衆院教育再生に関する特別委員会公聴会会議録 第一号 2007年5月16日
公述人
(独立行政法人大学評価・学位授与機構機構長)
(前中央教育審議会副会長) 木村 孟君
公述人
(玉川大学学術研究所特任教授)
(中央教育審議会臨時委員) 山極 隆君
公述人
(NPO法人地方自立政策研究所理事長)
(前志木市長) 穂坂 邦夫君
公述人
(都留文科大学文学部教授) 田中 孝彦君
公述人
(全日本教職員組合中央執行委員長) 米浦 正君
議員 田島 一成君
議員 高井 美穂君
議員 藤村 修君
議員 牧 義夫君
議員 松本 大輔君
議員 笠 浩史君
文部科学大臣政務官 小渕 優子君
衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長 清野 裕三君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出第九〇号)
地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第九一号)
教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出第九二号)
日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出、衆法第三号)
教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出、衆法第一六号)
地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出、衆法第一七号)
学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出、衆法第一八号)
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○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
教育三法案につきまして、きょうは本当に短い時間でございましたけれども、それぞれのお立場から率直な御意見をお述べいただきまして、お聞かせいただきました。心からお礼を申し上げます。
幾つかの論点、重ならないように私も質問したいなと思っているんですけれども、最初に穂坂公述人に伺いたいと思います。
志木市は、全国に先駆けて二十五人学級を実施されたということで有名なんですけれども、国の編制基準は四十人という中で、地方自治体でそれと違った基準にするということについては簡単なことではなかっただろうというふうに思うわけですね。率直なところ、文科省との間でどんなやりとりがあったのか、どのようにしてこの実現に至ったのか、お聞かせいただきたいということが一点。
それから、冒頭陳述の中で、指導助言の実態は、実はそれ自身に問題があるということをおっしゃったと思うんです。上意下達が慣習化しているということですが、これの実態につきまして、具体的にどういう事例として起きているのか、この指導助言ということが地方教育行政の自主性をどのように阻害をしていることになっているのかという点についてお聞かせいただきたいと思います。
○穂坂公述人 一点目の二十五人学級、同時に、私どもはホームスタディー制度もしたんです。二十五人学級は健常者で、心の傷を持っている方々に適用するのがホームスタディー制度。どっちも初めてでしたから、随分、学校否定論者ですかとか、やはり守らないのはよくないとかとよく言われる。
まず、一点目の二十五人学級は、そんなに文部省から直接的にはありません。ただ、私は、さっき言ったように県議会が長かったし、議長なんかもやっていましたし、ある意味ではツーツーでした。最初は、いいですかと言ったら、だめでした。そうですね、半年以上すったもんだしました。最後は、もういいと。たまたま教育長が私の県庁に入った同期でしたから、あなたには悪いけれどももうこれ以上は話し合いをやめて、私どもは、だめだと言ってもやります、だからどういうペナルティーがあるのかはっきり示してほしい、私どももそのペナルティーは甘んじて受ける、例えば市長がだめになるんだったら、私は別段やっている必要もないのでそれまで覚悟を決めてやるからと言って、ようやく、それでは志木だけではなくて全体的に埼玉県がそういう形で動くことでいいかと言うから、それは全く結構ですと。やはり単独で一つ一つやるというのは教育の機会均等を壊すというのがいっぱいあって、それが大義名分です。
ただ、文部省から直接言われたことはありません。むしろ陰の方に、自民党の方、国会議員とかそういう方じゃありませんが、若手からは、頑張った方がいい、そういう余りにも一律的護送船団方式はいかがなものかという、案外、支援というかそういうことはいただきましたね。直接的にはありません。ただ、県は、やはりかなりいろいろなことがあったのではないかと思っています。
それから、二つ目なんですが、さっきの指導助言なんですが、これは、言った方は普通に、命令じゃありませんよと言うと思うんです。ところが、言われた方はとり方が違うんですよ。これは、どっちが悪いという意味ではなくて、むしろ、今の教育長の体制が、御承知のように、市町村のは都道府県が認可をし、承認し、都道府県の教育長は国がというのがありましたね。そういう流れがずっと来ていますから、消え去ってないんですよ。ですから、やはり上級官庁に対しては猛烈に気を使うんですよ。これは体質だと言ってもいいし悪慣習だと言ってもいいですね。それが定着していますから、片方では気がつかないけれども、現場の実態なんです。
どこに出てくるかというと、例えば、総合学習なんかがありましたね。あのとき、わざわざ文科省はひな形までつくらなければ、下が受動的機能に特化しちゃって、言われたことをやればいい、怖いなという感じですから、どうやっていいかわからない、ひな形を示してくれませんかまでなっちゃった。大体、総合学習を考えるのに、言われたひな形でやるんじゃ何の効果もないと当時笑ったことがあるんですが。
ですから、これは、上ではそうでもないんだけれども、受け取り方が違う。体質化している、慣習化している。私は、むしろそっちの方に原因があるのではないか。
特に、さっき言ったように、その現象論で、今出ているのはマニュアル化です。言われたことがどうもやはり気になるからマニュアルにしてくれ、そうしたらわかりやすい。ですからそうかとマニュアルにする。子供じゃありませんが、やはりマニュアル同士の一つの伝達、報告、指導というのは、私は、教育にはなじまないのではないか、こう思っています。
○石井(郁)委員 田中公述人に伺いたいと思います。
今の教師たちが何に困っているか、何を求めているか、特に子供との関係で悩みが深いということを実例も挙げてお話しいただいたと思うんですが、そういう、今の子供たちが抱える、田中公述人の言葉によれば緊張や不安やおそれ、いら立ちというようなことを、やはりなかなか大人たちが受けとめ切れてないんじゃないかというような話は、私は、当委員会の審議の中では、大変新鮮に実はきょう受けとめたところです。
きのう、またまた、会津若松で高校三年生の悲惨な事件が起きておりますけれども、あの事件そのものはそれとしての解明が要ると思いますけれども、やはり、子供たちのいろいろなサインがだんだん極端な形でしか発せられなくなっているんじゃないかと私は思っているんですね。日本の教育の一つのあらわれ、競争や管理がやはり強まっているということを私はこの問題の背景として感じざるを得ないんですけれども。
子供たちが、ありのままに自分を受けとめてくれる大人、あるいは学校、地域、社会全体が、ありのままに自分の苦しいことを苦しいと言っていいんだよというふうにやはりなってないんじゃないかと私は思うんですけれども、その辺の問題につきまして、先ほどちょっと、公述人として時間の関係で割愛されましたけれども、危機的状況の深さというところをもう少し、今子供をめぐってどういう問題になっているのかということをお話しいただけたらと思うんですが。
○田中公述人 先ほど省略した部分ですが、教育基本改正法案の論議や教育三法案の論議が国会でされているこの一年の間にも、本当に日本の人々が心配するような子供の事件とか親子の関係の問題が顕在化してきたというふうに思います。例えば、秋田の能代での、近隣の小学生を殺してしまって、それをきっかけに自分の娘もあやめていた若い母親がいたというふうなことが露呈しました。あるいは奈良では、両親が医者の家で、お父さんにひどくしごかれた息子が家を焼いてしまって、母親や兄弟を死に至らしめてしまった、そういう出来事がありました。
そういうのは全く象徴的なことですが、僕は今、子供の不安定の背後に、教育の問題だけではなくて、今の日本の社会の危機というか、そういう問題があるというふうに思っています。
例えば、競争、自己責任を強調してきた新自由主義的な諸施策がもう四分の一世紀にわたって推進されてきた。あるいは雇用の不安定化、あるいは福祉、医療、教育などの商品化が進行し、格差も増大してきた。その中で、いわば勝ち組の子供も負け組の子供も、生きて成長していくプロセスで非常に複雑な傷を負うというか、そういう問題が発生してきているんじゃないでしょうか。精神医学の領域では、そういう心的外傷を負った場合に、非常に複雑な依存性と攻撃性を自分や他人に向ける、そういうことが明らかになっています。
ですから、僕は、ぜひこれからの論議でもお願いしたいことは、子供の不安定の原因を教育問題だけに帰するのではなくて、社会のこの不安定、人間と人間とを切り裂いていく社会、そういう社会にしてきた日本の諸施策、そういうものをぜひ国会の場で、このこととあわせて論議していただければというふうに思っております。
それともう一つは、これは先ほど資料としてお送りしたプリントなんですけれども、これは、全国公立学校教頭会の「学校運営」という機関誌に求められて書いたものですが、今お話ししたような、非常に子供が不安定を示すという動きを教師がどう受けとめたらいいか、それがすごく大きな問題になっているという中で、先ほど言いましたように、子供の、一人一人の置かれた内面や生育史を理解して、その子供を全体に支える教育実践を自分の頭で考えたい、そういう教育計画を校長の求めに応じて出したら、これは数値目標が出ていないからだめだというふうに返されるというか、そういう問題が出てきているわけです。
先ほど穂坂公述人が言われたように、自治体と政府の間でのマニュアル化という問題だけじゃなくて、政府が教育目標を示し、それの達成の競争を地域や学校や教師に課すということが、実は、非常に形式的な目標達成の計画を教師に書かせて、目の前の子供を見て、自分でその子にふさわしい教育計画をつくる、あるいは同僚と相談してつくるということがむしろ妨げられてきている、そういう現実が広がってきているというふうに僕は思っています。
それは、教師が悪くて広がってきているよりも、この間、国家が教育の目標を示し、そして全国的な競争を組織するというように進めてきた教育改革の実態がそういうものを僕は招いてきたというふうに考えていますし、今回の三法もむしろそういうものを加速するのではないかというふうに心配をしております。
○石井(郁)委員 田中参考人にもう一点伺いたいと思うんですが、今の話に関連いたしまして、先ほど世界の教育改革の動向ということも触れられましたので、今、日本がとっている、そういう管理目標を学校現場に押しつけるというか実践させるというようなやり方、そして競争が非常に強まっていくというようなやり方、これが本当に世界から見て、世界ではこういう方向をとっているところが、一体どこがどのようにあるのかというような問題として、もう少し補足をしていただければと思いますが。
○田中公述人 安倍首相が、美しい国、日本ですか、あの本で、イギリスのサッチャー政権のことをモデルにされていますが、まさにサッチャー政権は、国家が教育の目標を示し、全国的なテストを行いというふうなことをとってきたんじゃないでしょうか。しかし、今、そういう矛盾が露呈してきていて、それをどういうふうに是正するかということが大きな問題になってきていて、いろいろな対応が行われている。そのときに、日本の教育改革がなぜ競争と管理の方へ進むのか、これはやはり発達した資本主義国の政府としての見識を問われることだというふうに僕は思っています。
それから、私自身がこの間調査してきたフィンランドでは、九〇年代に、特に国家の規制を緩めて、そして自治体と学校教職員の、教育内容を創造して、つくるという権限を飛躍的に拡大して、そして学校を、すべての生徒の必要に応ずるということと、発達した情報を摂取し自分の見解をつくっていくためのラーニングセンターにするというか、そのための教師の養成を大学院を含めてやる、そういうふうに教育改革の大きな方向を積み上げてきたと思います。その結果が、PISAのテストのいいのが、それだけでいいとは思いませんけれども、日本の政府も一つの刺激としているフィンランドの好成績につながっているというふうに思います。
そのフィンランドの方向などは、今の提案されている、政府・与党が提案している教育改革の方向とは正反対であるというふうに僕は見ています。
○石井(郁)委員 米浦参考人に伺いたいと思います。
今、学校の評価、自己評価という形でかなり各学校が取り組んでいるというふうに思いますが、今度の学校教育法の改正の中で、文部科学大臣が定めるところで教育活動、学校運営について評価を行っていく、そして点検もしていくというような項目が書かれております。この問題について御見解を伺いたいと思います。
○米浦公述人 文科省が評価基準をつくり、それに基づいて学校を評価する、こういうやり方では、教育現場は混乱することはあっても、学校の教育力を高めるとか、学校をよくするということになるというふうには私にはとても思えません。
教育という営みは、すぐれて、指導に当たる教師と、それから子供との直接的なかかわり合いの中で行われます。そういう意味では、その学校の教職員と、もちろん子供たち、そして子供たちの保護者、これがいわばその学校の当事者ということになるんですけれども、本当にその学校がどういう課題を抱えていて、どういうことに力を尽くさなければいけないのかということが一番よくわかっているんですね。
私、つい最近まで埼玉県で仕事をしておりました。埼玉県では、学校自己評価システムというのが導入されて、実施されて三年目になるんですけれども、そのシステムの中に学校評価懇話会という、先生方、子供、それから地域の代表、PTA、保護者、こういう方々で学校評価についての双方向的な議論をするわけですけれども、その中に生徒が参加をして、非常に積極的に、学校をどういうふうにつくっていくかということで大きな役割を果たしているということがあるんです。
そういう、子供を含めて、教師と子供と保護者、もうちょっと広げて言うと、地域の住民の方々も含めて、その学校の当面する課題、これを明らかにして、それでこういうふうに頑張っていこうじゃないか、こういうやり方をやることで初めて学校はやはり自分たちの問題としてそういう問題に取り組めますので、いい結果をもたらすことができるんではないか、こういうふうに考えております。
○石井(郁)委員 評価の問題も、いろいろ考えがあると思いますけれども、本当に、その地域の学校、その学校をみんなでつくっていくという立場で、私は、そのみんなの中に生徒も含めて考える、そういう実践が行われているということはやはり日本の教育のすばらしい発展の一つを示しているというふうに考えているところでございますけれども、今後も議論していきたいというふうに思っております。
木村公述人に伺わせていただきます。
木村公述人は中教審に長いことかかわっておられましたし、そういう意味では、教育改革の問題にずっと携わってこられたというふうに思っておりますけれども、いまだに、いじめ問題、非行、学力問題等々、言われているテーマはずっと変わらないんですよね。これは、先日、ある参考人が、四半世紀も続けてきた改革の中でどうなっているのか、教育の安定性、学校の日常性が揺るがされている、教職員の多忙化、教育のゆがみを促進することになっていないかというようなことを指摘されて、はっとさせられてもいたんです。
今、こうして教育再生ということが安倍内閣のもとで言われているわけですけれども、今の教育がだめだ、教育に問題があると。しかし、もう四半世紀も教育改革というふうに政府は掲げてきたということを考えますと、その中心にいた木村公述人としまして、今の事態をどのようにお考えになっていらっしゃるのか、伺わせていただきたいと思います。
○木村公述人 お答えいたします。
ちょっと言い過ぎかもしれませんが、教育再生会議という名前が出ましたときに、私はかなり抵抗感を持ちました。といいますのは、日本の高等教育は確かにちょっと問題があると自認しておりますけれども、初中教育が本当にそんなに世界的なアベレージで見て悪いのかということについては非常に疑問を持っております。
私、これで十一年目になりますが、御承知かと思いますが、フルブライト・メモリアル・ファンドという、これは橋本元総理がおつくりになった、クリントン大統領と約束をして、年十億出して、アメリカの先生を毎年六百人呼ぶという大プロジェクトをやっております。ほとんどの方が御存じないのが非常に残念でありますけれども、ことしで六千六百人参ります。二百人ずつに分けて三回来られるんですが、その方たちに、私、一番最初に一時間半お話し申し上げて、大議論をいたします。
その方たちは、三週間日本にいていただいて、各地へ散って、ホームステイをして、各学校で教えて帰ってきて、最後にフェアウエルパーティーをやってお帰りになる。ほとんどのアメリカの教員が、日本の教育はすばらしい、とにかく自分たちの国は学ぶことが多過ぎるということを言って帰られます。証拠が私の机の中に入っておりまして、もう、恐らく二、三百の、もっと、七、八百通の手紙が入っております。事細かにどういう点がすばらしいかということを述べている方もいらっしゃいます。
そういうことからすると、私は、ここのところ、教育改革の論議は余りにもネガティブな面から出過ぎているというふうに思います。
一つは学力問題でありますけれども、私自身は、それほど日本の子供たちの学力が下がったとは思っていない。私は、先ほど申し上げましたように、東京工業大学におりまして三十三年間教えましたけれども、私が大学四年のときと今の大学生の四年の連中の能力がどうかといった場合には、私は、自分の方が進んでおるとは絶対言えません。それはもう、とにかく、英語の能力、それからいろいろなものを分析する能力、プレゼンテーション能力、そういうものは、私の四年生のときよりはるかに今の学生の方がすぐれております。そういうことでいうと、くどいようですけれども、余りにもネガティブな面から出るべきではない。
それから、初中教育について言いますと、学力問題、ほとんど新聞も報道してくれませんが、平成六、七年、それから十三年、十五年とやりました。十五年にV字回復しているんですよ。それをだれもテークノートしない。それで依然として、学力が下がった、下がった。その一番の根拠は、例のPISAの、読解力の八位が十四位になったということ。これは、問題をちゃんと見ていただいてから発言していただきたい。日本の子供たちが一番不得意な問題なんですよ、あれは。
ですから、そういうことも割り引くと、私は決して、もちろん全然下がっていないとは申しません、確かに学習に対する、学ぶことに対するモチベーションが下がっていますから、これはもうある程度下がっていることは認めざるを得ない。ですが、それほど、言われるほどではないというふうに思います。
それから、いじめでありますけれども、これは確かにゆゆしき問題でありますけれども、少なくとも統計的には、字面を見ますと、いじめはずっと減ってきております。先生方、保護者のいろいろな努力によって下がってきております。
それと、私は、いじめについては、多少英国の事情も知っていますけれども、やはり日本の社会の陰湿さみたいなものがあそこへ出ている。
例えば、ちょっと話を飛ばしますけれども、先ほど先生の問題が出ましたけれども、日本で今、初中教育について一番問題なのは、保護者が先生の悪口を言い過ぎることなんです。ティーチャーバッシングが多過ぎるんです。そういうことをアメリカの先生に、こういう聞き方をします。あなたの国では担任の先生の悪口を保護者が言うかというと、ほとんどの人がノーなんです。隣のクラスの先生の悪口は言うそうですけれども、担任の先生の悪口は言わない。どうしてだと言うと、それは同志じゃないか、こう言う。やはり、そういう感覚が日本にはない。とにかく人の悪口を言う。
例えば、この間も申し上げたんですけれども、若い社員が、夜、酒を飲むと必ず言うのはボスの悪口。英国で経験がありましたけれども、英国は、悪口は言いますけれども、だけれども彼はこういういいところがあるよと必ず出てくるんですね。やはり、そういう社会にしないといけない。余りにもネガティブな側面から出過ぎているということで、それほど私は心配する状況にはなっていないんじゃないかということで、教育再生という言葉に余り賛成をいたしません。
○石井(郁)委員 少し時間が超過いたしましたが、本当に貴重な御意見をいただきました。これからの審議に大いに生かしていきたいというふうに考えております。
本日は、ありがとうございました。(拍手)