142-衆-文教委員会-8号
1998年05月06日
石井郁子議員 質問部分 会議録


平成十年五月六日(水曜日)
    午前十時一分開議
出席委員
  委員長 高橋 一郎君
   理事 稲葉 大和君 理事 小川  元君
   理事 河村 建夫君 理事 田中眞紀子君
   理事 肥田美代子君 理事 藤村  修君
   理事 富田 茂之君 理事 西  博義君
      今井  宏君    遠藤 利明君
      大野 松茂君    奥山 茂彦君
      岸田 文雄君    小杉  隆君
      佐田玄一郎君    下村 博文君
      中山 成彬君    野田 聖子君
      松本  純君    望月 義夫君
      渡辺 博道君    川内 博史君
      中野 寛成君    鳩山 邦夫君
      池坊 保子君    旭道山和泰君
      石垣 一夫君    松浪健四郎君
      石井 郁子君    山原健二郎君
      保坂 展人君    粟屋 敏信君
 出席国務大臣
       文 部 大 臣  町村 信孝君
 出席政府委員
       文部大臣官房長  小野 元之君
       文部省体育局長  工藤 智規君
委員外の出席者
       議     員  河村 建夫君
       議     員  船田  元君
       議     員  望月 義夫君
       議     員  福留 泰蔵君
       議     員  松浪健四郎君
       議     員  小坂 憲次君
       参議院議員    小野 清子君
       参議院議員    馳   浩君
       参議院議員    長谷川道郎君
       法務省刑事局公安課長      梶木  壽君
       参考人(日本体育大学教授)      花原  勉君
       参考人(財団法人日本サッカー協会会長)       長沼  健君
       参考人(スポーツライター)      玉木 正之君
       参考人(鹿児島大学助教授)      武隈  晃君
       参考人(新日本婦人の会副会長)    高田 公子君
       参考人(大阪商業大学(社会学博士)  谷岡 一郎君
       文教委員会専門員        岡村  豊君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 スポーツ振興投票の実施等に関する法律案(第百四十回国会衆法第二一号)(参議院送付)
 日本体育・学校健康センター法の一部を改正する法律案(第百四十回国会衆法第二二号)(参議院送付)
 スポーツ振興法の一部を改正する法律案(第百四十回国会衆法第二三号)(参議院送付)
     ――――◇―――――

○高橋委員長 これより、ただいま議題となっております三法律案について、参考人から意見を聴取いたします。
 参考人からの意見聴取は、本日と明七日の二回に分けて行うことにいたしております。
 本日は、日本体育大学教授花原勉君、財団法人日本サッカー協会会長長沼健君、スポーツライター玉木正之君、鹿児島大学助教授武隈晃君、新日本婦人の会副会長高田公子君、大阪商業大学学長・社会学博士谷岡一郎君、以上六名の方々に御出席をいただき、御意見を賜ることにいたしております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いいたします。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 花原参考人、長沼参考人、玉木参考人、武隈参考人、高田参考人、谷岡参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。
 それでは、花原参考人にお願いいたします。

○花原参考人 御紹介いただきました花原でございます。
 私は、昭和十五年に北朝鮮に生まれて、引き揚げてまいりました。もともと、小学校のときには大変体が弱くて、私は小学校五年のときに大病をいたしまして、約十カ月学校を休む羽目になったわけでございます。つまり、落第をしたわけでございますけれども、その闘病生活の中で、ある日、私の父親が一冊の本を私にくれました。それは「姿三四郎」という柔道の小説でございまして、私はその小説に読みふけりながら、将来は必ず強い人間になりたい、強くなりたいという一心で、中学二年生のときに親に隠れて柔道を始めたのがきっかけでございます。人間にはいろいろな出会いがございますけれども、高校三年まで柔道を続けました。
 二年生の終わりごろに、一九五六年のメルボルンのオリンピックがございまして、現在の会長であります我らの笹原正三先生の勇姿をニュース映画で見たときに、そうだ、私のような体の小さい人間が生きる道はこの階級制のスポーツしかない、こういうふうに考えて、私は十八歳のときにレスリングの門をたたいたのが始まりでございます。そこでまた八田一朗という大変な名伯楽にめぐり会って、私はさまざまなことを先生から教わって今があるというふうに考えております。
 私ごとはこのぐらいにしまして、さて、我が国のスポーツの振興の現状を見てみますと、昨今のオリンピックでは大変成績が悪い。この前の長野のオリンピックでは大変すばらしい成績で、それによって国民は感動し、狂喜をいたしましたけれども、夏のオリンピックでは、ソウル以来大変な惨敗に終わっているということが言えます。
 私が今から三十数年前に参加をさせていただきました東京オリンピックでは、その前の一九六〇年のローマのオリンピックから四年間の間に約六十数回の強化合宿と海外遠征を繰り返して、八田先生の陣頭指揮のもとに我々は戦ってまいりました。レスリングだけで金メダルを五つ、銅メダルを一つという大変な世界一の成績を残したものでございます。
 これは、何といっても、日本人もやればできるという証明でございまして、そのときには安川第五郎という会長さんが組織委員会の会長でございまして、官民一体になり、国民が一緒になって日本のスポーツを支えよう、オリンピックを支えようということで、お金も大変ふんだんにあったようでございます。現在の数倍のお金があったと言われていますけれども、それに比べて現在の強化費は大変少ないのじゃないかと言われております。
 それから、メキシコまでは何とか東京の貯金で食いつないで、金も銀もたくさんとりましたけれども、その後がどうも、どんどんどんどん日本のスポーツは弱くなって、長期的な低下傾向にあるような気がしてなりません。日本は東京オリンピックで、ソビエト、米国に次いで、小国ながら第三位という成績を上げたにもかかわらず、現在ではかなり長期的な低迷が続いております。
 この理由の一つは、やはり東京オリンピックである程度安堵をして、安心をして、そして強化を怠った。この責任は我々にもあると思うし、国にもあるのではないかと私は思っております。選手、コーチを支える強化の基本はやはり国の方針で決めていかないと、民間の中ではなかなか強化をすることは難しい時代になっております。
 私も三十年間選手とコーチをやってまいりましたけれども、私ができたというのは、これは私のいわゆる勤めの関係でございます。大学という場におって、しかも専門的な大学の中に私はいたためにこういうことが存続できたと思います。あるいは優秀な指導者であっても、企業に入れば企業の中で、企業に役立たない人はやめてくれ、こういうふうに言われるわけでございまして、この両立は決してできるものではございません。
 それからもう一つの理由として、さまざまな社会環境の変化に伴って、子供たちの遊びや子供たちの生活、あるいは体力、運動能力も大変低下しているのではないかという原因もあります。座っ
て何でもできる。座ってパソコンができる、座って漫画を読む、座ったままテレビを見る、こういう子供を取り巻く一つの環境が子供の体力にやはり大きく影響しているというふうに私も感じます。
 それから、もう一つ私の思い出に残ることがございます。今から十年前に、私は四十八歳でございましたけれども、ソウル・オリンピックというのがございました。今から三回前のオリンピックでございます。私はそのときに強化委員長をやれというふうに命を受けて、私、微力ながらそれを引き受けました。そして、そのチームを受け取ったときに、何とまあそのチームの力がないこと、国際的に言うと二流か二流半のチームを預かりました。
 これをあと六百日後に世界のトップに持っていけるんだろうか、私は大変不安を感じて、そしていろいろ協議を重ね、さまざまな方々の努力によって、政府の力も借りながら、代々木の研修センター、オリンピック記念青少年センターの五号棟の一階を全部借り切りまして、入賞あるいはメダルがとれそうだなという選手を集めて、そこで合宿を持ちました。五百日合宿という気の遠くなるような膨大な合宿を、しかし、それをやらなければ勝てない、世界に勝てないということで、そこを拠点にしながら、海外あるいは国内を転戦しながら合宿を展開しました。
 合宿費というのは大変お金がかかります。特に民間のそういうところへ委託しますと大変なお金がかかるわけですが、その国立青少年センターを使わせていただいたおかげで、五百日の合宿は無事に成功いたしました。
 その中で、私は二つのテーマを選手に決めたのです。
 一つは、世界一になるためには世界一の練習をしよう。常に合理的な練習を、短い時間でもいいから、常に勝つための練習、世界一の練習をしようではないか。これが一つのテーマ。
 もう一つのテーマは、すべてをやり切ってソウルに乗り込もう。五百日合宿であれもやればよかった、これもやればよかったと後で言うのではなくて、五百日の合宿の中ですべてのことをやってからソウルに乗り込んで、あとは勝ち負けは別だ。
 この二つのテーマを選手に与えました。選手は、目標の設定をすることによって、徐々に向上しながら、自分の中にそれぞれの目標を持って毎日の練習を続けるようになりました。その結果、まあ運も幸いしたと思いますが、ソウルでは、我々レスリングは金を二つ、銀を二つ、それから入賞者、八位以内ですけれども、六名という計十名の入賞者を出して、どの他の競技よりもすばらしい成績を上げることができました。これは決して私一人の力ではございませんで、そういう政府の協力もあったし、さまざまなすばらしいスタッフに恵まれた関係だと思います。
 競技スポーツというものは、やはり世界的レベルの中で勝っていかなければ、その後のスポーツの振興はまずあり得ません。
 この前の冬のオリンピックで日本の選手が頑張りました。清水選手が走りました。船木選手が飛びました。特に清水選手は私と同じぐらいの身長でございまして、大変短いのでございますけれども、彼は努力と根性によって見事世界新記録を出して頑張った。そして、船木選手や荻原選手の健闘は、我々国民にどれだけの勇気と感動を与えてくれたかわかりません。そういう意味で、日本のトップレベルのスポーツが勝たない限りは、日本のスポーツの振興は絶対あり得ない、私はそういうふうに思います。
 それと同時に、スポーツは勝つことだけではございません。今からの日本のスポーツ振興の中には、生涯スポーツ、お年寄りや老人の、あるいは女子のスポーツ、子供のスポーツを含めてそういうもの、あるいはまた障害者のスポーツ、これはハンディキャッパーのスポーツでございますけれども、そういうものにも我々は手を携えて、ともに生きていくことが必要であると思います。
 一つの例を申し上げますと、私も、十数年前からボランティアというか、ボランティアと言うとおこがましいですけれども、目の見えない人のマラソンのお手伝いをしております。日本盲人マラソン協会という組織もありまして、目の見えない人が四十二・一九五キロ走るわけでございますが、ただ一人では走れません。だれかが手を引っ張って、六十センチの短いロープで手を引っ張りながら、先導をしながら走るという二人三脚のすばらしいドラマでございます。その人たちのお手伝いをしておりますけれども、本日、この中にも、小杉議員や松浪議員もその理事として、私たちの同志として一緒にそういう人たちとともにスポーツを楽しんでおります。
 ちなみに、記録を申し上げますと、柳川春己という佐賀県出身の選手はアトランタに出場しまして、二時間五十分五十六秒という我々健常者でも到底走り切れないようなすばらしい記録で世界をあっと言わせました。あのアトランタの難コースを安田享平と手をつないで、そして二時間五十分五十六秒という記録を打ち立てて、見事金メダルに輝いたわけでございます。
 あるいは、長野の冬季オリンピックの後のパラリンピックでも日本の障害者は大活躍をいたしました。一本の足であの急斜面を滑りおりる、その勇気と努力に我々は感動し、むしろ我々は、ボランティアといっても、そういう人たちから勇気と限りない自立心と努力心を学ばなければいけないというふうに思いました。
 私の三十年間のレスリング競技生活の中で、強くするためには何が必要なんだということをよく何度も考えました。あるいはいろいろな国へ行って、いろいろな施設も、いろいろな強化の体制も見てまいりましたけれども、強化には三つの原則があるわけでございます。その一つは人であります。人材がいなければ何もできない。それから物であります。物というのは、その人たちを取り巻く環境であり、その人たちを収容する施設であり、宿泊をするホテルであり、そういうものを申し上げています。この二つの、人と物を支えるものは何か、これは最後はお金なのでございます。人、物、金という三拍子そろわないところに強化の成功は絶対あり得ない、私は三十年間の体験でつくづくそういうふうに思いました。
 まず、人について申し上げますと、これはやはり一貫した強化体制、人材発掘とその育成でございます。
 我がレスリング協会も、全国に百幾つのちびっ子道場がございますけれども、そのちびっ子たちは約千数百名おります。そして、中にはすばらしい才能のある選手がたくさんいらっしゃいます。しかし、なぜか小学校で全部やめてしまうのでございます。これはなぜかというと、中学校三年間勉強しないといい学校に行かれないよということで、つまり、今度は勉強の方に入っていく、そしてレスリングを自然とやめていく、そういう形態が見られます。やはり、日本のみんなの力でその子供たちを、ちびっ子からシニアまでつなげていく一貫強化の計画が今の日本にとっては一番大切なことではないかと私は考えました。
 韓国へ行きますと、こういうことをもう既にやっております。この子はレスリングが強い、柔道が強い、この子は何々高校に行きなさい、この子は何々高校に行きなさい、この子はバレーが上手だから釜山の何々高校に行きなさい、こういうふうに重点強化の拠点校を指定して、行政ぐるみでそういうことをやっている、これがやはり韓国が急激に強くなった一つの要因ではないかというふうに思います。
 二つ目の人の問題は、やはり日本も、我々はもう引退しているわけですから、若い優秀な指導者を国ぐるみで養成する必要がある。例えば、ナショナルトレセンがまだありませんけれども、これができたならば、その中に優秀な指導者を育成するような機関を早く設置することがやはり大事だと思います。それから、若手の研修事業も、JOCが海外派遣をやっておりますけれども、やはり予算や何かの関係でこれも十分ではなく、余り
効果がないようでございます。
 次に、物について申し上げますけれども、これは当然、施設、設備、そういうものでございますけれども、日本はいまだにナショナルトレセンがないというのが現状でございまして、これは我々もう十数年前から声を大にして、いろいろな講演や体協の会議などでさんざん申し上げてきたわけでございますけれども、やはり最後は、とどのつまりは資金がないということで、この計画も全然実行されておりません。各競技団体は、その練習場の確保に極めて困難を来しております。私ども、レスリングの専用道場もございません。
 そういうことで、私たちの国はまだそういう面ではおくれている。先進国と言われる日本、それからイギリス、この二カ国がナショナルトレーニングセンターがない国だそうでございまして、ほかの国はみんなそれをそろえている。アメリカはコロラドスプリングスにすばらしい施設、韓国にはソウルの近くにテヌンという選手村、それからソビエトにはミンスクにスタイケというすばらしいナショナルチームの練習施設がございます。
 そのほか、最近の情報では、フランスやオーストラリアも、競技の低迷にかんがみて、やはりトレセンをつくらなければいかぬということで、国策、国を挙げてすばらしい広大な施設を最近完成させた、やはりそのことで競技力が非常に向上しているということが言われております。
 終わりになりますけれども、スポーツというのは、さっきも申し上げたように、勝つことだけではございません。スポーツをやることによって我々もいろいろなことを学びました。スポーツにはルールがあります。ルールを遵守することによってスポーツは始められるという、今の子供たちに大変必要なルールの徹底を、スポーツをやることによって自然に身につけられる。それから、もちろん、言い古されておりますけれども、スポーツにはフェアプレー、スポーツマンシップ、子供にあるいは人間に大切な必須の条件が幾つもあるわけでございます。
 もう少し細かく説明すると、まず人間に必要な闘争心を養う。人間から闘争心をとったらもう何もありません。人間ではなくなる。それから、勝ったことでの喜びやその感動、それから、負けた人へのいたわり、チームワーク。今子供たちに大変必要なそういう数々の情感を、恐らくスポーツを一生懸命やった子供たちはスポーツの中からそれを感じ取ることだと思います。現在、青少年の犯罪も非常に多くなってきているこの昨今、やはりこういうスポーツを通しての教育というのは、我々日本の中でも今一番大切なことではないかと思います。
 最後に、我が国のスポーツ予算、財政というのは大変悪化しておりまして、企業も低迷をしている中で、そういうサポートがだんだんなくなるという現状です。しかし、これをこのまま放置していれば、我が国の競技力はどんどん低下をして、将来に禍根を残すことになると私は思います。
 私たちは、リーダーとして、そしてスポーツマンの先人として、二十年後、三十年後の日本の子供たちがどうなっているのかということを考えるときに、やはりこのスポーツ振興くじの導入というものは極めて重大な問題をそこに残していると私は考えます。私もスポーツをやる者の一員として、ぜひこの法案に賛同いたしたいということで、私の意見を終わります。ありがとうございました。(拍手)

○高橋委員長 どうもありがとうございました。
 次に、長沼参考人にお願いいたします。

○長沼参考人 本日は、この衆議院の文教委員会にお招きをいただいて、参考人として意見を申し上げる機会を与えていただいて本当にありがとうございます。去る二月十二日に参議院の文教委員会にお招きをいただきました。そのときにお話を申し上げたことと全く同じ内容のことを話させていただきたいというふうに存じます。
 私は、一九六〇年代から七〇年代にかけてでございましょうか、コーチの勉強をしろという当時のサッカー協会の指示と、それから日本のナショナルチームの監督を仰せつかった関係で、西ドイツを、当時はまだ西ドイツと申しておりましたが、訪問する機会が毎年のようにございました。特にそのころ、日本サッカーの特別コーチということで、デットマル・クラマーという方に、我々にとったら恩師みたいな人なんですが、御指導をいただきました。
 ということで、西ドイツを訪問する機会が多かったということでございますが、特に、クラマーさんというのはデュースブルクというところにあるスポルツシューレの主任コーチをやっていたという関係で、我々もよく利用をいたしました。御案内のように、デュースブルクというのはドイツの西部地区の町の一つでございます。
 クラマーさんという人は本当にすぐれた人であった、今でもそう思っておりますが、彼は口癖みたいに、サッカーは少年を大人にしてくれるスポーツで、さらに、その大人に磨きをかけて第一級のジェントルマンにしてくれるスポーツだとわしは信じている、だから私は心からサッカーを愛している、いつもそのことを言っておりました。そういう哲学を持った、あるいは信念を持った人で、そのまま日本の選手に接触をしてくれたということがございまして、選手たちは、本当に心からクラマーさんという人を尊敬しましたし、当然のことながら、その指導に無条件についていったということが過去ございました。
 結果として、一九六八年でございましたが、随分古いですけれども、当時のメキシコのオリンピックで予想もしなかった銅メダルを手に入れたし、さらに、ユネスコが出しているピエール・ド・クーベルタン・フェアプレートロフィーというのがございまして、私はその名前を知りませんでしたが、それをいただけたことと、国際サッカー連盟、FIFAと言っておりますが、そこが第一回のフェアプレー賞を出したのですが、その受賞チームになったということは、これはクラマーさんの御指導のおかげだ、今でもそういうふうに思っております。
 そのスポルツシューレへよく行ったのでございますが、これは代表チームもそうですが、ここのスポルツシューレで三カ月間勉強しろというときがございまして、何人かの仲間とともにそのシューレに泊まり込みました。その設備にまず感服をいたしました。今でも日本にはまだないという設備だったというふうに思います。十面以上のサッカー場が当然ある。体育館がある。シューレによってはプールもある。我々が行ったデュースブルクのスポルツシューレは、国際レースが可能なボートコースがございました。すばらしい、大きな池ですね。それに大きな森がある。二百人以上が泊まれる、簡素だけれども清潔な宿舎がある。それから教室がある。会議室がある。そういうものが完備した状況です。
 これにサッカーくじの収益の一部が運営費として充てられているということを聞きました。したがって、利用者は比較的市価よりも安く使うことができる。これがなかったらかなり高いお金を払わないと予約できないという状況だと聞きました。ドイツは、今でもそうでございますが、このようなスポルツシューレが各州に点在をしております。そして、少年少女を初めとして多くのアマチュアスポーツマンから、国を代表するようなトップレベルの選手たち、予約さえとれれば利用できるということになっております。これもくじの収益金の一部が有効に利用されているケースだと思います。
 競技によっては全く収益の期待できないスポーツがございます。例えばボート競技のような、観客を入れることができないスポーツ。しかし、そういう種目の選手たちも一生懸命強化しなければいけない、しかしお金がないという状況がございます。我々が行っているときに、ドイツの代表のボートの選手がおりました。彼に話を聞きました。
 企業からもらったり、自治体からもらったりということはない、しかし私は、ここでキャンプを張っている間、宿泊費はもちろんのこと、食費も
すべて無料です、ボートも無料で借りられる、コーチも無料で面倒を見てくれる、これはサッカーのくじから回っているお金でやれるからだ、だから私はフットボールに感謝しているよというようなことを言ってくれたことをよく覚えております。そういう使い方だけではなくて、先ほども花原先生のお話にもありましたが、身障者の方々のスポーツにも開放されている、非常にいい状況であるなというふうに思いました。
 これはドイツだけでなくて、西欧のスポーツ先進国ではごく日常的に行われていることだというふうに思います。そういう意味では、くじとスポーツの関係が実に密接であると同時に、実に合理的に運んでいるということを私は感じました。
 さらに、その三カ月のコーチの勉強の間に、いろいろな種類のキャンプがありますが、特に、小学生相当の少年サッカーの一週間キャンプというのがございまして、これに合流をさせてほしいということを申し入れて、オーケーをもらいました。指導者は、この学校のユース担当コーチというのがおりまして、彼は今でも元気で、ドイツサッカー連盟の役員をやっております。ドイツに行くと会う人でございます。
 第一日の午前中、少年たちはいきなり教室なんです。グラウンドでも何でもない、体育館でもない。教室で、自分たちが住んでいる町の歴史の勉強が始まりました。映画を使って、コーチが、この町が生み出した偉大なる人とか歴史とか、どういう過去があって今日を迎えたかと。歴史ですね、完全に。それを子供たちはおとなしく見ている、聞いている。特に、その町について誇りに思えという教育をしておるということが非常に印象的でした。
 それが終わりますと、さっき申し上げた森の中に行って、車座になって、今度は合唱なんです。コーチはちゃんとアコーディオンが弾けるのですね、大したものだなと思いました。合唱です。これは音楽の時間だなと思いました。
 それで宿舎へ帰って、ランチですね。これは本当に、非常に清潔な、しかし簡素なレストランがございまして、一気に二百人くらいは食事ができるいい設備です。
 それが終わって一休みした後、今度はグラウンドや体育館で本当にサッカーをやります。これが子供たちの一番楽しみな時間ですね。大きな声でサッカーを楽しみます。もちろんコーチがいろいろなことを指導しながらですが、やはりゲーム形式ですから、一番楽しいと思います。
 それで、一遍に五十人以上お湯を浴びることのできるシャワールームがございます。そこでシャワーが済んで、さっぱりして、それでこれからディナーですね。これまた楽しみですね。試合の後ですから、子供たちは試合の結果について、ああでもない、こうでもないとにぎやかなんですよ。ちょっと騒々しいなと私は思いましたよ。
 そうしたら、コーチがやはり出てきて、全部のテーブルを、唇に指を当てて、シーと言いながら歩きました。一遍に子供たちはおとなしくなりました。
 それで食事の後、八時から何号室でミーティングをする。夜もまた、大人じゃあるまいしと思いましたが、それに行ってみました。
 そうしたら、さっき食事のときに自分が注意をしたことについて説明をしたい、聞いてほしいと言いました。そこで彼が言ったことは本当にすばらしい話でした。
 隣のテーブルにデンマークの女性のグループがいただろう、テーブルの上にデンマークの旗が立っていたからわかったでしょう。その向こう側にはまたほかのグループ、いろいろな人たちが食事をとっていた。もちろん食事のときに会話を楽しみながらみんなで楽しい時間を過ごす、大事なことだ、すてきなことだ。しかし、諸君のように、隣のテーブルや、その向こうのテーブルの方々に聞こえるような大きな声で話をするというのはいいことではない。我々は会話を楽しむ権利があるし、食事を楽しむ権利もあるけれども、ほかの人たちに迷惑をかけても構わないという権利は絶対にないぞ、むしろみんなが楽しい時間を過ごせるように協力をする義務の方があると私は思う。何か質問はありますかと言ったら、みんなしーんとしていました。では、理解できたのだねと言ったら、みんなヤーと言いました。子供は極めて従順でした。
 やはり私は感心をいたしました。そのコーチに、あなたはすばらしいコーチだ、これはお世辞抜きで申しました。そうしたら彼は、いや、私はあの少年たちが、このデュースブルクで、このスポルツシューレで、ジェントルマンへの第一歩をしるしてくれればそれでいいと思うと淡々として言ったので、逆にもっと印象がぐっとまいりました。
 これは完全にしつけの時間ですね。紛れもないしつけの時間だと思います。スポーツを通してのしつけというのは、学校の教室よりもあるいは家庭のそれよりも、はるかに効果が大きいと私は確信をしております。我々の前では、少年たちは極めて従順です、心から尊敬しているかどうはわかりません、しかし、逆らったら試合に出られないという権利を我々は持っております、だからよく言うことを聞いてくれるというふうに思っておりますと。現在の日本の少年少女たちに、こういう機会を与えてあげることはできないものかなということを私は長い間考えてまいりました。
 そしてもう一つでございますが、町に出たときに、サッカーくじの投票用紙を売っている店がありますね、トトと書いてあるからすぐわかりますけれども。ここでくじを買っていた中年の男性に、たまたま通訳の人がいたから話ができたのですけれども、話を聞くことができました。当時、たしか一枚百円ぐらいだったと思います。いわゆるアイン・マルクというものだったと思います。
 毎週やっていますかと私が聞きましたら、ほとんど毎週ですと。これまで的中したことがありますかと言ったら、残念ながらありません、しかし、かなりいいところへいったことは何回もありますと。これからも続けるのですかと言ったら、続ける、百円のうちの五十円はもしかしたらという自分の思い、その代金だ、あと残りの五十円はと言ったら、これはスポーツ界への寄附だ、こう言いました。寄附ですかと言ったら、私のうちは四人家族なんです、ワイフも二人の子供たちも何らかのスポーツをやっております。あるときはクラブで、あるときはスポルツシューレで、比較的安い料金でスポーツを楽しんでいる。そして、みんな別々のスポーツをばらばらにやるけれども、終わったらそこのクラブかスポルツシューレのレストランへ集まって一緒に簡単な、しかし、おいしい飯を食う。これは私の家族にとって、とてもとても貴重な時間なのだ。くじの収益の一部がクラブの育成やあるいはスポルツシューレの運営の中に入っていることを我々はよく知っている。したがって寄附というより、むしろ投資をして回収していると言った方が当たっているかもしれないと。もう完璧に理路整然でございました。
 私は、いい話を聞いたと言っておじさんと別れたのですが、やはり今でもドイツの街角には、円筒形のものが多いのですが、広告塔というのがたくさん建っていますね。その中の一つに、スポーツのある人生、それが最高というのがありまして、私はしばらくしびれて見ておりました、いいことを言うなと思って。
 やはり、少年や少女たちに心豊かな人間になってほしいとだれしもが願っていると思います。そして、スポーツはその役割を果たすための有力な手段の一つであると私たちは信じております。くじが青少年の非行を促進させるものではなくて、逆に非行の防止あるいはブレーキ、そういう役割を果たしていることを西欧各国、特にドイツなんかは先進国として実証しているというふうに私は思っております。
 ただ、私は、くじに反対されている方々の声にも耳をふさいではいかぬというふうに思っております。その中でも、特に収益金の使い道の透明性あるいは公平性という点に関しては、だれしもがそうであってほしいと願っているというふうに思
います。
 英国で七十年以上、西欧各国で三十年、四十年、五十年と長い年月をかけて実施をされているということでございます。各国の制度あるいは実績の中で非常にいい状況で運営されているシステムがあるわけで、ぞれを積極的に日本は取り入れていくべきだと思うし、もし問題があるとすれば、それは積極的に排除していって、日本式の方法で確立をしていくことができるというふうに私は思っております。
 本当に個人的な体験ばかりでございますが、私が本当に体で感じ、自分の頭で理解できたことについてお話を申し上げました。ありがとうございました。(拍手)

○高橋委員長 どうもありがとうございました。
 次に、玉木参考人にお願いいたします。

○玉木参考人 ただいま紹介にあずかりました玉木と申します。よろしくお願いをします。
 短い時間ですので、前置きを抜きにして、早速私の言いたい本題に入りたいと思うのです。
 私は、五年前の平成五年の十二月に、スポーツ議員連盟さんの招きで懇談会に出席させていただきまして、そこでサッカーくじの早期導入、実施というものを強く求める内容の話をさせていただきました。そのときの意見は今も変わっておりませんで、私はサッカーくじというものに関しては、今花原先生、長沼先生がおっしゃったように、健全な形で導入されてスポーツ振興に寄与すべきものであるというふうに思っているのですが、現行の、参議院で修正されて現在衆議院の方に回ってきたこの法案に関しては、私は反対の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、サッカーくじそのものに対する賛成の理由というのは、もちろんスポーツ振興というのがあるのですが、それ以外に私は三つの理由をちょっとここで述べさせていただきたいと思います。一つは、文化的な理由です。もう一つは、Jリーグの存在という理由です。三つ目は、教育上の理由です。
 一つ目の文化的な理由というのは、そもそもサッカーくじというのは、一言で言いましてギャンブルですが、ギャンブルというのはスポーツとともに表裏一体となって発達してきた人間の文化と言うべきものであるわけです。どちらも宗教上の理由から発生したというふうに考えられますけれども、ちょっと乱暴に言ってしまいますならば、スポーツというのは神々の肉体に近づくための行為である。ギャンブルというのは神々の意向を占う行為である。これはまさに表裏一体の文化として、人間の文化として誕生したわけです。
 そのうちのスポーツが非常に健全で教育的であると言われる一方で、ギャンブルの方がなぜか悪の権化のようなとらえ方をされている。これも歴史的な理由はいろいろあるのですけれども、各国の法律とか、それから宗教上の戒律とかでギャンブルというのは禁止されている場合が多い。その理由は、射幸心をあおり、耽溺することによって勤労意欲を失うとか、それから暴力団等の資金源になるおそれがあるとか、健全な経済社会の運営に害を及ぼすというような理由で、賭博行為というものに対してはどうも嫌悪感の目で見られていることが多いわけです。
 ところが、考えてみましたら、スポーツというのもそのような嫌悪の目で見られていた時代というのがあるわけなんですね。
 産業革命のころのフットボールというのは、イギリスの議会も、フランスの議会も、何度もフットボール禁止令というのを出しています。フットボールでうつつを抜かして労働者が働かない。これはどうしようもないというので、フットボール禁止令というのは山ほど出ております。
 それから、今でこそウィンブルドンのセンターコートと言うと、なぜか世界一美しいコートのように思われていますが、あの観客席というのはギャンブラーのたまり場であった時代もあるわけですね。テニスというのはギャンブラーたちが育てたスポーツだ、そういう言い方もできるわけなんです。
 ただ、その中で、なぜそんなふうにギャンブルが罪悪視されたのかというのは、当時の支配層たちが、自分たちはギャンブルをやっていて独占しているけれども、労働者たちにはさせないというような空気をつくったわけです。これはスポーツにおいてアマチュアリズムというものが生まれたのと非常によく似ておりまして、アマチュアリズムというのは、なぜか日本では美しいもののようにとらえられておりますけれども、実は肉体労働者をスポーツの世界から排除するために考えられたような制度であるという言い方もできるわけです。
 日本においても、大正時代には、あれはアントワープのオリンピックの予選でしたか、マラソンの予選が行われたときに、一位から三位、四位ぐらいの選手までが全員失格になったなんという事件があった。なぜかと言ったら、一位の方は人力車夫だったのですね、これはプロであると。二位の方が新聞配達だか、三位が魚売りだか、四位が牛乳配達の皆さんだか、何かそういう方々が全部プロだとして排斥されてしまった。それで、アマチュアの人はというと学生、明治時代の学生は超エリートです、貴族の息子です、はっきり言いまして。貴族階級の息子ですね、そういう人たちがスポーツを独占していたわけです。
 同様に、ギャンブルというものも、支配層はみずから楽しみながら、一般の人たちには楽しませないという、そういう罪悪感というのが、罪悪視するような空気というのがつくられて現在に至っている。
 ところが、このギャンブルというものは本当に悪なのだろうかということが、最近は大分変わってきました、見方が。一九五一年にイギリス政府の諮問機関のギャンブル調査委員会が、ギャンブルとは、個人の自己責任において行うものであり、法律によって規制すべきものではないという答申を出しております。それから、一九五四年のスウェーデンの世論調査研究所も同様に、ギャンブルが犯罪とつながるのは、ギャンブルそれ自体に問題があるのではなくて、犯罪の側に問題があるのだということを出しております。
 翻って、スポーツとギャンブルの発生というものが表裏一体であるということを言いましたけれども、それを考えますと、何もギャンブルというものを罪悪視することはない、むしろそれは人間の文化と言えるのではないか。
 そこで、サッカーくじというもの、これはイタリア語ではトトカルチョと言いまして、世界的にもトトカルチョという名前の方が広がっています。このトトカルチョというのは、イギリスでは、今長沼会長がおっしゃったように、七十年以上の歴史もありますけれども、イタリアで生まれたときは、我が国と同じ敗戦国のイタリアが、戦後、オリンピックに選手を派遣する費用がないときにアイデアとして出したもので、それが一気に人気が出て、トトカルチョという名称で世界じゅうに広がったという経緯もあります。
 このときに広がった理由はいろいろ考えられるのですけれども、このトトカルチョというサッカーくじですね、これは当せん金額が多額ではあるけれども、当せんの確率が非常に低い。八百長行為の起こる確率もほとんどゼロに近い。それから、一般のスポーツファンがトトカルチョをやることによって身を持ち崩したとか、それで一家が離散したとか、そういう例は世界的にも報告されていない。少なくとも私は一度も聞いたことがない。そういう、いわば変な言い方ではないのですね、健全なギャンブルと言うのは。
 ギャンブル自体を罪悪視するのがおかしいと先ほど言いましたから、健全なギャンブルという言い方はおかしいのですけれども、あえて使いますなら、健全なギャンブルとしてトトカルチョが世界的に広まっている、それを日本で罪悪視するのは世界の文化からおくれるのではないか、もう少しギャンブルあるいはトトカルチョというものに対する理解を深める方がいいのではないか、これが僕の言った文化的な理由の一つです。
 もう一つ賛成した理由は、Jリーグが生まれたということなんです。
 Jリーグというのは実にすばらしい団体でして、何が一番すばらしいかというと、サッカーをする団体だからなんです。だったら、ラグビーだったら悪いのかといったら、そうではなくて、スポーツをする団体なんです。これは、日本で唯一、ほとんど初めてと言ってもいいスポーツをする団体なんです。
 だったら、ほかにもたくさんあるではないかとおっしゃるかもしれませんが、ほかの団体は違う場合が多いのです。体育をする団体が結構多い。要するに教育をするわけですね。あるいは、親会社の宣伝をする団体が多い。スポーツを第一義に考えない。何かというと教育をするということを一番に考えた上でスポーツを利用する。あるいは、親会社の宣伝、親会社の利益を考えた上でスポーツを利用する。日本のスポーツというのは、明治時代に欧米から移入されて以来ずっと何かに利用される中でしか発展できなかった。学校体育であり、あるいは企業スポーツでありという形です。
 今でも学校体育というのは体育とスポーツが混同されていまして、体育の日なんという言葉が今も残っています。国民体育大会という言葉も残っています。体育の日というのは英語で言うとスポーツ・アンド・ヘルス・デー。フィジカルエデュケーションという、体育という言葉は英語ではないのに、日本語では体育になっている。体育の日のたまの休みに国立競技場に行って反復横跳びをやってどこがおもしろいかと僕は思うのですが、体育で育った方々というのは反復横跳びを体育の日にやることによって、それをスポーツと勘違いするような錯覚も起こっている。
 今の体育教育の中で例えば逆上がりというのがありますね。それから懸垂というのがあります。それから跳び箱というのがあります。今海外に出張される商社マンの方、その他企業マンの方は多いと思いますが、その方たちが子供を連れていって、帰国子女になるときに、帰国する直前になったら小学生は一生懸命逆上がりをしなければいけない、外国では逆上がりなんか習いませんから。跳び箱をやらなければいけない。何でそんなことをやらなければいけないのか。
 懸垂とか逆上がりというのは、自分の肉体を持ち上げる腕力をつけようというので戦前盛んに喧伝されたものです。何で自分の体重を持ち上げなければいけないかというと、三八式歩兵銃を自由に操らなければいけないからなんですね。
 一九六四年に、東京オリンピックを契機に体力測定というのも始まりましたけれども、あの体力測定の中に何でソフトボール投げがあるのか。ソフトボールを投げることが、何で偏差値で上に行くのか。ソフトボールを投げるということのどこがいいのか。ソフトボール投げというのは何でできたのか僕も全然わからないのですが、あれは戦前の手りゅう弾投げが変わっただけなんですね。
 そういう体育教育というもの、体育の中でのスポーツのとらえ方、それが残っている、その影響下にある団体、またはお金もうけをするための興行として利用している団体、はっきり言いますと、新聞を売りたいとかテレビの視聴率を上げたいとか、スポーツを広めるよりもそちらの方を優先している団体、その中で、日本のスポーツが発展しているような錯覚に陥った中で、Jリーグというスポーツをやる団体ができたのです。
 何をするのかというと、サッカーをする。思い切りサッカーを楽しむ。サッカーを楽しんだ結果、ほかのスポーツも楽しもうではないか、ほかのスポーツも発展させようではないか、こんな団体は、日本では初めてできたのです。相撲協会のことについては今はちょっと除外しておきますけれども、例外として。相撲協会は相撲協会でなかなか、運営上若干の問題はあると思いますが、組織としては非常によくできていると僕は思うのです。
 ただ、組織としても、スポーツをスポーツとして運営するという団体がなかった。そのJリーグが発足した直後、やはりこれを利用しようとする勢力が、巨大な勢力があったわけです。企業名をいつまでたってもつけて企業の宣伝に利用するとか、そういう動きがあるわけですね。
 スポーツというのは、そもそも国民の共有の無形の文化財で、一つの企業とか一つの個人が利用してはいけないものなんです。スポーツで得た利益というのはスポーツに還元されないといけない。それを、自分だけとって親会社の赤字の補てんに使ったり税金対策に使ったりするなんというのはもってのほかです、これは共有の文化なんですから。
 ところが、そういうことをしようとする団体があった。その中でサッカーくじというパブリックなものを導入すれば、そういう曲がった、ゆがんだスポーツのあり方というのは是正されるであろう、サッカーくじという文化とともにJリーグも健全な発展をするだろう、これが僕の二番目の理由だったのです。
 三番目の理由は、教育上の問題です。
 サッカーくじというのは、教育上非常にいいと僕は考えました。教育上というのはもちろん青少年の教育上という意味です。ただし、そのサッカーくじを例えば小学生までだったらやらせていいのかとかという問題は、経済上の問題で、いろいろ討論をする必要性はあると思いますけれども、未来予測としてのスポーツの戦略を考えるという行為の教育上のすばらしさというのは、やはり認めるべきではないかと思うのです。
 昨今の金融ビッグバンの時代を迎えて、これからは、知識をたくさん持っているとか、事務処理能力が速いとか、上意下達の命令をよく聞くとか、ただただ体力だけにすぐれているとか、そういう人たちというのは世の中で求められなくなるわけですね。世の中で要求されているのは、未来を予測する能力あるいは創造性、それから豊かな発想、斬新な発想、そういうことができる能力が要求されてくるわけです。
 そういうものに対して、トトカルチョあるいはサッカーくじというもの、サッカーの展開を読む、あるいはサッカーでなくてもいいです、スポーツの展開を読む、これは本当にすばらしい行為で、僕は学校で、学校というのも小学校、中学校、高校、どれを指すのかはまだ私自身考えているところなんですけれども、学校でサッカーくじを奨励してもいいぐらいだというふうに思っています。
 僕は、今言いました文化上の理由、Jリーグの存在、それから教育上の理由、この三つでサッカーくじの早期導入を求める話をしたわけです。
 ところが、でき上がってきた法案を見ましたら、これだったらもう一度考え直して、余り慌てて拙速の法案をつくるのではなくて、本当にいいものにつくり直した方がいいのではないか、そう考えざるを得ないというふうに判断しました。
 理由は幾つかあります。時間もありますことでさっさと言いますと、一つは、Jリーグの独立性が奪われるということです。文部大臣の支配下に入ってしまう。
 二番目は、行政改革が求められている時代の中で、逆行する。文部省の主導下の特殊法人である日本体育・学校健康センターが行うのではなくて、イタリアのように、イタリア・オリンピック委員会のようにスポーツの側の、あるいは民間の独立した団体がこれを行うべきである。
 それから三つ目に、文部省自身に自己矛盾がある。文部省というのは、改めて言うまでもなく、教育をつかさどる官庁であります。教育をつかさどる官庁が、十九歳未満は禁止だというふうに言っているようなものをなぜ自分たちが運営主管として行うのか、私はこれはわからない。私と意見が同じで教育上いいというなら別ですよ。でも、十九歳未満を禁止、教育上よくないと判断しているのに教育をつかさどる省庁がやる、これは僕はわからないのです。
 それからもう一つは、収益金の使い道が判然としていないということです。総花的になって、こういうこともやりたい、ああいうこともやりたい
というのは、それは意味はわかるのですが、これによって何かできたというものをきちんと法案の中に入れないと、結局は何かどこかのイベントに使われたりというおそれがある。私が考える今日本で一番おくれているスポーツのジャンルは、指導者の育成です。だったら、指導者の育成ということにお金を使うのだ、それで余ったお金をほかに使うのだとか、何か一つ具体的なことを書かないといけないのではないか。
 それから五番目が、サッカーくじそのものに対する国民への広報活動が余りにもなさ過ぎる。サッカーくじを何かうやむやに通してしまって、お金だけ欲しい、だれが欲しいのか知りませんけれども、そういうような動きを感じてしまう。これはやはり、文部省がやるなら文部省でもいいです、よくはないと思うのですけれども。サッカーくじをやろうとしている人たちが、サッカーくじというのはこれだけすばらしいのだよ、文化的にもすばらしいのだよ、世界でもこれだけすばらしいのだよと、これは、法案が通る前からやはり広報はやってもらわなければいけないですね。
 それと、先ほどから少し出ていますが、身障者スポーツ、法案の中にそれに関して書かれていることがないのですね。これはなくてもいいのかなと僕も思うのです。スポーツと書けば身障者も含むのだというふうに考えればいいのですが、残念なことに我が国では、文部省の管轄がスポーツで、身障者スポーツの管轄は厚生省になっています。こういうことを改める方が先ではないかなという気もするのですね。
 以上のような理由から、私は時期尚早だと。もう一度深く考え直して、サッカーくじというのは本来すばらしいものなんですから、いい法律をつくるのにもつと時間をかけても遅くはないのではないかというのが私の意見です。
 長くなりましたが、もう一つだけつけ加えさせていただきますと、スポーツというのは二十一世紀を担う物すごく大きなパワーになるはずなんです。それは、政治的な理由、経済的な理由、文化的な理由、すべての理由でスポーツというものは侮れない存在になるはずです。
 例えば、香港が中国に返還されましたけれども、香港のオリンピック委員会は残っています。パレスチナのオリンピック委員会というのは、国家が多くの国に認定される前にオリンピックの方に出てきました。こういう政治的な動き。それからあと、アメリカの中でもグアム・オリンピック委員会というのができております。だったら、これからどういうオリンピック委員会というのが、国を名乗って、あるいは国を名乗らずに、自分たちの社会というものを国際的に主張してくるのか、これは政治的に非常に大きな問題になると思います。
 それからもう一つは、経済的な理由です。スポーツイベントは莫大な金を動かすようになっています。その金の動かし方には問題がありますけれども、今この不況下で、公共事業だ何だと言われている中で、むしろスポーツにお金を投じた方が先行きも長い経済効果が期待できるのではないか。これは、スポーツだけではなく文化とかソフトウエアについて言えると思いますね。
 もう一つ、スポーツというものが人間の文化として、文明として最後に残された自然であるということの認識から、思想的な問題が二十一世紀には出てくると思います。
 それはどういうことかといいますと、文明が発達すれば発達するほど人工化します。都市を初めとして世界じゅうが人工的になります。人工的な中で、環境を保護しよう、自然を守ろうという動きも確かにありますが、その自然がどんどん破壊される。破壊される中で、最後に残る自然というのが肉体です。内側だけは自然なわけです。一番身近なところに自然があるわけです。その自然が目の前で見える、これがスポーツです。またあるいは、やれる、これがスポーツです。このスポーツが二十一世紀においては非常に大きな意味を持つと思うのです。
 それから、省庁再編がいろいろ言われている中で、何で文化省が出てこない、スポーツ省が出てこないのか。あれは数さえ減らせばいいのだというようなことかもしれないのですけれども、そういうことをぜひともこの文教委員会で話し合っていただきたい。その中でサッカーくじというものが自然に、だったらこういうことをするためにお金を使おうというので、お金を集めようというので、改めて考え直していただいてもいいのではないかと思います。
 どうも済みません、時間をオーバーいたしましたが、これで終わりにさせていただきます。(拍手)

○高橋委員長 どうもありがとうございました。
 次に、武隈参考人にお願いいたします。

○武隈参考人 鹿児島大学の武隈でございます。
 このような機会をお与えいただき、大変光栄に存じます。
 私は、スポーツをしようという意思を持つすべての人が豊かなスポーツ生活を送るということ、そのためにはどのようなスポーツ条件を整えていけばよいのかということについて研究を進めてまいりました。本日は、そのような立場から、我が国のスポーツ振興策について私の考えを述べさせていただきたいと思います。
 まず、我が国における地域スポーツの現状についてでございますけれども、幾つか問題があるというふうに考えております。
 第一に、スポーツの機会に恵まれない、いわばスポーツ的疎外者が存在するということです。最も典型的には、障害のある方々です。
 我が国の障害者のうち、スポーツを日常的に行っている人の割合は、資料の一枚目に示しましたけれども、一%程度ととらえられています。これに対して、ヨーロッパでは一〇%を超えているという報告がございます。しかも、この一〇%という数値は、既に十年以上も前に達成されていると言われています。
 障害がある人は、決してスポーツができないのではありません。スポーツ環境が整備されていないこと、それがこの低い数値の原因です。私たちが最近行った調査でも、障害のある人のスポーツに対する潜在需要は大きく、特に、スポーツを介した仲間との交流を強く望んでいるという実態が明らかになりました。障害者のスポーツ実施率を一〇%に近づけること、これはまさに緊要の課題であるというふうに考えております。
 一方、障害のない人のスポーツ実施状況にも問題があります。
 スポーツをする人の数自体は我が国でもそれほど少ないということはございません。しかし、その実施水準、質のレベルに目を向ければ問題がございます。
 資料の三枚目にそれにかかわるデータを添付してございますけれども、我が国では日常的にスポーツを行う人の割合が低く、しかも運動時間が短いということ。そして、一定程度以上の密度で運動やスポーツを行う人の比率が極めて低い。そういう特徴がございます。
 その原因はどこにあるのでしょうか。このことを探るためには、我が国の地域スポーツクラブの現状に論及する必要が生じます。
 スポーツを行う場として、地域のスポーツクラブは大きな価値を持ちます。現在、我が国には約三十七万のクラブがございます。成人の所属率は一〇%程度ととらえられています。ヨーロッパでは総じて二五%を超えており、四人に一人がスポーツクラブに入会しているということになります。所属率が四〇%を超えている国もございます。
 一枚目の資料に示しましたとおり、我が国の一クラブ当たりの平均クラブ員数は三十一・六人、特に平成二年以降に設立されたクラブでは二十一・六人に減少をしています。また、一つのスポーツ種目だけを行う単一種目型のクラブが九二%を占めています。我が国の地域スポーツクラブは、一般に小規模・単一種目型の内部志向性の強い集団、すなわちチーム型のクラブという特徴がございます。
 このようなクラブは機動力があります。また、コミュニケーションがとりやすい、こういうメリットがありますが一地域のスポーツ振興という面からは問題も少なくありません。
 設立されたクラブの一〇%は五年以内に消滅しているというデータもございます。また、スポーツに対するニーズが変化した場合、クラブ内で新たにそれを満たすということは難しいですし、また、クラブの志向性と異なる人は入会しづらい、こういう短所もあります。
    〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
 さて、スポーツ振興には大きく二つの課題があるというふうに考えております。
 一つは、スポーツを行う人の目的に応じたスポーツの場を確保することです。
 資料にも示しましたように、スポーツを行う目的としては、大きく、高度の競技スポーツを志向するものと、生活の中の文化としてこれを享受する生活スポーツ、この二つがございます。後者は、さらに、競技的なスポーツ、活動自体や仲間との交流に価値を見出すレジャースポーツ、そして健康スポーツという三つのカテゴリーを設定することができます。このような観点から、スポーツを行う目的の達成に向けた多様性を確保することが第一の課題でございます。
 もう一つの課題は、資料の二枚目に示しました。大きく五つのサービス、すなわち、スポーツ空間の提供、スポーツ行事やスポーツ教室などのスポーツプログラムの提供、スポーツクラブの育成・支援、指導者の養成、研修、派遣、そして情報提供や健康・体力相談等々、こういった五つのサービスをバランスよく行うことと考えます。
 これらはどれもが重要ですが、これまで我が国では、どちらかといえば行政に依存する立場が強かったように思います。行政による支援の必要性は言うまでもないことですが、地域住民の自治的な活動として展開するための支援策も同時に必要であると思います。
 事実、公共スポーツ施設や学校開放施設あるいはコミュニティースクールを舞台に、住民の自治活動としてこれらを展開している例もあります。しかし、個々のスポーツ実施者がみずからのスポーツ活動だけに目を向けるならば、こうした活動が地域に根差した形で発展していくのは困難です。
 そこで、私はここで、今後の地域スポーツの運営モデルとして、総合型ないし組織型のスポーツクラブの必要性について強調したいと思います。
 資料の四枚目にございますように、総合型のクラブとは、中学校区程度の地域住民を対象とした複数の種目を包含した組織型のクラブです。これは、多様な志向性を持つ地域住民の日常的なスポーツの場として機能すると同時に、みずからスポーツ事業を展開する自治的な組織として位置づけられます。さきに挙げたチーム型クラブのネットワーク組織の性格もございます。
 なぜ地域スポーツ振興のかぎとして総合型・組織型スポーツクラブが主張されるのでしょうか。それは、さきに述べたスポーツ振興にかかわる課題を解決する能力を持つからであるということです。
 もう少し詳しく見ていきたいと思います。
 資料二枚目にございますように、まず、スポーツを行う質の向上を図ることが期待できます。
 一つには、日常的スポーツ活動の拠点として、スポーツの継続的実施者の拡大を図ることができます。スポーツクラブは、スポーツ活動の継続性、すなわち生活スポーツを最も実現しやすいスポーツの場であるからです。
 二つには、複数の種目を行ったり、他の種目にくらがえをしたりすること、あるいは自分の体力に応じたチームの移動が容易になります。
 三つには、年齢や年代を超えて、性別を超えて、障害のあるなしを超えて多様な人々と相互交流が期待できます。
 次に、スポーツを行うだけではなく、スポーツを支える、あるいはつくるという活動が可能になります。
 一つは、クラブ員のためのスポーツ教室や行事などのプログラムを提供できること。二つには、地域住民のためのスポーツサービス活動、行事や教室、講習会、研修会等々を展開できること。三つには、地域住民のためのスポーツ以外のサービス活動、例えばボランティア活動等の契機となること。四つには、スポーツ以外の文化的活動及びその団体との交流を図ることができるということが挙げられます。
 障害のある人のスポーツを例に、より具体的に述べれば、もし障害のある人やそのサークルがこのクラブに組み込まれれば、障害のない人とスポーツ交流をすることができます。
 これまで我が国では、障害を持つ人は障害を持たない人とは別の空間でスポーツをすることが多かったのですが、心理的バリアを取り除き、文字どおりノーマライゼーションのスポーツ的実現を図るということが考えられます。
 それにとどまらず、こうした日常的な交流が促進されれば、スポーツを行う上で援助が必要な、多くの場合重度障害者の方々あるいは高齢障害者の方々がこれに該当しますが、こうした人々に対するボランティア活動が容易になります。
 先ほど花原先生のお話の中にもあったのですが、視覚障害者のランナーはガイドが必要ですが、同じ組織の中にそのような人がいれば、今までのようにガイド探しで悩むということはなくなります。障害のある人のサポートをしたいという意思を持つ人はたくさんいます。ただ、これまでそうした需要と供給が交差する場面がスポーツでは少なかったわけです。
    〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
 また、二〇〇二年からは学校週五日制の完全実施が予定されています。加えて、これまで学校に頼り切りであった生徒の運動部活動も地域のクラブと連携の道を探っています。総合型クラブは、その受け皿としても有力です。
 一方、意外なところでは、子育ての渦中にある年齢層の女性のスポーツ参加が著しく制約されているという実態がございます。男女共同参画型社会の実現という観点からも看過できない問題です。総合型クラブには、その運営の仕方によっては子供の託児機能を持つことも可能ですから、その問題解決にも役立つと思われます。
 このように考えますと、総合型クラブは、単にクラブ員のための組織というよりも、スポーツを通して地域の生活問題を解決していくための公共的性格を持つ組織と位置づけることができます。それは、結果的に地域教育力の拡大やコミュニティー再編への貢献を期待することになるわけです。
 こうした組織的機能を実現する最大のネックは、活動を展開するためのノウハウ、あるいは資金が不足しているということでございます。
 スポーツクラブが一部の熱心な人の献身的な努力によってのみ支えられるのではなくて、組織的基盤を整え、公共的存在として活動を続けていくためには、四つの資源が必要でございます。
 第一に、指導者やクラブのマネジメントに当たる人的資源。第二に、対象者、特に高齢者や子供及び障害者に配慮した施設、設備、用具などの物的な資源。第三に、運営経費等の財務的資源。第四に、スポーツ実施者の特性に配慮した指導や支援方法等のノウハウ、すなわち情報的資源でございます。これらの条件を整え、地域スポーツ振興の制度としてスポーツクラブが機能していくことが望まれます。
 スポーツ振興投票制度が実現されるのであれば、収益の配分に当たって、何よりも地域住民やスポーツ組織の願いが反映されるようなシステムを実現していただきたい、そういうふうに考えます。
 以上でございます。ありがとうございました。(拍手)

○高橋委員長 どうもありがとうございました。
 次に、高田参考人にお願いいたします。

○高田参考人 私は、新日本婦人の会の副会長の高田公子と申します。
 新日本婦人の会は、個人加盟の女性団体としては日本最大の組織で、二十万人の会員がいます。三十六年間にわたって、女性の生活や権利の確立、地位の向上、子育てと教育の充実など、さまざまな活動をしてまいりました。
 今、胸が痛くなるような少年事件の続発の中で、とりわけ子供の問題は真剣に受けとめています。私は、母親として、子供たちを今以上憂慮すべき方向へ追い込んでいくであろうサッカーくじ法案に反対の立場で意見を述べさせていただきます。
 まず第一に、これほど子供の問題が社会問題になっているときにサッカーくじを導入しようとする政治の責任についてです。
 中学生は思春期の入り口で、第二の誕生とも言われ、無限の可能性を持って人生の旅立ちを用意しつつある大切なときです。その子供たちをキレるまで追い詰めていることに、大人として、母親として何とかしなければならない、その思いでいっぱいです。子供たちの苦しみや願いをしっかりと受けとめ、希望をはぐくむ豊かな取り組みが求められているそのとき、政治の責任で子供たちの環境をこれ以上悪化させるサッカーくじ法案を、最も子供のことで心を痛めておられるはずの文部省が導入しようとしていることがどうしても理解できません。子供たちの健やかな成長を願う母親にとって、文部省のとっている態度は信じがたく、許せないのです。
 日本政府は、子供に最善の利益を求めた子どもの権利条約を批准し、この間の到達を国連に報告もされ、この五月末に国連で審査をされることになっております。政府は、その報告の中に、みずから「児童は心身ともに成長段階にあり、児童を有害な環境から保護することはきわめて重要である」と述べています。
 しかも政府は、国連から、権利条約の子供の最善の利益がどのように法律や社会福祉施設、行政などに反映したのかを詳細に情報を提供するよう求められております。文部省は、子供たちに最善の利益を保障するために、ホラービデオが出回っている昨今、こんなことで青少年の心が痛んだり傷ついたりするわけがないから、サッカーくじを法律として導入しましたと報告なさるのでしょうか。
 第二は、子供たちに悪影響を及ぼすと危惧するからです。
 スポーツは本来、参議院での山下参考人が、「青少年、次の時代を担う人間をつくっていくには、やっぱりたくましい体と心と他人を思いやる心、力を合わせる心、我慢できる心、こういうものが絶対必要」で、「スポーツで汗を流して、ともに力を合わせたり」「励まし合ったりしていくこと」が子供たちの健全育成の上に欠かせないものだと述べられておりましたが、私も本当にそう思います。そのスポーツの試合に、しかも子供たちが大好きで、授業にまで正規のカリキュラムとして取り上げられているサッカーに、運、不運が支配するギャンブルを持ち込めば、勝ち負けだけや結果だけにこだわる風潮が助長され、子供が育つ上でも悪影響を及ぼすのははっきりしております。
 それだけでなく、今、お金に絡んだ非行がふえている中で、券を買うお金欲しさにナイフを使って恐喝する状況をだれが防ぐことができるでしょうか。世論調査を見ましても、大人は七〇%が買わないのに、男子高生を対象としたアンケートでは、買わないが三三%で、一方、買うが三二%もいるのです。今禁止している競馬でも、馬券を買う中高生がふえる傾向にあると言われております。金銭絡みの恐喝事件や命にかかわる事件などが起きてから文部大臣が停止命令をなさっても遅過ぎるのです。
 今、日本の子供たちがさまざまな重荷を背負って、ストレスを心と体の中にいっぱい抱え込んでいる状況を、私たち大人は真摯に受けとめ、悪影響を及ぼす可能性があるものを新たにつくり出さないで事前に食いとめる大人の知恵を働かせることが今求められているのではないでしょうか。法で規制しても何の歯どめにもなりません。人の子の親として、私は、青少年の環境をこれ以上悪化させるサッカーくじ法案に反対いたします。
 第三に、国民的合意が得られていないものを国会で数を力に押し通すことこそ、最もアンフェアであり、子供にとっても最も悪影響を及ぼすと心配するからです。
 昨年の五月、わずか二時間四十分の審議で衆議院文教委員会で、引き続き本会議で法案が可決されてからちょうど一年がたちました。その当時、東京都小学校PTA協議会は、戦前の大政翼賛会と何ら変わりありません、議会制民主主義の根幹を揺るがす大問題と、また、松下直子全国地婦連事務局長は、文教委員会の審議は余りにもお粗末、法案を推進する党派からも棄権や反対が七十人近くも出たことは、法案に問題があることを浮き彫りにしたと思いますとの批判の声が寄せられました。その後も広範な国民諸階層から反対の声が上げ続けられています。
 この二月二十日、地婦連、主婦連、日青協、私たち新婦人も入っている国民文化会議など、かってない広範な十三団体が、「「サッカーくじ」法案に反対する共同アピール」を発表−資料を参照ください。その後、一緒に議員の方々への要請行動やアンケート、宣伝にも取り組んできました。四月二十一日は、渋谷で道行く三百十四名の方々と対話をし、一言書いていただきました。子供たちの犯罪がふえている中で、スポーツ賭博とは考えられない、子供にギャンブルをあおってどうするの、政治家の利益が必ず絡んでくる、サッカーくじよりもほかに大事なことがあるんじゃない、その前に国会を解散して、胴元はもうかったお金を何に使うの、サッカー大好き、売り物にしないでなどの声がたくさん寄せられました。サッカーくじ反対が七七%、賛成二〇%、どちらとも言えないが三%で、国民世論としてもサッカーくじは認められていないのです。
 このような中で、マスコミも、本当にいいのですか、何より不思議なのは、子供の豊かな成長を考えなければならない文部省が、子供や若者をギャンブルの誘惑にさらそうとしていることです。そんな役所が心の教育を説いても、むなしく響きはしないでしょうか。やはり採決を欠席した橋本龍太郎首相に、五人の子供を育て上げた父親として、本当にこれでいいのですかと問いかけておりました。参議院で採択されてからも、マスコミの批判は後を絶ちません。
 また、反対や慎重な検討を求める地方議会は、全体のおよそ一割に当たる三百四十二に上っております。橋本総理のおひざ元の倉敷市議会の意見書を資料に入れておきましたが、請願当初は、金がないからサッカーくじみたいなんが必要、必要悪じゃとか、児島ボートをしよる倉敷でサッカーくじ反対はおかしいなど出されていましたが、サッカーくじはボートとは違う、ギャンブルを持ち込んだらいけん、文部省が胴元とはおかしいと、全会一致でこの立派な内容の意見書が採択されたのです。
 世論を無視して法案の成立を強行し、少数が多数を押し切っていくことは、日本の民主主義の根幹を揺るがすもので、子供たちは大人のすることをじっと見ております。政治家が範を示せないで、どうして子供たちにフェアな心を育てることができるでしょうか。到底理解のできない、筋の通らないことです。特に女性として、母親として、こういうアンフェアなやり方は我慢のできないことです。
 第四に、スポーツは、日々育ち行く青少年にとっては欠かすことのできない文化であり、だからこそ、その文化にギャンブルを持ち込めばスポーツ自身をゆがめてしまうことを心配します。
 文部省のスポーツ予算は百七十億円程度です。今も不況が続く中で、予想どおり券が売れたとしても、スポーツ振興に使えるのは二百億円から三百億円にすぎません。私たちが文部省交渉をしたときも、国の予算が何分大変な状況でと言われておりましたが、元文部大臣の瀬戸山氏自身、スポーツ振興の財源は税金のむだ遣いを改めれば幾
らでもあると言われておりましたが、そのとおりだと思います。
 実際、私ども新婦人で、会員外七割の八万人の女性と対話をしアンケートをとった資料を入れてありますが、税金のむだ遣いがあると思っている女性が九二%、ないと答えた人はわずかの一%で、圧倒的多数の女性が今の日本の税金の使われ方に厳しい批判の目を持っています。あると答えた方で六割を超えて、ゼネコン型公共事業、官官接待、政党助成金、軍事費、天下りを挙げています。どこに税金を使ってほしいかも、医療、高齢者福祉、教育が六割を超え、文化、スポーツも二〇%の人々が要望しております。大型開発を希望する女性は一・五%、軍事費は〇・八%にすぎないのです。
 諫早の干拓に使う二千三百七十億円の八分の一を、体力ある金融機関を救うための三十兆円の投資の一千分の一をスポーツ振興に回せば、子供たちをギャンブルに巻き込ませずにスポーツの振興を図ることができるのです。
 子供たちに夢やあこがれを広げる上でスポーツの役割は本当に大切だと思います。人格の完成を任務とする文部省が、フェアプレー精神と子供の夢をギャンブルで汚すことなく、子供の最善の利益が第一次的に考慮されなければならないとうたっている子どもの権利条約の立場からも、子供の成長にとってよりよい環境を保障し、二十一世紀を子供の世紀にしていくために、スポーツ振興や子供たちのために国の予算を確保する先頭に立ってくだされば、私どもこぞって応援することをお約束して、私の発言を終わらせていただきます。(拍手)

○高橋委員長 ありがとうございました。
 次に、谷岡参考人にお願いいたします。

○谷岡参考人 谷岡です。私も、時間がないので、前置きはなるべくなく進めてまいりたいと思います。
 そして、基本的に、先ほど玉木参考人から伺いました話に、特に文化と教育に関して似たような意見を持っておることをお伝えしておきます。ただ、私は、ギャンブルをずっと十年以上研究しております。そういった立場から幾つか意見を述べさせていただきたいと思います。
 まずは、先ほど文化に関しまして、海外においてはどんどんギャンブルの合法化が行われているという状況を玉木さんから御説明がありました。実際はどうなのかというと、皆さんにお配りしました資料のE−1から4に、海外、世界各国の状況をお示ししております。
 イスラム圏などは完全に宗教上の戒律でだめですけれども、特にヨーロッパ先進諸国を初めとして、ギャンブルというのは完全に人間の楽しみ、ストレス解消の手段として認められるのが現在の状況です。アメリカにおいても、一九八四年以前にはたった二州で合法化されているだけでした、特にカジノギャンブルに関しては。しかし、今は二十七州で何らかの形のカジノギャンブリング、チャリティーも入れますとほとんどの州でできるようになっております。
 これはなぜ起こったかという理由をまず申し上げたいと思います。こういう動きを、我々刑法学者は、非犯罪化、ディクリミナリゼーションと呼んでおりますけれども、欧米においてディクリミナリゼーションが起こった理由というのは幾つかあります。
 一つ目は、まず、人間の必要悪と考えられるものを禁止すると、もうけるのは必ずやみの世界、やくざ、マフィアであるということです。それは、実際に禁酒法が何を生み出したかということを考えていただければ十分なんですけれども、それよりは、合法化し、自由に競争させ、税収を上げ、そして実際に法律というのが介入すべきなのは、弱者がそれによって被害を受けそうになったときだけというのが欧米における考え方になります。これは、刑法というものがそもそもどんなシステムなのか、また刑事司法と司法システムというのはどこまで介入すべきかという考え方によります。
 特に、アメリカなど移民の多い国においてはいろいろな価値観がたくさん入り込みました。そういった中で、ある価値観においてはソフトドラッグはいいし、売春もいいし、一夫多妻制もいいし、ギャンブルももちろんいい。そういったいろいろな価値観の社会において、刑法典というのは倫理観に入るべきだろうかという議論がずっとなされてまいりました。そんな中で、刑法典、刑事司法が刑罰をもって介入するという行為には倫理的な行為は入れるべきでないという考え方が主流になってまいりました。これが欧米におけるディクリミナリゼーションと呼ばれる動きです。
    〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
 現在それがずっと起こっておりますけれども、基本的には、一九六一年にはイギリスで自由化がなされました。そのとき、地下に潜っていた非合法のカジノ三百軒が地上へ出てまいりました。そして、そこで自由競争が起こりました。十年間のうちに二百二十が淘汰されて、八十だけが残りました。この残った八十というのは、ぎりぎりまでオッズを、つまり親のテラ銭を落とした八十が残りました。
 そういうふうに、自由競争を行い、弱者が被害を受けそうになったときにのみ法律が介入するというところには、大したもうけはございません。逆に、禁止して甘い汁ができ上がるから天下りだのやくざだのが群がって、その甘い汁を、何とか分け前をとろうという考え方に立つんだということを初めに言っておきたいと思います。
 我々犯罪学者の間ではこういう言葉があります。モラルクルセーダーズとマフィアは同じ方向を向く、これはつまり、倫理の闘士とマフィアとは共通の利害の上に立つということです。そういった言葉が犯罪学者の間ではございます。
 また、取り締まりが不可能だということもございます。これはまた後で説明しますけれども。
 現在、イギリスから入り込んでいる例えばSSPなどというインターネットの例をB−1から4に挙げておきましたけれども、これなどに関しては、インターネットで自由に日本の市場を飛び回っております。それで、あるオッズに関しては、例えば日本の競馬なんかもオッズメーキングをしておりますけれども、日本で馬券を買うより率がいいのです。ですから、変な話ですが、そっちで買うチョイスを選ぶ人も実はいっぱい出てくるであろう。また、いろいろなことに楽しみとしてかけられておるのが現状であるということだけ申し上げます。もちろん、取り締まれないというのが合法化すべきだという理由では全然ありません。
 さて、私は、ギャンブルのこの新しいサッカー・トトカルチョの法案を見まして、不完全ながら、基本的には賛成の立場をとっております。また、サッカーくじはギャンブルかと言われればもちろんギャンブルですけれども、私はギャンブル自体を悪いことと考えておりませんので、その立場だけまず皆さんに申し上げておきます。
 さて、不完全ながらと申し上げましたその一番不完全な部分からちょっと順番に説明いたします。
 資料のA−1から4にお示ししましたけれども、ちまたで百六十万倍、百六十万倍、二位は五十三万倍なんというばかな数字が出回っておりますけれども、もう全く意味がありません。
 つまり、例えばイタリアで行われているトトカルチョは、十三試合から勝ち、負け、引き分けを選ぶという日本と同じ方式ですけれども、一位の倍率は大体十二万五千倍というところで設定されております。それがぎりぎりです。そして、実は、なぜこれが変わるかというと、どれも三分の一で当たるわけじゃないのですね。例えば、ある強いチームと弱いチームが強い方のホーム地で当たった場合、強い方が勝つ確率が七割、八割となってしまうケースがよくあるのです。そういったケースを全部網羅いたしますと、大体五、六万倍というのが私の計算したフェアなケースと言えます。
 ですから、資料A−3につけておきましたけれ
ども、「各チョイスの正答率と全問正解率の関係」、これは、級数というのは、十三乗もありますと、ちょっと数字が変わるだけであっという間に変わっていきますのでこういう数字になるのですけれども、百六十万倍というのはもうめったにありません。たまに大番狂わせが何回も、何週間も続いて、瞬間的に一億ぐらいいくかもしれませんけれども、私の予想ですが、まあ一億はいかぬだろうなというふうに考えております。これが第一点の間違いです。
 第二点目に、皆さんの議論をずっとフォローしておりますと、倍率が高いと射幸性が高いというふうに考えておられることです。倍率と射幸性の関係は、高ければ一方が高くなるというものでは必ずしもございません。例えば、競輪、競艇なんというのは、かなりの確率で予想ができます。三倍、四倍。そういったときに、十万、二十万とつぎ込むわけです。
 さっき玉木さんが、サッカー・トトカルチョで破産した家はないとおっしゃいましたけれども、確かにそのとおりで、株なんというのは一・二倍か一・五倍か、まあせいぜい二倍になるのがいいところですから、百万、二百万、一千万とつぎ込むわけです。ところが、サッカー・トトカルチョに十万つぎ込むやつはおりません。ですから、ある週に限られた金額で、しかも極端に高い倍率になる場合には、射幸性が高いと我々ギャンブル学者の間では申しません。これだけは申し上げておきます。最高額というのは一つの要素です。
 宝くじは健全だなんてみんな考えているかもしれませんけれども、宝くじというのは、私に言わせれば逆に不健全なギャンブルで、単に棚ぼたで、何か降ってくるのを待つだけ。どちらかといえば、自分で推理して何かをつかみ取ろうとする精神の方がよほど気高いと私は考えております。
 それはさておき、資本主義において、そもそも射幸心というのはなくてはならないものであって、それがあってこそ資本主義、また投資というものが成り立つのだということを我々は基本的に思い出すべきだ、そして、その精神を子供のころから育てるべきだというのが実は私の意見です。
 それはさておきまして、もう一つの誤解を申します。八百長、犯罪の温床となるということです。
 私は、実は犯罪学博士号を持っています。社会学博士と書いてありますけれども、日本で数少ない犯罪学博士です。学位は犯罪学で取りました。しかも、少年非行で取りました。それは言っておきます。
 さっき申しましたように、かけによって実はやくざに流れる資金がほとんどなくなります。アメリカにおいて今一番問題なのは、実はカジノでマフィアが暗躍することではないのです。マフィアは、今カジノからは甘い汁をほとんど吸えません。どちらかといえば、スポーツブッキングの方で甘い汁を吸っております。というのは、全米においては、今ネバダ州と、あとミネソタがチャレンジしておりますけれども、ネバダ州だけがスポーツブッキングが合法化されているのです。それは、一九五五年にできた連邦法によって全州で禁止されて、それまでに合法化されていたネバダ州だけが合法という状態だからなんですけれども。
 この間、「インターナショナル・ゲーミング・アンド・ウェージャリング・ビジネス」という雑誌が控えめなエスティメートを出しましたところによりますと、日本円で大体十四兆円がやみでかけられ、そのうちの約一〇%がやみの世界へ流れているだろうということです。つまり、合法化したイギリスと合法化できていないアメリカとの大きな差はここにあるのだと。つまり、片や禁止されているから、甘い汁を吸えるレベルまでオッズが下げられる、こっちは下げられないという状況になります。
 皆様はもう御存じだと思いますけれども、高校野球なども実はSSPのかけの対象になっておりますし、やくざはそういうものをかけの対象にしております。その連中が甘い汁を吸うのは、どちらかといえば禁止されているからだという言い方も私はしたいと思います。
 何にしても、かけを公営化することによってクリーンになった例というのは枚挙にいとまがありません。例えば競輪だって、一時は暴動が起こるほど、ジャッジに対するいろいろな不安、そういったものもありました。でも、それを経て、とことんまでモラルが厳格になってきているのが現状です。
 私は犯罪学者として、一九五五年から九〇年代に至るまで、ずっとマフィアとラスベガスとの関係も研究しておりましたけれども、血のにじむような努力を経て今のクリーンな状態になった。今ラスベガスでクリーンさを疑う者は、素人を除いてはおりません。それは、アメリカでギャンブルに反対する側の団体も、ギャンブルには不正がないことは認めざるを得ないとちゃんと認定しております。
 それはさておき、日本における暴力団の資金源の二位はのみ行為です。四位は賭博開帳、今はちょっと下がっておりますけれども、かつては賭博開帳でした。そのように甘い汁を吸う原因というのは、さっきも言いましたように、ギャンブル自体が悪いのではなく、それを扱う周りの人間の頭の問題だと私は思っております。
 青少年に悪影響があるというのもよく聞く意見です。これは、私の意見として聞いていただければいいのですけれども、子供たちに世の中のきれいな面だけを見せる教育というのは、とかく破滅しやすい人間を生んでしまいます。ですから、小さいころからある程度汚いものにもなれ親しませるというのは、私は教育の果たす役割ではないかと思っております。
 臭い物にふたをする教育というのは、いざというときに何もできない人間を生んでしまうと私は考えております。それは、免疫がつかないという意味です。ですから、川に近づいてはいけませんという教育を受けた人は、いざ川にはまったら、または息子が川にはまったら何もできないという状況になるわけです。そういった人間をつくらないのは、ある面では学校教育の使命であり、また文部省の使命でもあると私は思っております。別に文部省がこれをやるのに賛成と言っているのじゃないのですよ、誤解なきように。私も、実はある理由で反対の意見があるのですけれども、それは後で申し上げます。
 主婦によるパチンコ依存症が随分問題になりましたのも、日本の主婦というのは実は一番ギャンブルから遠ざけられておった存在で、免疫が全然なかったのです。それが一つの理由であります。パチンコというのは結構おもしろいゲームなんですが、いざそういうものを何らかのきっかけでやり始めてしまったとき−またパチンコというのは、警察はギャンブルにあらずなんということを平気で言いますから、パチンコを合法化しようと思ったときにも、皆さん、多分苦労なさったと思いますし、何かにぶち当たったというふうに私は記憶しておりますけれども、法治国家として法の解釈だけで物事を解釈していくというのは大変危険なことです。私は、一応刑法学会にも属しておりますので、法律に関して一言言わせていただきますけれども、法治国家というのは、民衆が必要とするならば法律の方を変えるべきであって、解釈は変えてはいけないというのが法哲学の根本思想です。
 ですから、まず基本的には、私は免疫というものはある面では社会勉強として、親がどこまで許すか許さないかという範囲をしっかりと決めるべきだというふうに思っています。うちの息子はチョコレートを食べ過ぎるから学校で禁止してください、太って困ります、そういう思想というのは、基本的にだれも大人になっていない、いつまでもだだっ子で、すねて怒ってだだをこねたら何かしてくれるという、大人になれない子供だけを育てていく。そして、いざというとき自分で考えることができず、助けだけを呼ぶ人間をつくっていくと私は思っております。
 私がさっき不満に思ったのは、十九歳未満に関
してです。玉木先生と同じように、私は小さい年齢でも許すべきだと思っております。私は、全般的にこの法案が通ればいいと思っています。そして、お父さんとかお母さんに頼んでくじを買えばいいと思うのです。それは私、犯罪学博士として断言しますけれども、その家庭の子供は絶対非行に走りません。本当です。私、実は少年非行でずっと学位論文を書いておりますけれども、そのような家庭が一番非行に走りにくい家庭、まず、共通の時間を持ち、そして共通のことについて例えば父と子が、母と子が話し合うということは大変いいことです。
 長々と申しましたけれども、私は、もちろん天下りはあってはならない。というか、天下り自体は否定しません。ちゃんと監督し、適正な給料を取るのだったらいいのですけれども、甘い汁を吸うような天下りはあってはならない。そして、すべての収益、使い道は、公平、透明でなければならないというふうに思います。
 最後になりますけれども、昭和二十七年以来、ギャンブルの法律というのは全然通っておりません。財源云々はどうでもいいのですけれども、どちらかといえば、世の中を変える、しかも自転車の振興だとか畜産の振興だとか、そんなものを五十年もほっておきながら、こっちはいけないという、そういう事なかれ主義、何も変えたくない、そういう主義が蔓延するとすれば、それ自体が日本がおかしくなっていく理由なんだというふうに思っております。
 野球だって相撲だってゴルフだって、みんなかけの対象にすればいいと逆に僕は思います。例えばゴルフで千円握るという行為、これはゴルフというストレスを解消する遊びをよりおもしろくして、ストレスをよりたくさん解消させるための手段です。でも、実際は刑法百八十五条で禁止されています。でも、こういった健全な遊びまで、世の中、本当に禁止するのが刑法典の意思なのかということをもう一度お考えいただきたいと思います。
 もう一点だけ、最後に資料のD−2を見ていただきたいのですけれども、日本人もアメリカ人もほとんど同じだけの金額を一人当たりかける。まあこれは大人も子供も赤ちゃんも含んでいますから、本当は成人男性だともっといくのでしょうけれども、結局、アメリカのように合法化の進んだ国においては一人当たりの負け額は少なく、実は日本が倍以上になっております。これは日本人が単に搾取されている、要するに、自由競争でないから、お上が勝手に胴元になってたくさんとっていっているんだということをあらわしているのだとお考えください。
 以上で終わります。(拍手)

○河村(建)委員長代理 ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――

○河村(建)委員長代理 次に、石井郁子君。

○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 参考人の皆様には、きょう御出席いただきまして、貴重な御意見をいただきました。本当にありがとうございます。お礼を申し上げたいと思います。
 私はまず長沼参考人にお答えをいただければと思いますが、Jリーグの創設の精神に、フェアプレーを大切にする、それを基本にするということが掲げられているかと思うのですけれども、このサッカーくじが導入されますと、勝敗の結果が金銭にかかわるというわけですから、審判員の方たちがミスジャッジをしてはならないということで、非常に不安を覚えておられるという声を私は耳にするわけでございます。現に、サッカーくじを実施している国では、審判のジャッジに対する攻撃とかおどしとか、あるいは事件にもなっているということがございます。
 それで、Jリーグをこれからしっかり根づかせていかなければいけないわけでして、また、フェアプレーに満ちたJリーグにしていくということが大切なわけでございますから、そういう点からしまして、このサッカーくじの導入について、実際に対象となるサッカー協会としてはいろいろやはり御心配もあろうかというふうに思わざるを得ません。
 先ほど田中眞紀子議員から同じような質問があったかとは思いますけれども、私は、買収は成立しない、あるいは罰則を設けるという話もあるかと思いますけれども、しかし、選手や審判の方々あるいは監督、いろいろな方々にやはり心理的なプレッシャーを与えたり、あるいはプレーの上に影響したり、そういうことを考えなくてもいいのかどうかということをちょっとお尋ねしたいと思います。

○長沼参考人 御存じないと思いますが、Jリーグは百年構想というものを立てて公表しております。まだサッカーがそれほど大きな存在でないから御存じないと思います。また、サッカー協会自身もJFA21プロジェクトというものをつくって、来るべき百年はいかにあるべきかということをしきりにやっております。
 Jリーグの百年構想というのは、先ほどからお話が出ている地域スポーツ、いろいろな種目が加入しての地域スポーツ、それをどんどん育成するべきであるということで、それの核になっていきたいということでございます。
 もちろん、それには設備あるいはお金、人材、そういうものがそろわないとなかなかいいものはできません。そんな中で、一つでもいいモデルケースをということで今四苦八苦しておりますが、幸いに、鹿嶋市におきましてバスケットボールとサッカーがジョイントしたような形が生まれつつあるということでございます。
 前に、Jリーグ発足のときに、当時からトヨタの会長でいらした豊田章一郎さんに、今経団連会長でいらっしゃるのですが、呼ばれて説明に伺ったときに、名古屋のチームはグランパスエイトというのですが、将来、グランパスエイトのグラウンドの脇に小さなスペースがあったらテニスコー
トをつくってください、それでグランパスエイトテニスクラブの誕生です、どうしてもスペースがなかったら愛知県もしくは名古屋市、豊田市にかけ合ってください、そのときに我々は応援に行きます、自治体と住民と企業とが一致しないと地域スポーツは伸びません、申しわけないけれども、そのテニスクラブができたら、そこに優秀なインストラクターを一人、二人、トヨタさんのお力で配置をしてください、大トヨタにとって二人のインストラクターの人件費が企業の消長に影響を及ぼすようなことはないと存じます、というところまで申し上げました。そうしたら、その考えはおもしろい、将来検討するとおっしゃっていただいたのです。もうちょっとお暇になったらもう一回お願いに行こうと思っておりますが。
 そういう意味で、何かのスポーツが核になって地域スポーツができていけばな、これがヨーロッパ全体の姿でございますから。
 本当は、プロ野球がその先鞭を切っていただくのが一番うれしいのです。東京ジャイアンツにサッカーがあっていい、東京ジャイアンツにバレーボールがあっていい、それを一つの組織が統括してくれれば一番ありがたい。これが西欧への近づきの第一歩だというふうに思っております。
 したがいまして、このくじの収益がJリーグに悪い影響を及ぼすとかそういうことよりも、時間はかかるけれども、何としてもそういう日本にしたいなというのが我々の現在の存念でございます。

○石井(郁)委員 どうもありがとうございました。
 先ほど来、サッカーくじは、かけをするわけですから、どう定義をしようとこれはギャンブルですということにきょうはほぼなっているかなと私は理解をしています。
 そこで、子供たち、青少年への悪影響がいろいろ問題というか懸念されて議論されているわけでございますけれども、この問題になりますと、提案者の皆さんが、これが実施されている国、とりわけイタリア、フランス、イギリスの例を出されまして、そこでは子供への問題は聞いていないという話をされるわけであります。
 実は、私も昨年、当委員会の海外視察で御一緒いたしましたので、ちょっと私なりに一言申し上げておきたいというふうに思うのです。
 それは、イタリアの場合は一九四八年、だから戦後すぐですよね、オリンピック選手の強化とかプロ競技の強化のために導入されたというふうに聞いていますけれども、何しろもう五十年の歴史があるわけです。それから、イタリアの場合は国のスポーツ予算というのはゼロだというふうに伺いました。だから歴史的に、いわばサッカーくじをスポーツ予算として国民は理解している。ということは、これ自身を国民はもうスポーツの税金の一つというふうに考えているからじゃないかと私なんか思っているわけです。
 それで、日本は、今お話しのように、Jリーグからまだ五年ですよね。そういう点でも、まず一つは、導入の歴史が、歴史的な背景が違うということがあります。
 それと関連しまして、フランスの場合ですけれども、長野オリンピックのときにユマニテという新聞の記者がいらっしゃいまして、ちょっと話をしたのですけれども、フランスではサッカー場には子供たちは絶対行かないと言うのですよ。母親は、あそこは子供が行っちゃだめな場所だというふうに言っているということですね。つまり、やはりいろいろなことが起こり得るというふうに聞きました。
 私は、その点で日本の今の状況、とりわけサポーターの多くが青少年ですよね。サッカー場には女性も子連れのお母さんもいっぱいいらっしゃるというふうに聞くわけであります。それから、高校生が選手になっておられるということも聞いております。だから、サッカー場が家族連れで行く場所になっている、こういう日本のスタートと状況が全然違うんじゃないのかというふうに考えているわけです。
 そこで、高田参考人に詳しく伺いたいのですけれども、サッカーを練習しているお子さん、または将来サッカーの選手を目指している子供たち、そういうお母さん方とずっと対話をされてきたと思うのですけれども、また実際に日本のサッカー場を、各地を回っておられると思うのですけれども、そういうところを見られて、本当のところどうなんでしょうかということをお聞かせいただければと思います。

○高田参考人 日本の場合、サポーターの年齢層がヨーロッパに比べてうんと若いということを言われております。
 実際に、この間、私たちは、多くの女性団体や青年団体、スポーツ団体の方々と御一緒に、日本じゅうのJリーグのホームタウンのあるところでずっと署名に取り組んでまいりました。そこで改めて実感したことは、Jリーグは地元や家族そろっての多くのファンの方々にとても支えられている、みんな楽しみにされているなということを実感しました。
 サポーターの方々は本当に生き生き輝いている。鹿嶋では、非常にこれは感激しましたが、六十代、七十代の方々がお孫さんと一緒に楽しんでいらっしゃるというような姿も見まして、Jリーグ発足のときにチェアマンの川淵三郎さんが、親と子のコミュニケーションの場にということをおっしゃっていましたが、その方向をぜひ定着させていただきたいな。
 宝くじと違って、勝ち負けにかけるサッカーくじが持ち込まれますと、勝ち負けだけが問題とされていく傾向になって、先ほど来諸先輩の方々が本当にスポーツの大事さ、スポーツの文化性ということを言われておりましたが、それらが否定されるのではないだろうかということで非常に心配で、今本当にホームタウンが家族ぐるみ、子供たち、しかもスポーツ少年の夢をはぐくんでいる、そういうサッカーのあり方を日本の国で大事にしていただきたいな、そのためにもくじにはぜひ反対していただきたいと思います。

○石井(郁)委員 玉木参考人にお伺いしたいと思います。
 修正事項が加わったことで本委員会の審議に入っているわけですけれども、私は、あの修正事項でいわば競輪、競馬と同じような公営ギャンブル法になったというふうに思うわけですが、そういうふうに言っていいのかどうかという問題。
 それから、日本でJリーグというプロスポーツにいわばこういうギャンブル法を適用するというのは初めてなんですよね。そういうことで、やはりスポーツ自身をこれはゆがめることにならないのかという問題を私たちは一番考えるわけですけれども、その点での御見解を例えればと思います。

○玉木参考人 私自身、参議院の修正で一番懸念しているのは、Jリーグの独立性ということを懸念しているわけです。文部大臣の大事に対しての権限までが加わったわけですね。それに対しては非常に心配をしておりますが、先ほど長沼会長が大丈夫であるという返答をされたので、それを信じてもいいかなという気もします。少し懸念していることは事実です。
 それともう一つ、ギャンブルを持ち込むことによってスポーツが曲がるかというふうに言われたのですが、真っすぐなスポーツの状態というのがどういうものか、僕はちょっとよく理解できないのですね。というのは、スポーツというものが何が健全で何が健全でないのかというのに対して、今の御質問の内容でしたら非常に先入観があるのではないかと思うのです。
 今の高校野球は曲がっていないのか。高校野球賭博を国でやっていないから曲がっていないと言えるのか。そういう問題を一つずつ考えていくならば、サッカーくじあるいはトトカルチョ、サッカーとギャンブルとも言ってもいいと思うのですけれども、それを入れることによって、先ほど来おっしゃっていた家族で楽しむサッカーというものが消えるとは僕は思えないわけなんです。
 むしろ、むしろというよりも、ギャンブルとい
うものに対する考え方というものを、ギャンブルは悪であるという先入観そのものをこれからは変えていかなければいけない時代になってきたのではないかな、そんなふうにも思います。

○石井(郁)委員 その辺はこれからの委員会の審議の中でもっと突き詰めていきたいな、もっと徹底した審議が必要かなというふうに思うのです。
 日本の場合は、よく言われるのは、公営ギャンブルが世界一多い国だという中で、プロスポーツ、Jリーグにも持ち込むということがどういうことになるのかという問題があるかなというふうに思っていますので質問させていただいたわけですが、あと少しの時間ですので、再度高田参考人に伺いたいのです。
 昨年、衆議院の文教委員会でこの法案が通りましてちょうど一年になりますね。この一年で、まだまだ足りないけれども、このサッカーくじ法案に対する国民の中の批判的な声というのは随分広がってきたというふうに私自身は思うのですね。そういう意味での世論の変化というのは大変大きなものがあると思います。そして、それは同時に、スポーツの振興というのはいかにあるべきかということを、皆さんが、国会内外が今真剣に考えているときだというふうに思うのですね。そういう意味で、拙速は絶対避けなければいけないし、慎重審議をしなければいけないというふうに考えているわけです。
 先ほどJリーグのホームタウンの話がいろいろとございましたけれども、いろいろな階層、いろいろな分野の方々とお話をされて、反対の声、実際の声といいますか、広がりといいますか、そういうところをもう少しお聞かせいただければというふうに思います。

○高田参考人 先ほども言いましたように、やはりこの間、声としては、地方議会のところで決議が次々上がってきております。例えば愛知県の一宮市議会で、最初私たちが請願に行きましたときに、市議会の中から、議員さんから、サッカーくじについてはようわからぬという声が上がってきたのです。
 そういう中で私たちは、一宮市の四十七校あります全部の小学校の校長先生、そしてPTAの会長さん等を訪問して話し合いました。そこで、最初はわからないと言っていらっしゃった方も、話し合いの中から、やはり今これ以上子供たちの環境を悪化させてはいけないということで合意が進みまして、そういう周りの女性団体、PTA、校長先生たちの動きの中から、一宮市としましても、このサッカーくじ法案には多くの教育関係者及び司法関係者を初めさまざまな方面から慎重審議を求める声が上がっている。サッカーくじをギャンブル化させ、試合の結果だけを追い求める風潮を助長し、青少年の人格形成やモラルの発達を阻害するおそればかりか、新たな非行の原因ともなりかねないという請願書を、最初はようわからぬと言っていた方々が、全会派一致で採択してくださったということです。
 これは党議拘束をかけていらっしゃる政党の方ですが、やはり自分も反対だと。この連休中に地元の選出議員のところに、考え直してほしいということで随分私たちは話し合いに行きましたが、賛成されていた議員さんの中からも、やはり今の子供たちの状況の中から、何とかしたいという声を聞きまして、本当に国民の率直な、素朴なそういう願いを受けとめていただきたいなというふうに思いました。

○石井(郁)委員 時間が参りましたので終わります。ありがとうございました。


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