衆院教育基本法に関する特別委員会 議事録第11号 2006年6月7日
議員 高井 美穂君
議員 藤村 修君
議員 笠 浩史君
参考人
(青森大学教授)
(エッセイスト)
(ジャーナリスト) 見城美枝子君
参考人
(社団法人日本青年会議所会頭) 池田 佳隆君
参考人
(公立大学法人国際教養大学理事長・学長) 中嶋 嶺雄君
参考人
(東京大学名誉教授) 堀尾 輝久君
衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長 清野 裕三君
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○石井(郁)委員 私、日本共産党の石井郁子です。
本日は、四人の参考人の皆様に御出席いただきまして、貴重な御意見を伺いました。本当にありがとうございます。
最初に見城参考人に伺いたいと思います。
少し前ですけれども、文部科学委員会の方にも参考人としておいでいただいたと思いますが、そのときも大変貴重なお話を伺うことができました。私は大変印象に残っているんですけれども、見城さんが、教育と医療は国の原点であるというふうにおっしゃっていたと思うんですね。あのときは三位一体改革の問題だったわけでございますけれども、今の政府は健康、福祉の分野では冷たい、自己努力をしなさいというふうに言っているようだ。義務教育についても地方の自治に任せましょうということになっている。本当に日本も来るところまで来たのかなという言葉も伺ったかと思うんですけれども、こういう日本、またこの先もこの方向を進めていいのかという御意見として私はお聞きをいたしました。
そこで伺いたいのは、今回の教育基本法の改正というか全面改定の案でございますけれども、この法案で、見城さんが今感じていらっしゃるような問題点、これは解決されていくんでしょうか。この見城さんの問題意識がどのようになっていくというふうにお考えでいらっしゃいますでしょうか。お聞かせください。
○見城参考人 御質問いただきましてありがとうございます。
国家の財政に関しまして、私たち国民は、経済的な数字が出るたびに、それを信じていけば日本はどうなるんだろうか、こういう懸念をいたします。
それから、地方の時代と言われて久しいわけですが、しかし、実際に地方に行ってみますと、地方は疲弊しております。過疎化は本当に進んでおります。そして、昨今のさまざまな子供をめぐる事件に関しましても、例えば、かつてでしたらば、首都圏、東京なら東京のような、地域、近所というものが希薄な、人間関係が希薄なところで起こるであろうと言われていたことが地方に起きております。
そういった観点から、地方の状況というものは、地方の自立とかそういう言葉だけで済ませるのではなくて、もう一度現状をしっかり認識した上で、どうしたら本当に各地でいい教育ができるのか、先ほどの医療の問題でいいましたら、いい医療ができるのか、いい人材が育つのかということを考えるべきだと思っております。
そういった点では、私は、基本法にのっとって、伝統という言葉が出ていますが、伝統こそ実は各地方にございます。東京も地方ということで考えれば、東京ローカルの、東京の、江戸の文化、伝統があるわけですので、そういった点も含めて、例えば日本の伝統という言葉に託されている、各地が生きるような教育行政ということにつなげていっていただきたい。むしろこういったものが、書かれただけではなくて、それを具体的に、現状を調査して、なおかつ、その上での生かすべきところを生かしていくきっかけになるのがこの基本法であり改革であったのではないか、こうとらえております。
○石井(郁)委員 どうもありがとうございます。
中嶋参考人に一点伺わせていただきます。
今も出てまいりましたけれども、与党案では伝統、文化の尊重ということが強調されているというか強く打ち出されているかと思います。中嶋参考人もこの伝統、文化の尊重ということを評価されているように伺っているんですけれども、一方で、文部科学省は、小学校で英語教育の必修化ということを早く進めたい、導入したいという方向もございますね。そういう小学校の英語必修の促進も唱えていらっしゃると思うんです。
他方、この問題で、やはり母国語をしっかり学ぶことの方が先決だという、母国語か英語かという議論もあるかと思いますので、ひとつ中嶋参考人の御見解を伺いたいと思います。
○中嶋参考人 小学校への英語の導入に関しましては、今いろいろメディアでも議論されているのは、私自身が中教審の外国語部会の主査としてこの問題に取り組んでいるからでございます。
これは、町村大臣の時代から、あるいはその前の中曽根弘文大臣の時代から、あるいは河村さんも含めて、日本の英語教育のあり方を根本的に改善すべきだということで議論が進みました。その前に、教育改革検討会議ですか、からの流れもあったわけです。
私は、先ほど申し上げましたように、伝統、文化を本当に尊重したいという立場なんですが、そのことと、グローバル化に備えて日本国民が、これは国際社会で活躍するような人材もそうですし、一般の日本国民も、国際的なコミュニケーションのツールとしての外国語、特に英語に習熟するということは非常に重要だと私は考えております。
したがって、英語教育をすれば国語がおろそかになるということではなくて、確かにそれは俗耳に入りやすい議論なんですが、実は、言語感覚とか言葉そのものが、今の教育の中で非常に荒廃し低下していると思うんですね。ですから、国語の時間をふやせば国語がよくなるということよりも、もっと全体的な教育の荒廃の一環だと思っております。
特に中学においては、実際には、週三時間の英語も行われずに、二・五時間ぐらいになっているんですね。しかも、単語量も、我々が英語を習った義務教育での英語の半分ぐらいになってしまっています。それでは、インターネットで子供が何かやるにしても、国際社会が物すごく今グローバル化していく中で、日本の子供を置いてきぼりにしていいのか。その意味では、むしろ、小学校五、六年ぐらいからきちんと教科として英語を導入した方がいいというのが私の考え方です。
そして、もうちょっと幼児教育の中にもそういう問題を取り入れていった方がいいと言うんですが、それは今審議中でして、まだ六割ぐらいのところなんですけれども、新聞はすぐそれを大きく書くものですから、若干誤解もあると思います。
したがって、日本の伝統、文化をきちんと尊重することと国際社会での共通のコミュニケーション手段としての英語力を学ぶということは矛盾しない。このままいくと、アジア諸国を見ても、日本の英語力は物すごく落ちてしまいます。
それから、そもそも、これまで日本の英語教育そのものに問題があったんですね。それは、能力に応じた英語教育をやらずに、先生が一つのテキストをみんなに同じように読ませてやるような、そういう戦後平等主義の教育が、英語というのは能力に応じていろいろ段階がありますから、そういうことも含めて英語教育そのものを根本的に改善しないと、多くの方々は、十年間英語を学んできてもほとんどその英語が使えない。英語は、まずコミュニケーションの手段ですから。そういうふうに考えております。
○石井(郁)委員 いろいろ思いもおありだと思いますけれども、この問題も、本当に議論をしっかりとしなければいけないたくさんの問題をはらんでいるというふうに私も考えていますが、しかし、子供は、一日二十四時間生きて、そして限られた年限で成長、発達をしていくということで言えば、大人の側から言えば、あれも足りない、これも足りない、あれやれ、これやれというふうに子供には映っているように思うんですね。学校もまたしかりだというふうに思うんですね。そういう点では、私は、今の御見解をそのまま受けとめるわけにはいかないわけですけれども、いずれにしても、大変真剣に議論しなきゃいけないというふうには思っております。
さて、堀尾参考人に伺います。
今議論になっておりますように、政府案の十六条の問題でございますが、ここは、教育はこの法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであるというふうにしていることがどういう内容なのかということでございまして、先ほどもいろいろと参考人の御意見を伺いました。
私も、ここで教育と教育行政が区別されていないということは本当に重大な問題だというふうに思っておりまして、そもそも教育というのは、法律の定めるところでやるのか、あるいは法律で縛るのかという問題が大きくあるというふうに思っております。
学校教育でいえば教師と生徒、家庭でも親と子という関係というのは、やはり子供の成長、発達に働きかける極めて人間的で文化的な営みだというふうに思うんですね。だから、そういう人間の内面の形成にかかわる部分ということになると、それを法律で定めて一体できるのかとそもそも思いますし、普通の親もびっくりするんじゃないかというふうに思います。
だから、人間の自由な活動の分野に国が関与する、いわば法律で縛るということは、やはりこれは憲法の言う精神的な自由ということに本当に反するのではないかというふうに思いますが、その辺、改めてもう少しお聞かせください。
○堀尾参考人 教育を法律で縛るということがどういうことかという御質問でもございます。これは、改正基本法案の十六条にかかわる問題であります。
私は、この証言で一つのポイントは、そもそも、教育基本法にしても、どこまで教育の目的や理念が書けるのかということを非常に慎重に抑制しながらつくったんだ、近代法というものは、本来そういうことをしてはならないんだという原則が実は確立もしている。
この点に関して言えば、例えばフランスのコンドルセの思想。コンドルセは、政府は、どこに真理が存し、どこに誤謬があるかを決定する権利を持たない、政府によって与えられる偏見は真の暴政である、こういうことを言っている。このコンドルセの意見というのは、実は、近代教育の思想の中でも、非常に大事な民主主義的な教育の思想家としてみんな評価しているものなんです、フランス革命期の、実はジャコバンに殺される人ですけれども。
あるいはドイツのフンボルト。彼は、「国家活動の限界規制に関する考察」の中で、公権力からの教育の自立性を主張しています。
あるいはフランスの法哲学者デュギ。彼は、国家は学説は持たないと。
あるいはイェリネック。皆さん法律を勉強された方は多いと思います。私が挙げた人たちはみんな巨大な法学者です。そのイェリネックは、市民国家というものは、人間の内面性に属するものは何物もみずからは生産しない、こういうことを言っているんですね。
つまり、これが近代の法であり、そして、法が介入してはならない人間の内面的な領域、これが確立しているわけです。
戦後の改革期、法学者たちは、当然こういう流れについても承知している。だから、教育基本法でどこまで書けるのかという議論を真剣にし、そして、あの歴史的な状況の中で、例外的、変則的ではあるけれども、抑制的に教育の目的も書いたということになるわけです。
ところが、今度の改正案では、二条という新しい条項をつくって、つまり、「教育の目標」という項目をつくった。だから、これ自体が大問題なんですね。愛国心がどうだという以前に、法と教育の問題ということで、そんなものをつくる必要があるのか。
しかも、それは、学習指導要領に今規定されているものをそのまま持ち込む、そういうことでもあるわけで、現に行われてもいる。それを基本法に持ち込むことによって一層統制力を強める。学習指導要領の場合には、まだ、その法的拘束力をめぐっても、これは最高裁判決の解釈として、実は解釈が分かれているわけです。
この点は私はぜひ言っておきたいのですけれども、小坂文科大臣、残念ながらここにいないようですけれども、私は直接質問もしたいんですけれども、この法案の提出とかかわって、昭和五十一年の最高裁判決におきまして、「法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為」は「「不当な支配」となりえない」、こういうふうに引いているわけです。でも、これは非常に重大な問題を含んでいるわけです。
実は、この最高裁判決、丁寧に読んでいない。小坂さん自身、そこをつかれて、これは志位さんが質問しましたけれども、私はそこはまだ読んでいません、そういう回答もしましたよね。
そういうことを含んでどこが問題かというと、文部省が引いているところは、実は、判決によりますと、「憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかである」、つまり、「憲法に適合する有効な他の法律」という言葉が書いてあるわけです。それを、引用のときには「法律」以下が引用される。そして、文部省は、これまで繰り返しそれをやってきたんですね。
つまり、判決によって確定した、そのことは教育研究者としては非常に問題にしていた、どうしてそういう判決の読み方ができるのかと思っていたら、今度の国会で非常に明快に、実はそういう読み方をしているということがわかったわけです。これは明らかに判決の読み違いであるというふうに、私は教育法学研究者として文部省の方にはぜひ言っておきたい。
そして、その問題は、実は十条改正問題になっているわけですね。それが十六条になる。十六条は、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、教育と教育行政というものをカテゴリーとして区別しながら、教育はこういうものでなければいけない、自律性が保障されていなければならない。だから、法によれば何でもいいということとは違うのです。そして、行政はそれを本当にサポートする重大な責任を持っているということで十条ができるわけですから、今度の政府改正案の十六条、十七条というのは非常におかしな改正になって、私はそこは非常に重大な問題を含んでいるというふうに思います。
さらに、十七条の教育の基本計画のところでは、政府は、計画をつくり実行し、それを国会に報告すればいいというふうになっている。そうすると、政府にフリーハンドを与えることにならないか。しかも、それを基本法が許している。基本法を根拠法にしながら政府のフリーハンドを許す。そうすると、政府がかわったら教育自体が大きく動くではないか。
教育の安定性というものは非常に大事なわけです。だから、教育の自律的な領域というものが保障されなければならない。そしてそこには、衆知を集めて議論をし、本当に子供たちを育てていくというその仕事ができやすくするために、法律というものがあり、政治というものがあるんだというふうに私は基本的に考えています。
十七条に関してもっと言えば、この計画の中では、競争と選別をますます強めるようなことになるだろうというふうに思っています。
○石井(郁)委員 ほぼ持ち時間が参りまして、先生、どうもありがとうございました。
やはり、教育基本法の研究者として、あるいは教育行政、教育と法律の関係についての長年の御研究がおありでございまして、その思いは大変深いものがあるというふうに感じたところでございます。
もう時間でございます。私も、教育の理念を法律に書き込むというのは、世界的に見ても、世界の法律の中にほとんどないんじゃないかというふうに思いますし、最後に述べられましたように、基本法を与党案のように変えていくならば、日本の教育が本当にどうなるのかと、むしろ大変危惧されることの方が多いというふうに思っておりますので、その点は質問できませんでしたけれども、きょうは、参考人の皆様に本当にいろいろと御意見、ありがとうございました。