国務大臣 アメリカのニューヨーク州の学校に私の子供が参りました。卒業式のときにはちゃんと星条旗を掲げておりましたし、それから、胸に手を当てて国に対しての忠誠を誓わされたこともあります。それからまた、金曜日ごとであったと思いますけれども、国歌の斉唱というふうなことをやっていたと思います。
ただ、御指摘のとおり、すべての国がそれをやっているわけではございません。大体、国によっては、卒業式、入学式というのはないところもあるわけであります。ですから、サミット七カ国の国旗・国歌の取り扱いについては、政府が行った調査によりますと、入学式や卒業式自体を持たないなど、その取り扱いはさまざまでございます。いずれにしても、各国においては、独自の歴史的状況等を踏まえて、国旗が校舎に常時掲げられたり、授業の中で国旗・国歌の指導を行うなど、それぞれ独自の取り扱いがなされていると了承しております。
○石井(郁)委員 よくアメリカの例が出されますけれども、アメリカは各州ごとにいろいろ規定がございましたりして、その一部だけではとても語れません。実際にしていないところもたくさんあるわけですね。だから、アメリカの例は本当にばらばらですよ。それでもってアメリカはしているなどということにならないというふうに私は思います。
この間、いろいろな方々が新聞にも外国の例を出されているでしょう。これは毎日新聞からとってきたんですけれども、本当にこういう学校で行事としてやっているということは見たことがないということが大体の意見ですね。私は、そこに本当に日本的な問題があるかなと思うんですが、やはり国旗・国歌の問題というのは本当に公式行事に限るべきであって、学校の入学式、卒業式、こういうところで強制的に行うべきものではないということを強く申し上げておきたいというふうに思います。
次に、では学校はどうなっているのか、あるいは教職員はどういう状態に置かれているのかという問題でございますけれども、先ほど来出ておりますように、一九八九年の学習指導要領で「指導するものとする。」ということにされましてから、学校は大変重苦しいものになりました。そこで、教師は、教師になると内心の自由が認められないという異常な状態がつくられているわけであります。
この点につきましては、さきの広島での公聴会で、全日本教職員組合の広島支部の委員長高橋さんがこのような陳述をされました。
教師に指導を強制することは、必然的に子供への強制につながらざるを得ません、それは教育の営みとして避けられない現実なのです。また、教師がみずからの思想、良心を偽って子供の前に立つことほど惨めなものはありません、みずからの教育的良心を偽ることを強要されることは教師たる資格を剥奪されるに等しいことですというふうに言われました。
私は本当に胸が熱くなる思いなんですけれども、それでは一体、教師の内心の自由というのは認められるのでしょうか、お答えください。
○有馬国務大臣 繰り返しになるかもしれませんが、学校は児童生徒の発達段階に即して教育を施すことを目的とするものでございまして、校長や教員は、関係の法令や上司の職務上の命令に従って教育指導を行わなければならないという職務上の責務を負うものでございます。
学習指導要領におきましては、各学校の教育課程の基準として、法規としての性質を有するものでございまして、各学校においては、学習指導要領を基準として校長が教育課程を編成し、これに基づいて教員は学習指導を実施するという職務上の責務を負うものでございます。
一般に、思想、良心の自由は、それが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならないということは繰り返し申し上げているとおりでございますが、それが外部的行為となってあらわれる場合には、一定の合理的範囲内の制約を受け得るものと解されております。校長が学習指導要領に基づき法令の定めるところに従い所属教職員に対して本来行うべき職務を命じることは、当該教職員の思想、良心の自由を侵すことにはならないと考えられます。
○石井(郁)委員 教師が職務上のいろいろな仕事を遂行しなければいけないというのはそうなんですが、しかし、私は、ずっと伺っていますのは、憲法上の基本的人権、思想、良心の自由は教師も当然認められるべきことでございますね。しかし、今問題になっているのは、指導要領によって、また今度の法制化もそういうことにつながるのではないかと言われているわけですが、現場の先生方は、やはり、教師としての、あるいは人間としてのと言ってもいいと思うんですけれども、良心という問題が、本当に奪われているという実感を持っていらっしゃるわけですね。口に出して議論もできないとか、そして態度も表明できないだとか、いろいろあるわけです。
これは、ある先生が投書の中で書いておられましたけれども、納得のいかないことに意見一つ言えない、そういう現実は認められるだろうか、子供には一方で伸び伸びとか個性豊かにとか自分の意見を持ちなさいと言うけれども、教師は全く自分の意見が言えないんだということを言われていました。これはそういう投書として御紹介するんです。
そこで、教師の責務ということを言われましたので、私は、その点でぜひはっきりさせておきたいことがございます。それは、これもまた教育基本法十条の理解にかかわるわけですね。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」教育基本法ですから、この精神で日本の教育も戦後やってまいりましたし、これからも進めていかなければなりません。では、この「不当な支配」というのはどういう支配のことを言っているんでしょうか、お聞かせください。
○小野(元)政府委員 この学習指導要領は、先ほど来御答弁申し上げていますように、学校教育法、さらにはその委任を受けた施行規則等の委任を受けて、法規としての性格を持っているものでございます。したがって、学習指導要領に従って教職員がそれについて児童生徒に対して指導するということは、もちろん職務上の責務としても行わなければならないわけでございまして、こういったことが教育基本法第十条に違反するものではないというふうに考えております。
○石井(郁)委員 学習指導要領のことを、本当にそれだけをあなた方は根拠にして言われるわけですね、学校現場をそのように指導する、やってもらいたいと。私は、もう時間がありませんのであとは午後に回しますけれども、学習指導要領で一九七七年で初めて君が代を国歌としたわけですね。それで八九年で「指導するものとする。」というふうにしました。
この七七年に国歌ということが入った経緯というのは、極めて不可解なものなんです。教育課程審議会で一度も議論されなかった。突如としてこれが入ってきた。文部省が入れたんじゃないかと言われているわけですね。だから、本当に国民的な議論とか合意もなくやってきた経緯がいろいろある。そういうものを盾にして、これがあるから従えということにならないでしょう。
それで、私は、先ほど質問したのは、不当な支配に屈してはだめだ、ここには実は深い意味があるんですよ。まさに戦前の教育行政の反省に立った問題があるんですね。やはり権力が介入しちゃいけないということなんじゃないですか。行政が介入してはいけないということがこの意味じゃないんですか。午後にはそこから質問させていただきますので、以上で終わらせていただきます。
○小川委員長 石井委員、お答えは午後でよろしいですね。
○石井(郁)委員 午後にします。
○小川委員長 はい、わかりました。
午後一時から連合審査会を再開することとし、この際、休憩いたします。
午前十一時五十分休憩
――――◇―――――
午後一時七分開議
○小川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を続行いたします。石井郁子君。
○石井(郁)委員 では、引き続きまして、残りの部分で質問をさせていただきます。
ちょうど切れたところは、教師の責務をどう考えるかという問題だったかと思いますし、私は、国民全体に対して直接に責任を負って行われるという教育基本法の十条がその責務を示しているというふうに考えるものですけれども、文部省は指導要領に従って指導を行うんだということを先ほど来強調されますので、私はあえて、この教育基本法の十条の、不当な支配に服してはいけない、ここが今大変大事になっているという問題でちょっと申し上げておきたいことがございます。
それは、教育基本法が立法、作成された当時の田中耕太郎文部大臣、後にこのように書いていらっしゃるわけです。
田中文部大臣は、教育権の独立という原則を出されたわけですけれども、それが不当な政治的及び行政的干渉の圏外に置かれるべきことを意味すると。従来の、というのは戦前ですけれども、我が国の教育が政治的にあるいは行政的に不当な干渉のもとに呻吟した、教育者はその結果卑屈になり、教育全体が萎縮し歪曲せられ、その結果、軍国主義及び極端な国家主義の跳梁を招来するに至ったというふうにありますように、やはり政治的、行政的に不当な干渉をしてはいけないのだということが、私は、この十条でしっかり押さえられなければいけないというふうに思うわけであります。
その上で、そういう立場で考えますと、この国旗・国歌問題で言えば、私は、文部省と教育委員会の学校現場への介入というものは非常に重大な問題となっているというふうに考えるものであります。
それで、私は一例を申し上げたいというふうに思います。
時間が短いためにパネルにしてきたのですけれども、こういう調査票というのがあるんです。
これは、大阪府の枚方市の教育委員会がつくったものですけれども、各学校に対して、一月十九日以降二月十九日までの間、国旗・国歌に関する反対行動はどのように行われたか、いつ、どこで、どのように行われたか、発言者、発言内容をできるだけ詳細かつ具体的に書いてください、それでこういうふうに書くようになっているわけです。これを提出するわけです。
どうですか、こういうことがやはり行われているという実態、これはまさに教師への内心の自由を侵害した思想調査ではないかというふうに私は思うのです。こういうことが行われているという問題について、どうお考えになりますか。こういう調査を私はやめるべきだと思いますけれども、大臣、いかがお考えでしょうか。
○矢野(重)政府委員 お尋ねの調査につきましては、私ども承知しておりませんので、具体的なコメントはできませんけれども、基本的な教員のあり方として申し上げたいわけでございますが、学校におきましては、教員は、関係の法令や上司の職務上の命令に従って教育指導を行わなければならないという職務上の責任を負っているものでございます。各学校におきましては、学習指導要領を基準として校長が教育課程を編成し、これに基づいて教員は教育指導を実施するという職務上の責任を負うものでございますので、そういった観点に立って、教育委員会が必要な指導を行うことはあり得るものでございます。
○石井(郁)委員 いや、はっきりしてくださいよ。こういうことがいいんですかと聞いているのですよ、建前の話じゃなくて。こういうことがある、やっているのですよ、これは実物ですから。これをお認めになるのですか、文部省は。
○矢野(重)政府委員 申しわけございませんが、私ども具体に、今先生の御指摘の調査につきましては全く承知していないものでございますから、それにつきましては御容赦いただきたいと思います。
○石井(郁)委員 きちんと調査してください。私はもう名前も挙げましたので、お願いします。
ここでは、この教育長は校長会で言っているのです。国旗・国歌を一体のものとして今年度の卒業式から実施するようにと指示をしています。これは、校長の生命線にかかわる、校長のあかしとして国歌斉唱を行え、こういうことを言っているのですよ。こういうことは決して一つではありません。あちこちで行われていると見なければいけません。
それで、こういう調査を行うような根拠となっているのが、私は文部省がつくっていると思うのですよ。文部省は、この資料にもございますように、八九年、指導要領から調査をしていますよね。国旗・国歌の斉唱がどうなっているか、実施率がどうかという、この実施率調査ですよ。この調査が、やはり各県に督励をし、そして学校へ指示を出すということになるのですね。
この調査というのは本当にひどいものだと私は思いますけれども、この実施率を上げるためには職務命令も出すという形でやっている。これはまさに日の丸・君が代の押しつけそのものじゃありませんか。文部省の調査はやはりこういうことをつくり出していると言わなければなりません。こういう文部省の調査もこの際やめるべきだというふうに私は思いますけれども、そういうお考えはございませんか。
○御手洗政府委員 御指摘がございましたように、文部省としては、学習指導要領に定められている入学式におきます国旗・国歌の実施状況が各学校においてどのように行われているかということにつきまして、各都道府県並びに指定都市教育委員会を通じまして全国の状況を把握しているということは御指摘のとおりでございます。
各学校におきましては、何よりも学習指導要領自体に基づきまして、この調査のあるなしにかかわらず、教育委員会並びに学校においては、入学式、卒業式が適切に行われ、また、国旗・国歌の掲揚、斉唱がきちんとした形で行われるということは学習指導要領自体が求めているところでございますので、私どもは、その結果がどうなるかということを客観的に調査し、また、ひいてはそのことによって、なぜ各学校において、入学式、卒業式における国旗・国歌の指導が適切に行われていないか、そういった点についての客観的な事情も十分把握し、それをもとに各都道府県、指定都市教育委員会に対しまして指導をする、そういった指導等もするために調査をしているわけでございます。
何分にも、このような調査自体をしなければならないという現場の状況をどう変えていくか、そういう問題自身もあるわけでございまして、こういう調査を行わなくても一〇〇%ということであれば行う必要もなかろうかと思いますけれども、いまだに一部の地域、学校において、国旗・国歌の指導が、とりわけ入学式、卒業式をめぐって困難な地域、学校が一部にあるということも事実でございますので、今後とも適宜適切な調査をさせていただきたいと思っております。
○石井(郁)委員 私は、やはりそういう御答弁を聞きますと、本当に文部省というのは画一化が好きなんだなと思いますよ。統制が好きですね、あなた方と思いますね。
こういうやり方というのは、本当は戦前に否定されたものじゃないのですか。その文部省の調査では、君が代は斉唱したかどうか、斉唱しなかったか、メロディーだけ流したか、斉唱もせずメロディーも流さなかったか、やはり細かくあるわけでしょう。文部省がこういうことをやるために、教育委員会が競って、そして校長にさらに押しつけをしていく、学校を暗くしていく、こういうことになっているわけでしょう。この文部省の姿勢をやはり変えてもらわなくちゃだめなんですよ。そこは私、まず厳しく指摘をしたいというふうに思います。
きょうは、この押しつけ問題でいいますと、もう一点取り上げたいことがございます。それは、ことしの広島のまさにあの事件につながるものだからであります。
この広島での強制という中身で、自民党の実は統制というか、押しつけというか、これも異常にあったのですね。一部は新聞にももう報道されていますから御存じだと思いますけれども、私たちというか、議員の皆さん方は、卒業式、入学式に来賓としていらっしゃることが多いわけですね。
これは広島の県議の方が卒業式に出席したときに、その卒業式はどうだったか、報告をする用紙があるわけですね。それは、式次第の中に国歌斉唱が盛り込まれていたかとか、掲揚はあったかとか、その掲揚もどういうものだったかとか、君が代は斉唱されたかとか、これも文部省と同じですよ。斉唱か、メロディーのみか、なかったかとか、それからさらに、起立した、しないというのもあるし、その中には、起立した、しない者がいた、全く起立させなかった。だから、本当に、これでいうと思想調査そのものになるような中身でしょう。
それから、校長の式辞についてもあるのですね。「校長が式辞の中で、過去の戦争責任や戦争における日の丸の役割についての話しはなかったか」、この校長先生の話の中身に立ち入っての検閲あるいは調査じゃありませんか。
こういうことを、自民党の県議の皆さんが公立高校四十校を回って集約をしている、学校名を書いて調査を行っている。やはりこういう圧力のもとに学校が異常なことになっていくわけですよ。やはりこれも思想調査でしょう。
先ほど私は申し上げましたよ。学校への不当な支配、これに服してはならないというのが学校でしょう。それが教育じゃありませんか。全く二重、三重に不当な支配をこの日の丸・君が代問題でしているんじゃないですか。文部大臣、どうお考えですか。
○御手洗政府委員 広島県議会の議員団の方々がどういう行動をされたかということにつきましては、私ども承知し得る立場にないわけでございます。
不当な支配というのは、何ら権限のない外部の方々が一定の強制力、圧力をもって学校の教育や行政に介入するということであろうかと思いますけれども、一般に、地域の住民の方々あるいは県議会も含めまして、地域における学校あるいは県内における学校においてどのような教育が行われているかということについて、関心を持ち、それに対しさまざまな形で意見を表明するということは当然あろうかと思うわけでございます。
広島県におきましても、昭和六十年以来のさまざまな経緯を踏まえて、とりわけ昨年以降、県内におきますさまざまな学校におきます教育指導上の問題、あるいは教職員の管理の問題というようなものが取り上げられまして、国旗・国歌の卒業式、入学式におきます扱いも含めまして、県議会でもさまざまな御議論が交わされ、教育委員会としてもそれに誠実に対応してきたという経緯があるわけでございますので、具体的な事情について承知いたしておりませんけれども、それぞれの立場で学校教育に対しましてさまざまな御意見を表明されるということはあろうかと思いますし、また、そのために、それぞれのお立場で、強制にわたることのないよう実態を調査するということも当然あろうかと存じております。
○石井(郁)委員 文部省、本当にそういう姿勢だったら、私はやはり日本の教育というのは守られないなというふうに非常に思います。
きょうは、卒業式、入学式の問題でやってまいりましたけれども、やはり、入学式は最初の授業、卒業式は最後の授業、学校では子供たちの成長を祝うということでいろいろな取り組みをしているわけでしょう。ところが、最近は、儀式にふさわしくないという形でもって、やはり子供たちよりもこの日の丸・君が代が真ん中に来るという形で、随分変わってきているのですね。それはもう随分学校から聞くわけであります。
私、官房長官がいらっしゃるということにもつながるわけではありませんけれども、京都の小学校の話を聞きました。これは、卒業式として式にふさわしくないということで、五つの項目でいろいろ教育委員会が指導をしているということで、まず、学校の卒業式というのは対面で式をするということがございますけれども、それは日の丸に背を向けるからやめるべきだということが一つ。それから、よく、子供たちが卒業生代表としていろいろ決意を述べたりすることがありますが、子供は何を言い出すかわからないので、卒業生が自分の将来の決意を述べるのもだめだ。それから三つ目は、卒業式ではなくて卒業証書授与式なのだから、名前にさんや君をつけちゃだめだ。それから四つ目には、元号を使用するという、西暦の使用はだめ。それから五つ目は、君が代は歌詞の意味や歴史的意義には触れないで大きな声で歌うこと。こういうことを、五点セットと言っているそうですけれども、教育委員会がこういう指導をするということまであるわけです。
私は、こういうものを見ますと、まさに学校の式を儀式とするという発想、これはもう戦前ですよね。戦前と同じですよ。ないのは御真影と教育勅語ですよ、本当に。明治、小学校はそこから始まったんですから、君が代もそうして学校で押しつけられてきたわけですから、これは歴史の事実でしょう。
私は、こういう画一性、学校の自主性も奪うような、教育活動の創造性も奪うような、こういうことをやるということがやはり問題だと思うんです。この点も、文部省は、京都の教育委員会のこういう五点セットというのを御存じですか。
○御手洗政府委員 入学式、卒業式におきます指導につきましては、文部省といたしましては、入学式、卒業式が学校生活に有意義な変化や折り目をつけ、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機づけにかなうという観点から、そういった意義を踏まえて指導を行うようにしているところでございまして、そういった意義を失わないという方法である限り、具体的な式のあり方というものについては、設置者である教育委員会あるいは学校にゆだねられているものでございまして、具体的にそのような教育委員会の指導内容について、一つ一つ承知いたしておりません。
○石井(郁)委員 文部省の方針のもとで、現場は、実態はこういうことになっているんだ、それをあなた方はもっと直視すべきですよ。そして、それを認めるのですか、認められないでしょう、こういうことが広がっていくというようなことは。教育の条理にも反するでしょう。
私は、やはり、午前中の議論にもいたしましたけれども、式に日の丸とか君が代、やはり敬意を表するかどうかという行為を伴うわけですから、内心の自由にかかわってくるのですよね。立ちたいという人もそれはいるでしょう。立ちたくないという人もいる。それがこの問題なんですよ。
だったら、この問題の解決というのは、強制ではなくて、これはもうやめる以外にないのですね。あるいは、本当に学校の、地域の自主的な判断に任せていく、これ以外にないわけですよ。子供も教師も、そして父母も含めて、やはり内心の自由を侵してはならない、こういう立場に文部省はきちっと立つべきだ、このことをはっきり答弁できますか。
○御手洗政府委員 あくまでも教育指導上の課題として指導するということでございまして、それが内心の自由に立ち入るというような教育のあり方は好ましくない、当然そのように思っております。
○石井(郁)委員 あと、きょうは官房長官にもおいでいただいているわけですが、最後に一問伺いたいと思います。
先ほど、私は、自民党の広島県議団の、これはもう事実ですから出しました。それで、これはぜひ、官房長官としてこういう動きをどのようにお考えになっていらっしゃるのか、これは本当にやめるべきだというふうに思いますが、そのことが一点。
それから、官房長官は、指導要領の法的根拠だけでは弱い、だからこういういろいろな教育現場の混乱が起こる、法制化したらその混乱はなくなるというようなお考えをお述べになっていらっしゃるわけですけれども、私は、どう考えても、この問題にはやはり内心の自由がかかわっているし、法的根拠があるなしで反対、賛成の問題が出ているんじゃないんですね。やはり内心の自由にかかわるからこういうことは強制できないという問題で私たちは言ってきているわけです。
それと、日の丸・君が代というのは、もう何度も出ていますように、とりわけ教育の関係者にとっては、やはり戦前の、この戦争と結びつくわけですよ、学校が侵略戦争への天皇賛美の舞台になったわけですから。教育者としては、やはりそれはどうしても曲げることのできない一線だと思うのですね。
こういうことがある限り、絶対、現場では、教師たちはさらに法律と教育者の良心とのはざまで一層の苦悩が始まるんじゃないでしょうか。もし苦悩がないとしたら、それはもう問答無用に従えということしかないわけです。そういうことを押しつけるつもりですか。最後にお聞かせください。
○野中国務大臣 広島県の実情について御指摘がございました。御承知のように、去る二月、広島県の世羅高校の石川校長がこの問題をめぐりましてみずからの命を絶たれたというまことに痛ましい事件が起こったわけでございまして、全国すべてがこのような状況であるわけではございませんけれども、広島県は少なくとも異質であります。
それは、国旗や国歌のありようについて教育現場でそれぞれの問題があったということは、全国的に多くの問題が委員御指摘のとおりありました。現在もなお、その問題で悩んでおるところもありますけれども、総体的に落ちついてきたわけでございます。
広島県は、教員組合とそして校長との交渉の中に、全国的ではありませんけれども、広島の解放同盟はその交渉の中に入るわけであります。そして、国旗・国歌がやられることそのものが人権差別に通ずるということを言われるわけでございます。
これをやれば差別だと言われたら、管理者である校長は職務命令との間のはざまに入って苦しまざるを得ないのでありまして、人間が、おまえがこれをやれば差別だと言われたら答えようのないそういう事実を、私は、広島の非常に異常な問題として考えていただき、広島の県議会が、また、そのことについて、県下の教育委員会現場のありようについて関心を持つのも、当然のことであろうと思うわけでございます。
そういった幾つかの交渉の中で挙げられますことは、指導要領というのはあるけれども、国旗・国歌についてはどこに法的根拠があるんだ、こういうことが尋ねられるわけであります。そのとき、その法的根拠について、それぞれ答えられないで、また、はざまに落ちて苦しむのが学校管理者の現状であることは、私も京都においてよく承知をしてまいりました。
それだけに、第二、第三の石川校長を出さないためにも、また、この国旗・国歌について法制化をするという根拠を持たせてあげることが、これからの現場のありようとして求めるべき道であろうと考えたわけでございます。
○石井(郁)委員 私は、もう質問時間が参りましたけれども、しかし、広島の例だけをもって今回の法制化の根拠とするというのだったら、余りにもちょっと特殊過ぎます。これは全然、今回の法制化を提出した根拠にはならない、理由にはならないということをちょっと申し上げて、もう時間が参りましたので終わりたいと思います。
ありがとうございました。



Copyright(C)石井郁子事務所 2001
本サイト内のテキスト・写真等全ての掲載物の著作権は石井郁子事務所に属します。
リンク希望の方は、お手数ですがメールにてお知らせください。
石井郁子トップページはこちらから