145-衆-内閣委員会-12号
1999年07月16日
石井郁子議員 質問部分 会議録


平成十一年七月十六日(金曜日)
    午前九時十一分開議
  出席委員
   委員長 二田 孝治君
   理事 植竹 繁雄君 理事 小此木八郎君
   理事 小林 興起君 理事 萩野 浩基君
   理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君
   理事 河合 正智君 理事 三沢  淳君
      越智 伊平君    小島 敏男君
      佐藤 信二君    橘 康太郎君
      谷川 和穗君    近岡理一郎君
      桧田  仁君    平沢 勝栄君
      堀内 光雄君    矢上 雅義君
      河村たかし君    藤村  修君
      山元  勉君    倉田 栄喜君
      中村 鋭一君    鰐淵 俊之君
      石井 郁子君    児玉 健次君
      深田  肇君
 委員外の出席者
        参考人(元長野五輪儀典アドバイザー)       吹浦 忠正君
        参考人(作曲家)   中田 喜直君
        参考人(國學院大學文学部教授・文学博士)     阿部 正路君
        参考人(京都産業大学日本文化研究所所長)     所   功君
        参考人(全日本教職員組合中央執行委員長)     山口 光昭君
        参考人(東京大学名誉教授)(フェリス女学院大学名誉教授)  弓削  達君
        内閣委員会専門員       新倉 紀一君

本日の会議に付した案件
 連合審査会開会に関する件
 参考人出頭要求に関する件
 国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出第一一五号)
 派遣委員からの報告聴取
    午前九時十一分開議
     ――――◇―――――

○二田委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。
 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 本案審査のため、本日、参考人として元長野五輪儀典アドバイザー吹浦忠正君、作曲家中田喜直君、國學院大學文学部教授・文学博士阿部正路君、阿部参考人はちょっと電車の都合でただいまおくれておりますけれども、ただいま参ります。京都産業大学日本文化研究所所長所功君、全日本教職員組合中央執行委員長山口光昭君及び東京大学名誉教授・フェリス女学院大学名誉教授弓削達君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――

○二田委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いします。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、吹浦参考人、中田参考人、阿部参考人、所参考人、山口参考人、弓削参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただき、次に委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
 それでは、吹浦参考人にお願いをいたします。

○吹浦参考人 ただいま委員長から御紹介いただきました、長野オリンピックの儀典アドバイザーをしておりました吹浦でございます。
 私は、我が国の国旗・国歌を法的に明確にすべきであるという立場から、まずもってこの国旗・国歌法案に賛成であるということを申し上げ、参考人としての公述をしたいと存じます。
 国旗・国歌は、国の公式制度の主要なものとして、きちんとした形で整備すべきであるというのが私の基本的な考えでございます。今お話もしたように、私はオリンピックにも関係いたしましたが、一九六二年、昭和三十七年に、高柳賢三先生を会長とする憲法調査会の中央公聴会におきまして、当時青少年団体代表として公述したことがございますが、その際にも私は、国旗を憲法で規定すべきであるという見解を述べ、この調査会の最終報告書にもこれは記載されております。三十七年を経た今日でも、この考えは変わっておりません。今国会で本院に設置の決定を見た憲法調査会においても、ぜひその方向で検討をしていただきたいとお願い申し上げます。
 私はこれまでに、世界と日本の国旗につきまして三十を超える出版物にかかわり、また、一九六四年、昭和三十九年の東京オリンピック、また昨年二月の長野でのオリンピック等で、専門家として組織委員会への参画を要請され、各国旗のデザインの決定や制作に当たりましたが、いずれの場合におきましても、その際一番当惑したのが日本の国旗についてでありました。
 すなわち、日の丸のデザインや色をどうするかということでございます。結果だけを申し上げますと、我が国で開催されました東京、長野両方のオリンピック、両方とも私自身が旗をつくったのでよく覚えておりますが、それぞれ異なったデザインの日の丸を掲げることになったのでございます。
 日の丸のデザインにつきましては、大別して、これまで五つの種類のものがございました。太政官布告第五十七号、同じく六百五十一号、そして仮に永井一正型と申しましょう、それから日本航空型、全日空型と申し上げておきます。この五つでございます。
 今回の法案は、そのうちの六百五十一号型の日の丸が、デザイン上日本人に一番なじんでいるものとして提案されているものと私は理解しております。賛成しております。
 いま少し詳しく申し上げますと、御承知のように、一八七〇年、明治三年、日の丸について二つの太政官布告が出されました。まず、一月に商船に掲ぐべき国旗としての太政官布告第五十七号が出されまして、この布告は、実寸で旗のデザインを、つまり何丈何尺何寸という数字でございますが、それで旗を表記しております。
 これを幾何学的に整理いたしますと、旗面の縦横の比率でございますね、これは言葉がないもので、私は縦横比という表現で、自分でつくった言葉ですが、縦横比と表現させていただきますが、これが七対十。そして、何と円はさお側の、仮にこっちがさおとしますと、さお側に横の百分の一だけずらすという、これは各国旗の中でも大変不思議な指定と申し上げるほかありませんが、それで円の直径が縦の五分の三というものを決めております。これは明治の人の一つの美学だったのかもしれません。ちょっと解釈に無理があるかもしれませんが。
 次いで、この明治三年の十月、今度は軍船で用いる国旗についての太政官布告第六百五十一号が出ました。これは、縦横比は今度は二対三で、円の中心は対角線の交点、つまり旗面の中心、円の直径は縦の五分の三というものでございます。
 今、簡単に数字で申し上げましたので若干おわかりにくかったかと思いますが、要するに二つの太政官布告で異なるデザインの日の丸が誕生したのでございます。このため、以後デザイン上の混乱が続き、今日に至っております。この間、国旗の法制化への動きは少なくとも四回あったと言えましょう。
 最初の具体的な動きは、昭和の初め昭和六年、一九三一年の二月、当時本院の議員でありました石原善三郎さんという方が大日本国旗法案というものを提出しております。衆議院は三月二十五日、これを可決いたしました。このとき石原議員は、前年六月、文部省から内閣に国旗の制式について問い合わせたのに対し、国旗の寸法は差し当たり太政官布告の五十七号に定むるものの比率に準拠することを妥当と認むるとしたが、国定教科書では日の丸の縦横比を二対三にしている、国旗のデザインが法制上あいまいになっているからだということを理由にして、デザインの明確化を求めたことを法制化の意義として述べておるわけでございます。
 この石原議員の提案に成る法案の日の丸は、太政官布告六百五十一号と同じものであったわけでございます。しかし、この年の四月、浜口内閣が総辞職し、九月には満州事変が勃発するなど、激動の内外情勢の中でこの国旗法案は審議未了、廃案となりました。そして、やがて衆議院は解散、この議員は大阪の選挙区で落選してしまいまして、この国旗法はとんざしたわけでございます。
 戦後、最初に国旗の法制化が検討されましたのは、一九六二年、東京オリンピックを前にした昭和三十七年のことでございます。当時の総理府に設けられました公式制度調査会が国旗・国歌、元号、国名の呼称など公式制度を研究調査し、東京オリンピックを前に世論の関心も高まりましたが、国会への法案提出までには至りませんでした。しかし、このときの公式制度調査会の調査が、国会図書館によるその前後の調査研究と相まって、今回の法案作成に当たっても大いに活用されているようにお見受けいたしております。
 三回目は、一九七三年、昭和四十八年、時の田中角栄首相が突如として国旗法制化を政治マター化させたときでございます。しかし、このときは、今回と違いいかにも唐突で、またしかもその本音が日の丸を強制的に掲げさせるというようなところもあり、世論の賛同を得るには至らず、立ち消えとなりました。
 四度目もまた突然の動きでした。七党一会派による細川護熙首班の連立政権の時代、今回私を推薦してくださいました自民党の一部の方が法制化を図ろうと発言したことがございました。ただ、このときは、いささか動機不純といいましょうか、国旗法によって連立政権内にあっていまだ日の丸を認めていない日本社会党を政権から分離させて、その政権を瓦解させようとしたとしか思えないようなものでございまして、日の丸を政争の具にしたと言うほかなく、私は大変残念なことだと思いましたし、当時も私は、そうした形での法制化は国旗や国歌にはふさわしくない、そういうものとして反対いたしました。
 それらに比べますと、今回の国旗・国歌法案は、かなり周到に準備された、妥当な提案であると言えましょう。
 少し話を戻します。
 日本国憲法第九十八条は、すべての海軍関係の法令を失効させました。このため、六百五十一号は廃止され、日の丸のデザインにかかわる有効な成文の法令は太政官布告第五十七号のみとなりました。百分の一ずらす方です。しかし、現実には、円を百分の一ずらすといったような規定はほとんど無視され、東京、札幌、長野のオリンピックでも、またニューヨークの国連ビルや本院の屋上の日の丸もすべて、円の中心は対角線の交点、すなわち旗の中央に日の丸が置かれてきたのであります。今回の法案で、円を旗面の中心に置くとし、また日の丸のデザインをはっきりさせるため五十七号の失効を織り込んでいるのは、こうした実態にかんがみて、当然のことでありましょう。
 一九六二年、昭和三十七年、オリンピックを前に、永井一正、この方は現在日本グラフィックデザイン協会会長という要職にある方でございますが、このほかに白井正治、有本功の三人の若手グラフィックデザイナーが、新しい日の丸を提案し、その法制化を求めました。これが三番目の日の丸であります。すなわち、縦横比二対三、円の直径は縦の三分の二、円をちょっと大きくしています、円は旗面の中心というものであり、これは、いわば六百五十一号型の円の部分を少し大きくしたものでございました。これが三番目です。永井さんらは、これによって古いイメージを払拭した新しい平和のシンボルともなることを期待したいという趣旨を発表して、提案したわけでございました。
 東京オリンピックの組織委員会では、その永井さんらの提案の採用を内定いたしまして、プレオリンピックなどで使用しましたが、最終的には、今回の法案と同じ六百五十一号型の日の丸を採用したわけでございます。
 他方、昨年の長野のオリンピックでは永井提案が全面的に採用されました。永井さんたちが掲げた提案理由のほかに、冬のオリンピックということでございますから、背景が雪で白でございまして、したがって少し日の丸の赤の面積が多目の方が適切であろうと私どもが考えたからでございます。
 ところで、我が国のフラッグキャリアである日本航空と全日空では機体の日の丸のデザインは異なっております。皆様お気づきの方も多かろうとは思いますが、日本航空の機体には、縦横比二対三、縦の十分の七の直径の円、そして永井型よりさらに大きな丸、十分の七でございますね、これが第四のタイプでございます。日本航空型。これは機体のデザイナーとしては、日本航空の機体そのものは白が大部分でございますから、そこは赤い丸をやや大きくした方がいいのではないかと考えたようでございます。
 さらに、全日空は、五十七号型をベースにして、すなわち七対十の縦横比で、旗面の中心、五分の三という円でございますが、これが五番目の日の丸でありまして、デザインの混乱は、こうしたようにさまざまなところで見られているわけでございます。
 今配っていただきました朝日新聞、サトウサンペイさんの漫画には思わず苦笑されましょうが、従来、日の丸のデザインについては、明確に法制化されていなかったことから来る混乱がこうしたところでも見られるわけでございます。今般の国旗・国歌法案が具体的にデザインを特定していることは、今後、国旗を国家の行事や公官庁、オリンピックなどで正式に用いる場合の混乱を避ける上で重要な意義があるものと私は評価いたします。
 日の丸につきましては、赤という色についてどう規定するかという問題もございます。
 諸外国には、何と光の周波数で色彩を規定しているものもございます。また、マンセル値とかブリティッシュカラースタンダード、インクの番号とかけ合わせ率、色の三要素を数表などで決めている例もございます。ただ、私は、日の丸の場合は、法律では文字によるだけの規定で十分かと考えます。ただし、将来、政令やその他でもって色の三要素を数値で定めるとか、日本工業規格、さらに国際的なスタンダードなどで表示し、これが参考とすべき標準値であるという程度に決定しておくことはあっていいのではないかと思います。
 今回の法案では、日章は紅色と表現されておりますが、白地に赤くという表現ではいけないのかなど、細かく言えば全く検討事項なしとは言えません。しかし、要はこうしたいわば付随的な事項は、今申し上げましたように現代科学を基礎とし、専門家を含む衆知を集めて別に検討すれば済むことでございます。紅色という規定は、標準とすべき色を文字表記するといういかにも日本らしいあいまいさで規定したものであり、他方、日の丸が日本の国旗であるということを世界の人々と日本国民が既に十分過ぎるほど認識し、あらゆる公式行事などで確認されている日章の色をより明確にすることが重要だと私は考えます。
 世間には、また若干の政治家の方の中にも、この際、新たに国旗・国歌を制定すべきであるという意見もあるやに聞いておりますが、私は、これには断固反対いたします。日の丸・君が代は、日本らしさを結実させ、表現したものであり、このことの重要さははかり知れないものがあります。また、日の丸・君が代にはこれまで内外で国旗・国歌として十分認められ、使用され、普及しているという実績があり、新たな国旗・国歌の制定を行う場合には、比較にならない強制を伴って、なお安定した普及ができるとは私には考えられないのでございます。
 他方、国旗や国歌の取り扱いや演奏時の態度などにつきましてはこの法案に何の規定もありませんが、私は、それはそれで結構ではないかと思っております。こうしたことは、むしろ法的に規定することを避けまして、国際的なマナーやエチケットに従えば十分であると考えるからでございます。同時に、グローバリゼーションの時代にありまして、国際的なマナーやエチケットといったようなことこそ、学校教育のみならず、社会教育、家庭教育、そういったさまざまな教育機能を通じて大いに指導、普及すべきものと考えます。
 最後になりましたが、私は、国旗・国歌の法制化に関連しまして、二点皆様に希望がございます。
 第一は、法制化によって決定されるデザインの数値と少々異なるものを排除したり、国旗と認めないといったような狭量なことは決してすべきではないということでございます。
 かつて私は、国会議事堂はもとより、首相官邸、文部省、外務省など政府公官庁の日の丸を実際におろしていただいて、実測、寸法をはからせていただいたことがございます。全部これはばらばらでした。さらにまた、無作為に各家庭で所有している五百枚の日の丸のデザインの色や形を分析調査する研究にも携わったことがございます。それらは、結果として、文字どおり十人十色と申しましょうか、多岐にわたるものでございました。それでもこの五百枚の日の丸は、いずれも日本の国旗として、国会でも官庁でも、また各企業や家庭でも、我が国の国旗として使用されているものであります。
 どうか、国会も行政も、また各職場や家庭でも、この法律のデザインや色彩に厳正過ぎるこだわりを持った取り扱いをしないようにしていただきたいものと思います。
 第二でございます。これが最後ですが、国旗・国歌法が制定された暁には、何はともあれ、国会の開閉会式、この式場で議場内に国旗を掲げ、全議員が起立して国歌を斉唱されるか、演奏されるべきものであると私は考えます。
 これは、海外、諸外国で私自身何度かそういう場面に立ち会って感動した経験から申し上げている要望でございます。国旗・国歌を実際に制定された国会議員の皆様が、その国旗・国歌を国権の最高機関である国会の議場内で用いず、小中高等学校などの講堂で行われる入学式や卒業式においてのみ国旗を掲揚し、国歌を歌えと指導するのはいかがなものでございましょう。まず隗より始めよということを申し上げて、終わりたいと思います。
 長時間、御清聴ありがとうございました。委員長、ありがとうございました。(拍手)

○二田委員長 ありがとうございました。
 次に、中田参考人にお願いをいたします。

○中田参考人 私がここに呼ばれましたのは、皆様にお配りしてある朝日新聞の記事によって、ぜひ私の意見を述べてほしいということで、きょう伺いました。
 私は、前から日の丸・君が代についていろいろ考えを持っておりましたけれども、最近は特に、法制化の問題で議論がたくさんあります。まず、大きく考えまして、日の丸と君が代を一緒に考えるんじゃなくて、日の丸は日の丸、君が代は君が代と、まず二つに分けてぜひ考えたいと思っております。
 今、吹浦さんが日の丸について非常に詳しくお話をなさいました。私は作曲家ですので、時間も余りありませんので、君が代の方についてだけちょっと申し上げます。
 大体の趣旨は朝日新聞に書いたのと同様ですが、要するに、一番問題は、歌曲、国歌というのは歌ですから、歌というのは歌詞とメロディーが合っていないといけないんですね。これはどんな名曲でもそうですけれども、日本でいえば、例えば、昔北原白秋と山田耕筰がたくさんの童謡とか名歌曲をつくりました。必ず山田耕筰は北原白秋の詩を、ちゃんと詩を読むような感じで、歌うとちゃんとその詩がわかるんですね。ところが、そういうよくわからない曲もありますけれども、特に国歌のような日本を代表する一番大切な歌が、歌詞とメロディーが合っていないということは、これは重大問題なんですね。
 私は、ここにも書きましたように、子供のときに、小学校で君が代を書きなさいといったときに、「きみがあよーわ」と歌うように書きました。これは、「君が代は」と歌わなきゃいけないのに、「きみがあよーわ」、それから「ちよにいいやちよにさざれ」、さざれで切れちゃうんですね。「いしのいわおとなーりて、こけのむうすうまーああで」、こういう歌ですから、間延びしているんですね。もうじきお相撲も終わりますけれども、最後の閉会式のときに君が代を歌うと、何だか、ぼわっとしてちっとも緊張感がないんですね。ところが音楽だけはすばらしい。これにも書きましたように、オーケストラとかブラスバンドで君が代をやると、すばらしいんですね。
 ですから、私は、君が代のメロディーはそのままにして、歌詞が問題なんですね、歌詞も政治的な意味でいろいろ問題がありますけれども、政治的な意味も持っていますけれどもあえてそれは言わないで、ともかく純粋に、歌曲として歌詞とメロディーを一致させよう。
 そうしますと、歌は、本当は詞が先にあって後でその詞に作曲するのが普通なんですけれども、最近は、メロディーを先につくってそれに詞を当てはめる。あるいは訳詞の場合ですね。外国の曲に日本の歌詞をつけるときは、そのメロディーに歌詞をつけます。その歌詞をつけるのが非常にうまい人がたくさんいまして、できたものがすごく自然に聞こえるように詞をつくる人が今たくさんいます。
 それで、国歌という一番大切な、メロディーと歌詞が合っていないのを急にえいっと法律で決めちゃうよりは、もう少し間を置いて、皆さんに相談してメロディーにいい詞をつけて、みんなが納得する、一〇〇%ということはこれは不可能で、必ず反対する人はいますけれども、少なくとも八〇%から九〇%の人が、ああこの詞ならいいやというところまでゆっくり考えて、ぜひともこんなのを大急ぎでしないで、もうちょっと余裕を持って国歌について考えていただきたいと思います。
 それともう一つ、新しい国歌を国民の歌をつくろうという計画がありまして、一九六三年に電通とか民放で、民放が主になりまして、非常に大がかりで三曲つくったんですけれども、全部消えました。だれも知っている人はいないんですね。私も一曲つくったんですけれども、私は子供用です。サトウ・ハチローさんが補作しましてつくりましたけれども、今全然歌われていないんです。
 メロディーというのは抽象的なもので、メロディーには意味がないんです。ですから、これはある程度長い間定着するというか、長い間皆さんに聞かせるというか、体に持っているものでないとだめなんですね。
 ですから、最初に言いましたように、このメロディーはとてもいいメロディーで日本的でありますし、真ん中のところはヨーロッパの、本当の、世界的に共通のハーモニーがちゃんとつくんですね。始めと終わりはハーモニーはつかないで日本風のメロディー。普通はドから始まってドで終わるのが、レから始まる。そういう特色があるので、これはそのまま残す。
 ですから、両方で妥協する。つまり、今君が代は何でもかんでも反対だという人も、歌詞が変わるからいいではないか。それから、どうしても君が代でこのままやれという人も、メロディーが残るから新しい歌詞でいいじゃないか。両方で妥協しないと、これは法律で決めたからみんな言うことを聞くというものじゃなくて、いつまでたっても反対する人は反対して、これはいつまでたっても一致しないと思います。ですから、両方で妥協して、ぜひともこのすばらしいメロディーにすばらしい詞をつけて、それで皆さんが納得するような国歌ができたら非常にいいと考えております。(拍手)

○二田委員長 ありがとうございました。
 次に、阿部参考人にお願いをいたします。

○阿部参考人 阿部正路です。
 本日の国旗及び国歌について意見を述べます。ここにお集まりくださっている内閣委員会の先生方にどれほど御参考になるか存じませんが、大層心もとないのですけれども、日ごろ考えておりますことの一端を申し述べます。
 資料をお届けいたしました。資料は、概要を記しましたかがみ一枚と参考資料を添えてございます。都合六枚になります。最初のかがみに沿いながら補足する形で、限られた時間でございますので、申し上げます。
 まず一枚目。縦だったり横だったりして大変恐縮でございますが、一枚目のかがみの部分でございます。
 まず最初の、内閣委員会国旗及び国歌に関する法律案審査会資料、「天皇は象徴、君が代は国民の世、日の丸は太陽」と題しました。話の順序はそれを逆にいたしまして、まず、「日の丸は太陽」、次に「君が代は国民の世」、最後に「天皇は象徴」の問題に移ります。
 結論を最初に申し上げます。
 私は、天皇は象徴であり、君が代は国民の世を示す歌として適当であり、日の丸は太陽を象徴するものであって、これら三つの諸要件は、いずれも現在の日本人の、国民のシンボルとして適切だ、適切といいましょうか、守り抜くべきことだろう。私は法律の専門家でございませんから、先生方にお任せするとして、法制化には賛成でございます。
 なお、私の結論をより客観的なものにするために、これから与えられた時間の中で幾つかのことを申し上げます。
 まず最初に、「日の丸は太陽」としておきました。読んでいただければおわかりいただけるので、時間の関係上省略してまいりますが、(一)に新潮社の古語・現代語国語辞典を用いたのは、このような学問的なというよりも、学問の結果としての一般的な事象を挙げましたのは、現代の日本人の普遍的な考えを代表していると認識したからであります。
 二番目に、日の丸は、日の紋は太陽をかたどったこと。二行目になりますが、日、太陽が神として崇拝されていたからばかりではなくて、その形が鮮明で見分けやすかったことが一因である、これは沼田先生の「日本紋章学」の一節でございます。大著でございますが、ごらんになった方がいると思います。日の丸と各家々、このごろ若い人はほとんど問題にしなくなりましたけれども、家紋とは密接な関係があるわけでございます。ちなみに、私の家の家紋は、一に日の丸でございます。
 なお、その形が非常に鮮明で見分けやすいことの一つの例として申し上げますと、源平盛衰記に、源義経が鷲尾に日の丸の紋の扇を与えたという記事がございます。それから第二に、これはもう皆さんよく御存じだろうと思いますが、例の那須与一が扇を射るときに、日の丸の扇ということになっております。つまり、すなわち那須与一の場合には、そしてまたあの源平盛衰記に照らして、やはりそれは大層鮮明で見分けやすいという、そこがその根本であろうというふうに私は考えています。
 第三に、これはちょっと新しいというか、見なれない例かと思いますが、原文どおり読みます。「太陽は、昼は東から西へと空をわたりながら生者を照らして活力をつけ、夜には西から東へ命の河を「太陽の舟」に乗り、生命の河にうかぶ死者を照らしながら蘇生の力を与えると古代エジプトや日本では考えられていた。」
 その証拠は、古代エジプトのクフ王のピラミッドのところで、東と西の二つの、つい最近のことでもありますけれども、言ってみれば、昼の太陽と夜の太陽が発見されました。日本では熊本の珍敷塚、それから、福島の古墳の中にも、この太陽の舟を刻み込んだのが出土といいましょうか、残されておりまして、明らかに太陽は、時に舟に乗る。最も重要なことは、生きている者も死んでいる者も照らし出すということでございます。すなわち、すべての命へ、すべての生命へ向けての暗示がそこにございます。
 「君が代は国民の世」に移ります。
 「君が代もわが世も知るや磐代の丘の草根をいざ結びてな」この「君」は舒明天皇、作者は中皇命。中皇命については、学問的にいろいろな問題がございます。天皇になり切れない方であるとか、あるいは初めから天皇に予定されている方などと、学説はいろいろございますけれども、客観的に言いますと、ここに示しましたように、この古歌の場合の中皇命は天智天皇の御母、舒明天皇の皇后であり、後の斉明・皇極天皇のことを指します。
 見てのとおり、「君」も「わが」もほぼ同格として表現されている。つまりは、一緒に草の根を結ぼうという気持ちをうたい上げている。「代」は「よ」で年齢、寿命をいうというふうにここに記しましたが、さらに加えていただきたいのは「世」です。「代」と「世」は「よ」で、平仮名の「よ」ですが、年齢、寿命をいうということであります。「よ」はいろいろな意味を持つ、根底に深く結び合い合いながら。
 第二の(二)を申し上げます。
 「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣あやに著欲しも」これは、万葉集の巻十四の東歌の常陸の国の歌、ここに記したとおりでございます。「君が御衣」は歌のとおり、どこまでも夫あるいは恋人を指すことは明瞭でございまして、東歌はいずれも民衆の歌でございます。したがって、ここに歌われている夫も、それからこの作者も、あるいは恋人、いずれも、当時の言葉で言えば民衆、今の言葉で言えば国民ということになると思います。それを意味している。「君が」は、明らかにそのことを意味しているということが証明されます。
 次の(三)でございます。「武蔵嶺のを峰見かくし忘れゆく君が名かけて我を哭し泣くる」この歌の意味は、武蔵野の山、その山の姿がだんだん遠ざかっていく、あるいは意識から忘れていく。しかし、忘れてならないものがある。それが忘れられるようであれば、「哭」というのは声を立てて泣くことでありますが、大事なものが忘れられた場合には声を上げて泣く、そういう意味でございます。そして、この場合の「君が」も作者も同格であるということですね。
 さらに大事なことは、ここにおきますところの武蔵嶺というのは、この巻十四の東歌の相模の国の歌の「或る本の歌」ですから、「或る本の歌」というのは正式に認められない歌と言っていいでしょうか、万葉集の歌の数がいまだに定まらないのは、「或る本の歌」をどうするのか、あるいは似たような歌を一首、二首と数えていいのかどうかといったような問題、さまざま含むわけでございます。
 ここで明白なのは、この本歌、原歌というよりも、認められた歌は「相模嶺の小嶺見退くし忘れくる妹が名呼びて吾を哭しなくな」こういう歌でして、非常によく似ている。ほとんど意味は同じですね。ただ違うのは、武蔵嶺というのと相模嶺というのがはっきりと違う。万葉集では相模嶺の方をとって、武蔵嶺の方を副としたわけです。この場合、ではこの嶺はどういう山なのか。御存じのとおり、大山でございます。したがって、神奈川県から見た山、それから東京の方から見た山ということになりますね。
 つまり、見ている人の立場によって言葉が変わってくる。その人の立場立場によって、同じ大山であっても、人によってはそれを武蔵嶺と言う、また人によってはそれを相模嶺と言う。また、万葉集の編者についてはいろいろと問題のあるところですけれども、編者は、この場合は相模をとって武蔵を次にしたということですね。そういう問題がここに明白になっているわけであります。
 (四)でございます。「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」まさにこのことが今問題になっているわけでございますが、ここに、私の先生でもある柳田先生の「生石伝説」、ある岩、石が生えて成長していく伝説、大分古い時代の「太陽」の、明治四十四年の御論考から一節を引きました。
 少し長いので、ポイントだけを申し上げますと、貞観十六年のこととしてまず記されていることです。そして、君が代の歌のできたのは、あたかもおおむねこの時代であると言われていること、つまり、貞観十六年ごろに君が代の歌が成立したということですね。これは余り話題にならないことですけれども、大事なことであります。
 なぜ大事かというと、この貞観年間というのは、いつどういうときなのか。一つだけ例を挙げますと、この貞観十六年の前の年、言うまでもなく貞観十五年でございますけれども、そのときのさまざまの記録を読んでみますと、渤海の国の人が天草にやってくる、あるいは唐の国の商人が肥後、北九州にやってくる、あるいは対馬に漂着した新羅人を帰国させたといったような記録が残っているわけです。つまり、当時のすべての外国と言っていいでしょう、アメリカなどはなかったわけですから。そういったときに、外国のことが非常に意識されるころに、君が代という歌が正しく歌われているということですね。この事実も見逃すわけにはいかないだろうと私は思います。
 注釈として米印にしておきましたが、「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」、これすなわち薬師如来の御詠歌なるべし云々ということ。それから、その次には、揖斐川石の小さなさざれ石が大きな石へと合体すること。そのことについては、所先生の資料を今拝見したら、岐阜県の御出身でもいらっしゃるようなので、そのことが記してございました。それをごらんいただければいいのですが、石は成長するのでございます。
 その辺のことは、この「子規庵追想」、二枚目の参考資料を読んでいただければありがたいのですが、特に二百十一ページのところ、そこに、十二代の成務天皇のころには、このさざれ石というのは人の名前でございます。先ほども中田先生から音楽についての御指摘がありましたが、私はここに、「さざれー」と息をのんで「石の」と言うのが間違いだということを言っているわけですね。さざれと石は分解できないのです。さざれ石という一つの名詞であるわけですから、それを分けるのはやはりどうにも私はおかしいということをここに書いているわけです。
 それから、さらに言いますと、この成長する石、それはどこにあるのかといいますと、例えば明治神宮にございますし、それから千鳥ケ淵の戦没者の慰霊を祭っているところにもございますので、ごらんになった方はいると思います。当然、揖斐川石が産地でございます。
 時間がなくなったので、少し早く言います。
 その次の二の(五)「呉竹のよよの竹取野山にもさやはわびしき節をのみ見し」これは、竹取物語の蓬莱の玉の枝のところにございますが、「よよ」は代々とか世々などを意味することを書いてございます。それから、節は節目の節でございます。それを意味するのです。
 これはもう繰り返さないことにいたしますけれども、竹取物語では五人の人が求婚しますが、実際は七人が求婚することになっていて、それは天皇です。しかし、竹取には天皇とは書いてない、みかどと書いてある。これは一体どういうことかといえば、竹取物語の登場者の文字には大層中国風の発想がある。秦の始皇帝などの皇帝につながるそういう発想があるということが見逃せない。現実に、竹取物語には漢文体の作品といいましょうか、漢文体のものもあるわけであります。
 (六)に移ります。
 これは古今和歌集の歌で、しばしば問題になっているので繰り返す必要がないかと思います。「千世にやちよ」の「や」は無限大を意味すること、たくさんのこと。例えば、神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝元と続きますところの、神武から崇神天皇までの間に欠史八代というのがございまして、あの八人の天皇は何をしたのかさっぱりわからないんですね。そこであの八人の天皇は存在しなかったという説がある。
 しかし、そうではなくて八ということはすごく大きな数、無限大でございますから、書くことができないほどたくさんの問題を含んでおるということが一つ。それから、数限りなく永遠に続いた一時期があったということですね。それを認識しておく必要があるだろうというふうに思います。
 あとは、和漢朗詠集の詩句などはここに引いておきました。
 そして、この(六)の後ろから二行目、長生殿の不老門の前には日月のめぐりが遅い。「日月遅」とありますのは、一日一日、月々がゆっくり行くということは、結果的には老いないということですね。不老長寿のことを言っているのです。その問題。
 それから、三に移ります。「天皇は象徴」ということであります。
 (一)についてはもう何も言うことはございません。日本国憲法第一条にございまして、私は、これは当然大事なことであり、守り抜くべき問題だろう、私どもはむしろ責任を持って守り抜くことだろうと思っております。
 三の(二)の万葉集では、天武・持統朝においても、天皇あるいは皇、大君なのか、君ということが揺れ動いていて、まだ決まっていないということですね。「大君は神にし座せば天雲の雷の上に廬せるかも」とは人麻呂の歌でございますけれども、そのときですら、あのとき初めて天皇という言葉が定着しているというか、記録に残っているという事実を申し上げたく思います。
 昨年、韓国で国際会議が開かれまして、私はそのときのことを、横書きの「日本文学の発生」のところの必要な部分だけをコピーしてございますのでごらんいただければと思いますが、そのときに、アジアは一つということを申しました。私は一九三一年、昭和六年生まれ。私よりも少し前の人、あの前後の人々は、岡倉天心のアジアは一つという言葉を、アジアは一つでなければならない、したがって、日本が中心になって、代表になって多くの国々を治めていくんだというふうに治められました。つまり、聖戦の思想でございます。
 私は、それは違うだろうということをここに言っているわけです。アジアは本来一つなんだ、なければならないんじゃなくて、本来一つ。本来一つであるならば、各アジアの一つ一つの国の独立性、あるいはその中の本質は一体何かということを見抜く必要があるだろう。それが今回のここの内閣委員会での問題のポイントではないだろうか。私は、それをやはり天皇であり、それから君が代であり、そして日の丸だろうというふうに考えているわけでございます。
 最後になりましたが、三の(三)、百二十五代に及ぶ天皇の歴史は、十代あるいは五代ごとに大きな変化を見せる。これは「天皇と日本史」というかなり厚い本の私が記した序文の中の一節でございまして、孝明、明治、大正、昭和、今上陛下と続きますが、孝明天皇の百二十一代、近代の夜明けでございます。百二十二代、これが近代のまさに夜明けでございまして、以後、今上陛下は真昼の時代に立ったと言っていいでしょうか。これもちょうど百二十一、百二十二、百二十三、百二十四、百二十五というところに大きな変化があります。そのことは別のところに記しておりますし、ここでは繰り返す必要がないのですけれども。時間があれば申し上げたいのですが、時間がないので省略いたしますが、ここでの結論は、先ほどの、最初の結論は無論変えません。
 もう一つは、この百二十五代という天皇の時代は、百二十五代の連綿として続いた天皇の系譜の中で、五代、十代で非常に大きな変化があるという事実ですね。決して数字合わせではございません。まさに百二十五代が非常に……

○二田委員長 阿部参考人に申し上げますけれども、時間が超過していますので、結論を急いでください。

○阿部参考人 はい、もう五秒で終わります。この百二十五代のときにおいてこそ国旗及び国歌に関する問題が真剣に討議されていることに私は心から感謝したいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

○二田委員長 ありがとうございました。
 次に、所参考人にお願いをいたします。

○所参考人 失礼いたします。京都産業大学の所功と申します。よろしくお願いいたします。
 私は、日本の歴史と法制を研究しておる者でございますが、このたびの国旗・国歌法案の内容を慎重に検討させていただきましたが、結論を先に申せば、全面的に賛成であります。
 私は、十年ほど前、「国旗・国歌の常識」というタイトルの書物をまとめたことがございます。その際、日本の日の丸・君が代だけでなくて、ただいま意見陳述をされました吹浦先生や、あるいは作詞家の高田三九三という現在御高齢で御健在の先生の書かれました「世界の国歌全集」というふうなものを参考にさせていただきまして、世界の国旗・国歌についても随分勉強いたしました。それを通じて私なりに再確認し得たことは、三点ほどございます。
 第一は、現在二百近い独立国家にはほとんど特定の国旗と国歌がございます。もし自分の国をあらわすことのできる特定の国旗や国歌を持たないならば、それは独立国家としての要件を欠いていることにもなりかねません。
 第二に、それらの国々では、自国の特色を象徴する国旗と国歌について、ほとんど何らかの法的な措置をとっております。また、その様式や扱い方などを法律で明文化している例も少なくありません。
 第三に、どの国旗も国歌も、その国の誇りとする歴史や風土、また多くの国民が信ずる宗教、さらには現在の政治や社会の特性などを端的にあらわしております。ですから、国旗・国歌によりそれぞれの国柄をよく知ることができます。
 これを我が国について顧みますと、第一に、日本は今や世界有数の独立国家ではありますが、敗戦後の占領下で、日本においては日の丸掲揚を制約され、また君が代斉唱をタブー視された、そんな影響もあってか、現在も一般に国旗・国歌への関心が必ずしも高いとは言えません。しかも教育界などの一部に、日の丸・君が代をマイナスイメージばかり強調し、これをあえて否定しようとするイデオロギッシュな運動がいまだに根強く行われております。
 第二に、しかし、大多数の世論は、日の丸を日本の国旗とし、また君が代を日本の国歌と認めております。さらに、戦前も戦後も世界の国々がこれを当然のごとく公認しております。したがって、かような大半の世論と長年の慣習を踏まえて日の丸・君が代を日本の国旗・国歌として明示するこのたびの簡潔明快な法律を制定することは、十分根拠がございます。
 第三に、しかも、歴史と法制の両面から見て、この日の丸と君が代こそ我が国の千数百年に及ぶ伝統文化をあらわし、また現行憲法下における日本の国柄を示すことのできる最も適切な国旗・国歌だと言ってよいと思われます。
 このうち、第三の点につきましてもう少し説明を加えさせていただきます。御参考までに、先生方のお手元に図版資料のコピーが一枚配られていると思いますので、随時ごらんいただきたいと思います。
 まず、日章旗、すなわち日の丸は、何よりも日本という国号を如実にあらわしております。しかも、世界で最もシンプルなデザインだと思います。
 大昔、我が国は中国から東夷とさげすまれ、倭と呼ばれていました。しかし、七世紀の初めごろ、遣隋使が中国へ持参した国書には、日出るところと記しており、また倭と称されることを嫌って、みずから日の本、すなわち日本と書く国号を用いるようになったとほかならぬ中国の正史に伝えられております。
 その「日」は、先ほど来お話がありましたように、太陽でありましょう。地球上の万物に光明をもたらす太陽を丸印であらわすことは世界に多く見られます。しかし、それを金色や黄色ではなくて明るい赤色、いわばライジングサンレッドであらわすのは、あるいは日本的な特色と言ってよいかもしれません。しかも、それが平安時代から中世、近世を通じて、扇や旗などに広く使われてまいりました。
 そこで、幕末に至り、ペリーの艦隊が来航した際、薩摩の島津斉彬が提案し、水戸の徳川斉昭に協力を得て、安政年間、当時の政府である江戸幕府は、白地に日の丸旗を日本総船印、御国総標というふうに定めました。
 これが、単に船の旗ではなくて、当時から日本を代表する国旗だと認識され、現に機能しておりました。
 これはお手元の図版資料を見ていただきたいのですが、例えば、文久元年、西暦の一八六〇年ごろ出版されました「世界輿地全図」とか「官許 新刊輿地全図」の挿絵を見ますと、日の丸が何と大日本国旗と明記されておる点からも明らかでありましょう。これは先生方の方に回覧してございますが、これが当時の地図でございます。(地図を示す)世界地図にいろいろな旗を挙げて、日本の旗が大日本国旗ともう一八六〇年ころに明示されております。これは市販の地図でございます。
 それゆえに、明治の新政府も、旧幕府の方針を引き継いで、明治三年、一八七〇年、日の丸を御国旗と確定し、布告しております。これは、明治維新が先人の歴史否定にのみ走りがちなレボリューションではなくて、むしろ伝統の本質継承に努めたレストレーションだと評価される一例かと思われます。
 一方、君が代を見ますと、歌詞と曲から成っておりますが、これまた両方とも日本の伝統的な文化と国柄をよくあらわすまことにユニークな国歌だと言ってよいと思われます。
 この歌詞の原歌は、最前来御説明もありましたように、十世紀の初めに勅撰された古今和歌集の中に賀歌、つまり祝い歌としてそのトップにおさめられております。その冒頭は、当初「我が君は」でありましたが、ほどなく「君が代は」という表現に改められております。それが平安時代から中世、近世を通じて、さまざまな形で中央、地方に広まり、各界各層の人々に親しまれてまいりました。恐らく百人一首以上にポピュラーな国民歌謡であったと言ってよいでありましょう。
 それゆえに、明治三年、外交儀礼の必要から初めて日本の国歌をつくる際も、相談を受けた大山巌は、平素から愛唱していた薩摩琵琶歌の「蓬莱山」に引用されている君が代を歌詞に選んだというふうに伝えられております。
 その薩摩琵琶歌には「目出たやな君が恵みは久方の」「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで命ながらへ」「尭舜の御代もかくあらん」云々とありますから、この文脈に見える「君」は、江戸幕府時代であってもなお京のみかどを指していたと思われます。
 事実、大山巌も、英国の国歌にゴッド・セーブ・ザ・キングという歌がある、我が国の国歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壌無窮ならんことを祈り奉れる歌を選ぶべきであるというふうに言いまして君が代を推薦したとみずから語っております。
 ただ、この歌詞に対して英国人のフェントンのつけた曲は、評判よろしきを得ず、数年後に廃止されてしまいました。そして、明治十三年に至りまして新しい君が代曲がつくられたのであります。
 そのいきさつは少々複雑でありますけれども、大事なことは、第一に、歌詞として引き続き君が代を用いたことであります。第二に、原楽譜は、宮内省伶人の林広守らがつくった雅楽調の壱越調律旋であることであります。第三に、その編曲は、ドイツ人エッケルトが原譜を尊重しながら吹奏したり斉唱しやすくしていることであります。
 しかも、これが当時から国歌だと認識されていたことは、エッケルトのサインした吹奏楽用の総譜の表紙に「国歌君が代楽譜」と書かれておりますし、また、お手元の図版資料にもありますように、明治二十一年、内外に交付された「大日本礼式」にもドイツ語で日本の国歌と記されている点からもうかがわれます。
 このように、国歌君が代の歌詞は、最も伝統的な国語表現である五七調の和歌であり、しかも敬愛する君の長寿と繁栄を祝い祈る賀歌に由来いたします。また、その曲も、日本的な原譜に基づいて西洋風に編曲されたものであります。
 したがいまして、音楽の専門家の間でも、例えばオペラ歌手の林康子さんは、ある新聞に「すばらしい歌だ。雅楽の旋律で、詞も和歌から引いており、これだけ独特の伝統文化が国歌に生かされているのは、世界にも類がない。」というふうに高く評価されております。
 さて、今回政府は、君が代の歌詞につきまして、日本国憲法のもとでは天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の繁栄と平和を祈念したものという統一見解を示されました。これは従来の歴代首相や文部大臣らの国会答弁及び文部省の学習指導要領解説指導書にあった説明とほぼ同じ趣旨でありますが、それを一段と明確にされた意義はまことに大きいと思われます。
 何となれば、現行憲法が最も重要な第一章に「天皇」という章を設け、第一条で「日本国民の総意に基く。」と定めた象徴の天皇は、もちろん単なる私人ではありません。その第二条に「皇位は、世襲」と定められた天皇は、大和朝廷以来百二十五代にわたる歴史を受け継がれ、まさに日本国及び国民統合の象徴として、内閣の助言と承認により多様な国事行為などの公務を御在位中いつも国家国民のために行わなければならない純然たる公人であります。
 そのことは、今先生方のお手元の図版資料を見ていただきますと、今の憲法ができましたときにつくられましたポスターにも、国事行為がそのような位置づけで示されております。
 したがって、我が国では王朝時代にも武家時代にも歴代の天皇を精神的なよりどころとしてまいりましたが、この日本は、現行憲法のもとでも世襲の象徴天皇を君主として仰ぎ続ける立憲君主国と見ることができます。このような伝統を持つ日本の国柄を最もよくあらわすのが今回の政府統一見解に示されたような意味における国歌君が代にほかならないと思われます。
 なお、この君が代の後半に「さざれ石のいわおとなりて」とありますが、これも単なる文学的比喩とも限りません。
 先ほど阿部先生も言われましたように、実は、私の郷里であります岐阜県の春日村というところに、伊吹山から流れ出る石灰質の作用により、長い長い年月の間にたくさんの小石がコンクリート状に凝結した巨岩がございます。これを学名で石灰質角れき岩と申しますし、地元では、それをさざれ石と呼んでおります。平安初期の名もなき歌人も、あるいはこのような天然現象に悠久の時間の流れを感じ取って、それを賀歌の中に詠み込んだのではないかというふうにも思われます。
 私は、以上のような理由によりまして、日本の伝統と国柄を実によくあらわす日の丸・君が代こそ、日本の国旗・国歌として法制化されるに最もふさわしく、これにかわり得るものはあり得ないというふうに考えております。
 以上をもって意見陳述を終わらせていただきます。(拍手)

○二田委員長 ありがとうございました。
 次に、山口参考人にお願いをいたします。

○山口参考人 全日本教職員組合の責任者の山口でございます。
 私は、こうした意見を表明できる機会を与えてくださったことに心から感謝を申し上げます。
 さて、今日本の子供たちは、いじめや登校拒否、学級崩壊など深刻な事態は募るばかりですが、このことを国連の子どもの権利委員会では、日本の子供たちは競争的な教育によるストレスのため発達障害にさらされていると厳しく指摘をしております。こうしたときだからこそ、学校における管理職を含めたすべての教職員の一致協力と、自主的、自発的活動が重要であり、父母との信頼と協同も殊さらに大事にしなければいけないときだと私は思っております。
 ここで今問題にされております日の丸・君が代の法制化は、この困難な学校現場の状況にある子供たちとその学校を生き生きとよみがえらせることができるのか、それとも一層困難な状況をつくり出すのか、私は、そのことがこの根本には問われているのではないかというふうに思っております。
 戦後、新憲法のもとで教育基本法が定められ、同じ年の一九四七年、いち早く学習指導要領が出されるわけですが、この第一回目、次いで第二回目までは、日の丸や君が代については全く記述されておりませんでした。一九五八年の第三回目の学習指導要領で、国旗及び君が代を指導することが「望ましい」と記述されたのが初めてであります。当時はまだ、「望ましい」と記載されても、押しつけはそれほど厳しい、露骨なものではありませんでした。
 ところが、一九八〇年代の半ばから、文部省の都道府県教育委員会への指導が急速に強められ、特に一九八九年の第六回目の学習指導要領の改訂、これは今日使われているものでありますけれども、この改訂で国旗及び国歌を「指導するものとする」とされてから、事態は一変したわけであります。
 文部省は、学習指導要領を唯一の法的よりどころに、都道府県の教育長会議や担当課長会議などで、日の丸・君が代を卒業式、入学式で掲揚し斉唱する方針を徹底して指導し、その結果がどうであったか毎年調査し、指導通知を出したのか、実施されない理由は何かなど、事細かく報告させ、小学校、中学校、高等学校別に、都道府県ごとに掲揚率や斉唱率の全国一覧表をつくり、これを公にしているわけであります。私がきょういただいた資料の二百二十二ページにもそのことが全文記載をされておりますから、またごらんになっていただければというふうに思います。この膨大な今の学習指導要領の中で、異常なまでにしつこくというか厳しく取り上げられているのは、日の丸・君が代問題だけであります。
 各都道府県によって若干の差異はありますが、文部省の指示を受けた都道府県教育委員会は、市町村教育委員会や高校長に職務命令を出して、教職員に掲揚と斉唱を指示し、違反者があれば氏名と違反行為の内容を教育委員会に報告をさせております。こうして、文部省から都道府県教育委員会、市町村教育委員会を通して各学校まで指示、命令が行き渡り、卒業式、入学式で掲揚や斉唱が行われるわけであります。
 ここで最も重大な問題は、私は、管理職の方も含めすべての教職員をまさにこの指示、命令で、がんじがらめにしてしまう日の丸・君が代の押しつけの職務命令は、校長を初めすべての教職員が信頼と協力、共感で結ばれる学校づくりを根本から破壊してしまうのではないかという問題であります。
 また、日の丸・君が代が国旗・国歌として定着をしていると言われておりますが、そこには、今申し上げましたような強力な指示や職務命令、そして、この異常なまでの調査や違反者への処分という教育には最もなじまない行為や手段がとられていることは今の説明でおわかりいただけたのではないかと思います。今改めて法制化をするということは、これまで言われてきた定着をしているとか学習指導要領に法的拘束力があるなどということが実はそうではなかったのだということを、みずから証明しているものにほかならないと思います。
 私は、次に、学校への押しつけに対し教職員がどのように悩み、苦しんでいるかということについてお話をさせていただきます。
 先ほど申し上げましたように、教育委員会からの職務命令は、学校長からすべての教職員に伝えられるのです。御承知のように、卒業式や入学式は、子供たちにとっては学校生活の中で最も晴れがましい、喜びと希望に満ちた瞬間であります。教職員や父母の皆さんはもとより、地域を挙げて新しい門出をお祝いいたします。しかし、この卒業期と入学の季節は、実は教職員にとっては、一年の中で最も重苦しい、できれば味わいたくないような一瞬ともなっているのです。それは、日の丸・君が代の押しつけが、教師にとっての誇り、教育者としての生き方を根本から打ち砕いてしまいかねない問題があるからであります。
 私のある同僚は、次のように言っております。教育者は真理と真実のみに忠実であり、自分の心に偽った行動をとることほど情けないことはない。ましてや、それを生徒の前で振る舞い、そしてそのことを生徒に押しつけることは、偽善者としての二重の誤りを犯すようなものなんだ。こんなお話を聞くと、胸の裂ける思いであります。
 また、新任のある音楽の先生は、職務命令で君が代の伴奏をすることを命令されたが、個人への職務命令なので、一人だけで悩んだが、断り切れずとうとうやってしまったと悲しそうに語った顔が今でも私の目に浮かぶのであります。
 また、式を司会する担当の先生も、自分の意思に反して君が代斉唱などと言って子供たちに歌うことを強制するわけでありますから、これも大変つらいわけであります。
 管理職の校長先生たちも、大変な苦しい立場に置かれております。
 朝日新聞の三月十一日の投書に、元校長先生が書いております。校長時代、教職員との板挟みにあって、食欲もなくすほど苦悩にあえぐ人もいた。私も校長として実施する立場を貫いた。だが、自戒の念を込めて思う。現場を混乱させ、教職員との信頼関係を破壊してまでの意味が本当にあるのだろうか。こう言っているわけであります。
 今、この先生のようにかつて学校の校長さんや教頭さんであった管理職の皆さん方が、押しつけやめよ、もっと慎重審議をと陸続として今声を上げているわけであります。私は、こうした苦労をなさった管理職の皆さん方の声に謙虚に耳を傾けるべきではないかというふうに思っております。
 押しつけが強まる中で卒業式のあり方も大きく変わりました。それまで、例えば多くの小学校では、子供たちを中心に、子供たちの作品がいっぱい飾られ、子供と教職員、父母の手による心の通い合う卒業式が行われておりましたが、日の丸・君が代が強制されてからは、メーンには日の丸と君が代が掲げられて、いわゆる儀式的なものに変わってきているわけであります。
 さて、この押しつけ問題と子供たちの内心の自由について最後に述べたいと思います。
 良心の自由、内心の自由は、人間にとって最も本質的な人権であり、人間の存在と尊厳にかかわる性格のものであるから、憲法第十九条では「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と何の前置きも条件もつけず断言しているわけであります。それは、子供たちにとっても当然のことです。
 押しつけ問題で、教師にとって最も苦しい、つらい問題は、教師への強制は子供への強制につながり、子供の内心の自由を奪ってしまうという問題であります。子供の内心の自由を保障することは、人間としての人格を認めることであります。逆に、内心の自由を侵すということは、人間としての価値や尊厳を否定することに通ずるわけであります。こうしたことは、憲法や教育基本法、子どもの権利条約の立場から、特に教育上あってはならない性格の問題だというふうに思っております。例えば、小学生など小さい子供たちは、先ほどもお話がありましたが、君が代の歌詞の意味もわからないまま歌わされるわけです。発達段階からしてわからないというのは当然ですが、このわからないという自由さえも奪ってしまうわけであります。
 このように、思想、信条、良心や内心の自由は、教師にとっては生命とも言える命がけの性格の問題であるからこそ、その苦痛は並大抵のものではありません。広島の自殺されたあの校長先生の思いが胸に響いてまいりますが、教師がみずからの良心を偽って、また内心の自由を侵して子供の前に立つこと、ましてや、その上、子供の自由を奪うことほど、心のさもしい、惨めさを感ずるときはありません。私は、教育とはそういう重みのある営みだというふうに思っております。
 以上申し上げてきましたように、これまで学校という狭い空間での閉塞的な日の丸・君が代論議から、今やっと国民的な土俵にこの問題が解き放たれ、新聞紙上や全国各地の集会やシンポジウムで自由濶達に論議が行われております。私は、教職員の立場からこのことを本当にうれしく思います。
 最後に、日の丸・君が代の法制化問題について私の考えを述べて、終わりといたしたいと思います。
 第一に、特に君が代は憲法の国民主権主義とはどうしても両立しない、日の丸は過去の天皇制や侵略戦争のシンボルであり、今国論が二分されているものを法制化することには反対です。第二に、自由権的基本権の中心ともなる良心や内心の自由を侵し押しつけることは、どのような国旗・国歌であっても許されない問題だと思います。第三に、民族や国家の象徴としての性格を持つこの問題は、十分な国民的論議を尽くすべきで、数を頼りに短期間で強行するようなことがあってはならない問題ではないかというふうに私は思っております。
 最後に、大変口幅ったいことですが、一言お願いをさせていただきます。
 民族や国家の象徴や統合にかかわる問題がどうなるか、多くの子供たちやあるいは国民の皆さんが注目や関心を寄せております。私は、結論が先にありきではなくて、真剣な国民の論議を求め、国民と国会が一体の方向で判断を下すという議会制度の模範となるような大きな勇気をお示ししていただき、民族と国家のあり方について子供たちへ希望と励ましを与えていただければ大変うれしく思っております。
 以上、どうもありがとうございました。(拍手)

○二田委員長 ありがとうございました。
 次に、弓削参考人にお願いをいたします。

○弓削参考人 弓削です。私は、まず二つの点から意見ないしは感想を述べさせていただきます。
 第一は、個人的なあるいは家庭内での一つの経験であります。
 私の妻は、三人の弟妹を持っておりました。そのうちの一人、すぐ下の弟は二十そこそこの若さで死にました。戦死であります。彼と私の妻は、年も近く、幼いときからけんかをしたり猫の子のように遊んだりしまして、大変仲よくしておりました。彼らの母親の話を思い出すのですが、どっちも一歩も、一言も譲らないのですよと言って死んだ母が笑っていました。
 この弟は、当時の旧制中学から海軍機関学校を卒業しまして、まだ任官しないうちに、任官したと思っていたようですがしていないらしいのですが、航空母艦の「翔鶴」に乗り込みまして、すぐに太平洋を駆け回ったようであります。彼は、昭和十九年、一九四四年六月十九日、マリアナ沖の海戦で艦もろとも沈没しました。そして、戦死しました。
 私の中学時代の友人で海兵に行った者がおりまして、彼がサイパンのあたりで戦闘したことがあるということを聞きまして、クラス会で詳しく様子を尋ねたのですが、「翔鶴」に乗り込んでいたそういう若い見習い士官は、多分サイパン島に上陸するというようなことはなかったろう、船に乗ったまま一度も陸を見ないで死んだであろうということを教えてくれました。
 私の妻は、その弟を忘れることがどうしてもできませんでした。それが年を経るに従ってひどくなり、一つの特徴的な行動になってあらわれました。当時、今でもやっているのかどうか知りませんが、NHKテレビの放送が終わりますと、その最後に日の丸が美しくひらめき君が代の曲が荘厳に流されました。それを耳にし、目にしますと、妻は慌ててテレビを消しました。テレビから離れたところにいたときは慌てて駆け寄ってスイッチを切りました。そのうちに妻は、左大腿骨を人工骨と入れかえる手術をしまして障害者になりました。歩行が大変困難になりましたが、それでも、はうようにしてテレビに駆け寄ってスイッチを切る。それも難しいときには、消してと叫んで私に依頼するのであります。
 私の妻は、思想的なことあるいは政治的なことを口にすることは全くありません。彼女は若いとき音楽学校を出まして、中年過ぎまで、幼いたくさんの子供にピアノを教えておりました。したがって、彼女のその行為の意味と理由など自分から一言も言ったことはありませんでした。私も尋ねませんでした。
 しかし、あるときふと、これは弟のことが忘れられないのだということに私は気づかされました。戦死をして、骨も帰ってこない。あるときふと言いました。道というんですが、道ちゃんは海の中にいる。私は、彼女は弟の葬式もしていない、墓もないことが強い痛みとなっていることに気づきました。そして、それが日の丸・君が代への狂気のような敵意となっていることを思いました。
 マリアナ海の海戦から五十年たった一九九四年秋、私は彼女を伴いまして、つえをついて不自由な彼女をサイパン島に連れていきました。サイパン島には美しいマリアナの海の中を見る観光船があります。もとより、「翔鶴」そのものの沈没した姿を見ることはできませんでしたが、美しく透き通った水中を心行くまで眺めることができました。そして、海の上から花を投げ入れることができました。
 そのことを境にして、NHKテレビの終わりへ示した狂気のようなしぐさはうそのようになくなりました。けれども、日の丸・君が代に対する拒否感は少しも薄れておりません。大相撲の千秋楽に流される君が代もできるだけ聞かないようにしているようです。
 彼女のような例は、私には特殊だとは思えないのであります。あるいは、我々の世代が消えていくとともに、悲痛な経験、心の深いところに残っている痛みも、世代とともに消えていくのかもしれません。けれども、戦争体験をした世代がいる限り、さまざまな形で悲しい記憶は残っております。だれも口に出さなくとも、心の奥の悲しみと痛みは日の丸・君が代とともにあるのであります。
 私は、現在大学での自分の専門の講義はしておりませんが、今ある大学で、日本に留学に来ている留学生を対象にした日本事情という講義をずっと受け持っております。内容は、日本近現代史であります。今十五人の留学生が聴講しておりますが、このほかに四人の日本人学生も留学生にまざって日本近現代史の講義を聞いてくれています。
 留学生は、ことしは韓国、中国、台湾からの者たちで、国は割に少なかったんですが、今週の火曜日、十三日の講義のときに、彼らにきょうのこの参考人の会のことを話しまして、率直な意見を求めました。
 最も活発に口を開いたのは、韓国人の学生でありました。はっきりと感情の底からにじみ出る言葉でノーを語り、それは今こそ言いたいというような思いが込められていました。中国人は、自分の生の体験ではないせいか、初めは口を開きませんでした。やがて、親とかおじいさん、おばあさんから聞いた日本軍進撃の話を聞き、そこに必ずあった日の丸の旗のことをぽつりぽつりと話してくれました。台湾出身者からは何も聞くことができませんでした。君が代のことは、その名前は知っているが曲は知らないという人がほとんどでありました。
 最後に、法制化という問題について私見を一言述べさせていただきます。
 法制化しても今までと変わらないという御説明をたびたび伺いました。かつて私の友人であったある東大教授が、大相撲の千秋楽に行って、君が代が奏されるとき、自分一人が立たなかった。それは大変な精神的な圧力を受けて、それが耐えがたかったと申しておりました。
 世論には法制化への反対は少ないと提案者は考えられておるようでありますが、沈黙の陰にこういう精神的な苦痛を受けた国民がどれほどいるのでありましょうか。日本国憲法が明言している思想及び良心の自由、要するに内心の自由を、こういう経験をした国民は奪われているということまで思いやってほしいと思います。
 思い出すままにもう一つだけ申し上げます。
 中曽根総理の時代につくられました臨時教育審議会の最終答申、一九八七年の八月、これを受けた教育課程審議会の議を経まして、八九年三月に官報で告示されました新指導要領の中に、入学式や卒業式などにおいて「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」という一句がありますが、なぜ、「指導する」という命令文ではなくて、「するものとする」という建前の言葉にしたのか。
 これについて、当時の西岡武夫文部大臣が外国人の記者団に対する講演で述べている説明、釈明は注意を引きます。西岡さんによりますと、この区別は私立学校であるミッションスクールを配慮してのことであるということでありました。この弁明は、日の丸・君が代の教育の現場における現実をかいま見させてくれます。
 つまり、儀式における君が代斉唱は、あたかも賛美歌や御詠歌のような役割を果たしているということ。日の丸を式場に掲げることは、かつての御神体や御本尊、さらには天皇の御真影への拝礼に等しいことであるということ。だから、ミッション系ないしは宗教系の諸学校には自由な扱いの余地を残したということを弁明しておられるのが記憶に残っております。ということは、そのような特別の宗教系学校以外の一般の学校では、教師、生徒個々人の思想、信教の自由への配慮がないことを問わず語りに白状しているのであります。
 また、六年の憲法学習、歴史学習では、天皇への「敬愛の念を深めるようにすること。」とされておりますが、口をきいたこともない、つき合ってもいない天皇という人を敬愛せよとは、感情の自由を無視した暴言ではないかと思うのであります。
 以上で終わります。(拍手)

○二田委員長 ありがとうございました。
 以上で各参考人からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――

○二田座長 次に、石井郁子君。

○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 陳述人の皆様には、それぞれのお立場からの御意見をいろいろお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。
 この問題は、学校現場における日の丸・君が代の扱い、とりわけ入学式、卒業式でのあり方ということが法制化の契機になっておりまして、この問題を教育のあり方、学校のあり方としてしっかり議論しておくことが、まさに教育は未来への仕事ですから、今非常に重要になっているというふうに私は考えているところでございます。
 そこで、第一に伺いたいのですけれども、これは高橋陳述人にお聞かせいただきたいと思います。
 やはり強制の問題なんですが、子供への強制はできないというのは、ほぼ全体的に語られ、合意になっているかと思うのです。しかし、子供への強制と教師への強制というのは一体区別できるものなのかどうかという問題があるかというふうに思うのですね。あるいは、国民には強制できないのに、学校には指導という名の一定の押しつけがあるというふうに私は思うのですが、それがなぜ許されるのかという問題もあるわけです。
 そこで、先ほどのお話の中にいろいろ実例がございましたけれども、やはり教育活動にとって、教師から見て、本当に自由ではないな、あるいは教師の良心を抑えてやらなければいけないというような実態、現実があるのではないか、それはどういう実態としてあるのか、もう少しお聞かせいただければというふうに思います。

○高橋信雄君 まず一つは、私たちはこんなふうに思っています。
 日の丸・君が代、国旗・国歌の問題について、その多くの論点を学校教育に絞ってされることについて、非常に問題があるというふうに私は思っています。国旗・国歌の問題を片づけることを学校教育に期待する、そういうやり方そのものが大いに間違っているのではないでしょうか。私は世界的にもそう思うのです。学校で教えなければ定着しないような国旗や国歌というものをつくること自体が問題だというふうに思うのですね。その点を一つ思っています。
 もう一つは、子供には強制できないけれども教師には指導義務を負わすのだというふうにおっしゃいますけれども、皆さん、考えてみていただけませんでしょうか。先ほども少しお話をしましたけれども、例えば校長先生が、入学式に君が代を歌わせなさい、あなた、音楽の授業で指導しなさい、そういうふうに言われたときに、私が、あるいは皆さんが音楽を指導している教師だったとしますね、歌わない子供がいたらどうしたらいいのでしょうね。いや、私はそう考えていただきたいというふうに思うのです。歌えるようにしろと言われたら、いろいろな形をとってやらざるを得ないのですよ、子供に対して。
 もう一つ、そこで大きな問題は、だって、子供というのは、それは歌わない自由があるのだから、歌わなくてもいいのじゃないかといいますけれども、その自由は大変困った言い方の自由なんですね。僕、歌いたくないよということを言わなきゃいけないわけですよ。自由というのは、沈黙の自由があるのですよ。私は嫌だということを言わないでもいいという自由があるのですね。それを、指導を受けるということになったら、子供に表明を強制するわけですね、私は嫌ですと。私、立ちませんとか、私は歌いませんとか、君が代嫌ですとか、表明を迫るわけじゃないですか。それは、そのこと自体が自由を奪っているというふうに思うのです。

○石井(郁)委員 そういうことで、法制化によって学校現場がどうなるかということが先ほど来いろいろと出されておりますので、この点で私も伺いたいわけです。
 これは岸元陳述人にぜひお聞かせいただければと思いますが、法制化で広島の石川校長のような不幸な事態が避けられる、あるいは教育の現場の混乱がおさまるというか、そういう意味で混乱を避けられるような効果が一部あるというふうにお考えのようでございますけれども、それは一体どういう事態に学校がなるということなのでしょうか。
 例えば、きのうも沖縄でもそうでしたが、けさの新聞を見ても、今は議論が始まったばかりで、国民の中には、いわば法制化をめぐって賛否激突というある新聞もございましたように、やはり、国民の中で意見が大きく分かれている。
 それから、特に君が代については、やはり歌いたくないという強い感情が国民の一部にあることは事実だと思うのですね。それから、子供たちに教えても、教えた子供たちが、やはり僕は嫌ですという子供が出てくると思うのです。
 そういうことで考えますと、私は、校長先生の苦悩というのはずっと続くだろうというふうに思うのですね。ですから、効果があるというのは、一体どういう学校を考えていらっしゃるのでしょうか。

○岸元學君 法制化したら学校はどう変わるのか。これは、現在私どもは、従来から慣習法として定着していますよ、そういう背景の中で学習指導要領は意味を持ちますよ、それで学習指導要領は最高裁の判断で法的拘束力を持ちますよ、したがって教職員は最高裁の判断には従うのが筋ですよ、学習指導要領を遵守しなくちゃいけないと。そのときに教員が、自分の主義主張によって、いや、自分はしたくないというふうなことを許したのでは、公教育は成り立たないというふうに思います。
 生徒への指導ですけれども、例えばこんな学校があります。広島県は、このたび卒業式のときに初めて国歌斉唱が実現したという学校はたくさんあります、それはもう何十年間実施してこなかったという歴史の中で。そのときに、ほとんどの生徒が素直に立った学校、それから立たなかった学校とあるわけですね。私はそれを客観的に見まして、長年その学校では実施がなかった、それで卒業式に初めて取り組んだ、そのときに、素直に生徒諸君が立っている学校、生徒諸君が立たなかった学校、一〇〇%立つとか一〇〇%座るというところは、何らかの意図があったというふうに思います。
 ところが、生徒、保護者が全員立っているのに、教員が全員座っている学校というのがあります。こういうところを考えていくと、私は、極端に言いますよ、教員は指導しなくちゃいけない、しかし、生徒の中でどうしても歌いたくないとか座りたいという子がいる、これはやむを得ないことだと思うのですが、そんなに生徒が全員が座るというふうなことはございません。かえって、逆に、教員が全員が座ることをもって生徒に座れという逆の指導、学習指導要領の真反対の指導をやっていると言わざるを得ないのじゃないか、そういうことは間違いじゃないかというふうに思うのです。

○石井(郁)委員 最後に一点だけ、高橋陳述人にお聞かせいただければと思うのです。
 学習指導要領のことがいろいろ出ておりますけれども、先ほど来出ているように、学校現場への問題というのは、やはり、学習指導要領で日の丸・君が代は書いてきたというか、書き込んできて、そして「望ましい。」から「指導するものとする。」というふうに、いわば強めてきたわけですね。だから、学習指導要領で、この日の丸・君が代問題、国旗・国歌問題がいわば突出した扱いになってきたという部分があるかというふうに思うのですね。そういう点での御見解を伺えればというふうに思います。

○高橋信雄君 私たちは、指導要領が大綱的なものとして示されることを否定するものではありません。子供たちに具体的にどう指導していくかということについては、それぞれの子供たちの実態や地域の実態に合わせて専門職である教師が判断をし、責任を持ってやっていくことだというふうに思っています。
 問題は、日の丸・君が代が、今おっしゃっていただきましたように、このことについてはその枠を大きく踏み越えて、例えば広島県教委の調査がありましたけれども、どういう歌わせ方をしたとか、意味を教えたとか、否定的な意味の教え方はしなかったかとか、そういうことまで指導要領ということの名をかりて踏み込むことは間違っている、そのことを日の丸・君が代だけに限ってやるところにこの問題の特異性があるというふうに私は思っています。
 名誉のために申し上げておきますが、その点については、県教委に指導要領というのはそういうものでしょうということで私たち話をしまして、撤回はしていただきましたけれども、そういうふうに思っております。

○石井(郁)委員 どうもありがとうございました。
 以上で終わります。


機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


Copyright(C)石井郁子事務所 2001
本サイト内のテキスト・写真等全ての掲載物の著作権は石井郁子事務所に属します。
リンク希望の方は、お手数ですがメールにてお知らせください。


石井郁子トップページはこちらから