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衆院教育基本法に関する特別委員会 議事録第9号 2006年6月5日


   議員           笠  浩史君
   議員           藤村  修君
   議員           高井 美穂君
   文部科学大臣       小坂 憲次君
   国務大臣
   (内閣官房長官)     安倍 晋三君
   国務大臣
   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君
   文部科学副大臣      馳   浩君
   外務大臣政務官      伊藤信太郎君
   政府参考人
   (外務省大臣官房審議官) 佐渡島志郎君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君
   政府参考人
   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        素川 富司君
   政府参考人
   (厚生労働省雇用均等・児童家庭局長)       北井久美子君
   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

     ――――◇―――――

○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 現行教育基本法をなぜ今全面改定しなければならないのか、また、現行法のどこに問題があるのかということにつきまして今もって納得のいく説明がされていないというふうに私は思っております。きょうは、そもそも、この現行基本法の成立過程についてまずお聞きをしたいと思っております。
 六月二日から東京新聞で、「教育の原点 基本法改正を検証する」という連載が始まっております。その一回目が「米国の押しつけはない」というものでした。
 学校教育法を立案された安嶋弥さんという方が、事基本法に関してはCIE、民間情報教育局主導で制定されたものではない、CIEは基本法については積極的ではなかったと思う、日本側の発想だったというふうに述べられ、また、文部省の元学校教育局長日高第四郎さんという方が、「多くの人は、アメリカ人におしつけられたものであると、考えているように思われます」「わたくしは、当時現場にいたもののひとりとして、誤解であることを知っていただきたい」と後に記していたということがこの記事で紹介されていました。文部科学省、当時文部省ですが、元役人の方がこのような証言を行っているわけであります。
 そこで、大臣に伺いたいと思うんですね。教育基本法は米国から押しつけられたものと思っているのですか、あるいは日本人の手によってつくられたという認識であるのか、お答えいただきたい。

○小坂国務大臣 今御指摘の東京新聞の記事そのものは読んでおりますけれども、この現行教育基本法の制定過程においてGHQのどのような関与があったか、あるいはなかったかについては、必ずしも明らかでございません。したがいまして、文部科学省としては、この問題についてお答えはできないと思っております。
 ただ、いずれにしても、現行の教育基本法は、憲法の精神に沿った教育の根本理念を示すものとして日本の政府の発意によって法案が作成をされ、そして帝国議会の審議を経て制定された、このことだけは明らかになっております。

○石井(郁)委員 この教育基本法の作成者たちがどのようにして立法したかということについては、いろいろ後にも証言集等が出されておりますよね。今、新聞でお名前を御紹介した日高第四郎さんですけれども、このように述べていらっしゃるわけです。
 この教育刷新委員会そのものには明白な自主性が認められている。アメリカのオブザーバーも、その代理としての日本人のオブザーバーも入っていない。委員は全く自由に討議した。また、一般に、法律案の形式にして国会に出す前には、すべて総司令部の検閲とか承認を受け取らなければならないが、その際、往々干渉があったことは事実である。しかし、教育基本法の場合には、実際上の干渉はなかったのでありますという文章がありました。
 それから田中二郎氏ですね。この方が実際教育基本法の作成の中心を文部省の参事として担った方ですけれども、「教育基本法の成立事情」では、あの前文にしろ、そこに盛るべき内容にしろ、また内容の書き方にしろ、田中先生、この方は田中耕太郎元文相のことですけれども、を中心にして文部省内で検討し、内部的に固めたもので、教育基本法は日本で自主的につくったものと言っていいでしょうというふうに書かれているわけですね。
 大臣、御答弁ありましたけれども、文部科学省として、教育基本法は日本人の手によって自主的、自律的に作成された、このことはやはり明確にしていただきたいと思いますが、いかがですか。

○小坂国務大臣 これは繰り返しになります。過日、大畠委員が民主党を代表されまして御質問された際にも、教育基本法の成立過程について、ファンダメンタル・ロー・オブ・エデュケーションという英文のドラフトもあるとか、いろいろと歴史的な資料等もひもとかれて見解を述べられました。
 私どもとしては、先ほど申し上げた答弁の繰り返しになって恐縮でございますけれども、その成立過程は必ずしも明確でない部分もございます。したがいまして、先ほど申し上げた、事実関係としての、日本政府の発意によって法案が作成され、そして帝国議会の審議を経て制定された、この事実だけを確認させていただいたところでございます。

○石井(郁)委員 これは当委員会でも、やはり立法者の意思あるいは作成過程、それを示す会議録とか資料というのは大変重要だということを私たちたびたび申し上げておりましたけれども、そういう意味で、この会議録というのが現行教育基本法については残されておりまして、そして、やはり新しい教育についてのこの立法者の意思ということがるる述べられているんですね。そこには非常に熱い志や思いが込められている。日本人が自主的に本当に英知を集めてつくり上げられたということが伝わってくるわけであります。
 それで、私きょうは、その立法者の意思を示すことの一つとして一点確認をしておきたいことがあるわけですけれども、この「教育基本法の解説」という貴重な資料の中にはこのようなことがあります。「まず新しい教育は「個人の尊厳を重んじ」て行われなければならない。従来の教育は、極言すれば国家あって個人を知らなかったということができる。すべて教育は「国家のために」奉仕すべきものとされ、「皇国民の錬成」ということが主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたのである」ということがありますよね。
 そこで伺いたいのは、教育勅語との関係なんです。御紹介した教育基本法作成の中心を担った田中二郎氏はこのようにおっしゃっています。本法は、教育勅語にかわるような教育宣言的な意味と、教育法の中における基本法、すなわち教育憲法的な意味とを兼ね有するものと言うことができると。ですから、教育勅語との関係でいえば、やはり教育勅語にかわるという意味もあって教育基本法が制定された、文部省はそのような認識に立っていますか。

○小坂国務大臣 委員が御指摘になりましたように、教育勅語が、二十一年の十月の文部次官の通牒によりまして、「勅語及び詔書等の取扱について」ということの中で、教育勅語を我が国唯一の根本とする考え方を改めると述べ、また、式日等において教育勅語の奉読を停止するということ、神格化するような取り扱いをしないということ、また、昭和二十二年三月には、教育勅語にかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして教育基本法が制定された、このようにされていることからしても、そういった意味でいえば、教育の憲法ともいうべき根本理念を定めるものとして、また、教育勅語にかわって、戦後の教育の中で、今申し上げたような教育諸法令の一つの根底をなすもの、そういう位置づけで現教育基本法が制定されたと言うことができると思っております。

○石井(郁)委員 いろいろな形で論議になりますので私はお尋ねをしているわけでございますけれども、教育勅語につきましては、一九四八年の六月十九日、これは、衆議院では教育勅語等排除に関する決議、参議院では教育勅語等の失効確認に関する決議ということがなされておりますね。微妙に内容は違いますけれども、私は、やはり今読んでも、大変重要だと思うんです。
 衆議院の決議にはこのようにあるんですね。「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。」
 また、参議院の方では、「教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。」ということで、やはり、教育基本法に基づいて新しい社会の建設、国の建設、そしてまた教育の方向を見定めていく、また、新教育理念の普及、徹底が本当に大事だということが書かれているところであります。
 そこで確認なんですけれども、教育基本法の制定とともに、やはり国会の意思としてこういう教育勅語というのは廃止されたということは確認できると思いますが、一言お願いします。

○小坂国務大臣 委員が御指摘なさいましたように、二十三年六月十九日に、当時の衆議院、参議院両院において、排除、失効確認決議というのが行われたことは事実でございます。
 また同時に、昭和二十二年三月二十日の貴族院の教育基本法案の委員会におきまして、教育勅語は、「日本国憲法の施行と同時に之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひ、又教育基本法の施行と同時に、之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひまするが、其の他の部分は両立するものと考へます、」またさらに、「それで詰り政治的な若くは法律的な効力を教育勅語は失ふのでありまして、孔孟の教へとかモーゼの戒律とか云ふやうなものと同様なものとなつて存在する」、このように解釈すべきではないか、すなわち道徳律の一つとしてこれはあるのではないかという見解も示されておるわけでございます。
 したがいまして、国会の意思としては、衆議院、参議院で排除、失効決議というものが行われたということは事実でございます。

○石井(郁)委員 大臣が教育勅語をどのようにごらんになるとか思っていらっしゃるかということは私は尋ねていません。国会の意思として衆議院、参議院で失効、排除の決議をされたかどうか、この事実を確認したわけでございまして、余り余分な答弁をなさらない方がいいかというふうに思うんですね。それは確認いたします。
 私は次の問題なんですが、現行法が第一条で教育の目的ということをいわば簡潔に書かれていますよね。「教育は、人格の完成をめざし、」云々といろいろあって、自主的精神に満ちた心身ともに健全な国民の育成を期して行うということがあるんですけれども、この教育の目的を書いたということ、このことについて少し質問したいと思うんです。
 この点も、やはり基本法の発案者が、田中耕太郎元文部大臣ですね、その田中耕太郎自身が一九五二年のジュリストの創刊号でこのように書いています。教育基本法がなぜに教育の目的というような純教育哲学的事項に触れなければならなかったのかといえば、従来、我が国の教育法令が教育の目的を指示しており、そうしてそれが新憲法の精神に反しているということが多かったので、やむを得ない手段であったと。この教育の目的を書いたのは、本当にいわば戦前との関連でやむを得ない手段であったというふうに書いている部分に私はやはり大変注目をしなきゃいけないというふうに思うんですね。
 ちょっと申し上げたように、その教育基本法一条というのは、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、」というようなことで、やはり一連の価値観は入っているわけです。述べられているわけですね。だから、これというのは、入っていることに対しては、やはり教育勅語にかわる民主的価値観を盛り込むことが求められていた。しかし、新しい民主主義的な憲法のもとで、教育の目的としてふさわしいものでも、やはり教育の目的にこれ以上の内容をつけ加えるということは決してしてはならないというのがこのときの立場だったんですね。
 私、そこで大臣に伺いますけれども、やはり当時の立法当事者が国家による教育への関与の抑制という問題をこのように真剣に考えていたということについて、どのように思われますか。

○小坂国務大臣 今回の提案の第二条におきまして教育の目標を定め、これは、個人の人格の完成を目指すとともに、国家、社会の形成者として国民の育成をするという教育の目的を実現するためにも、今日重要と考えられる具体的な事柄を挙げている。このことは、教育の目標を、国民の代表者により構成される国会の審議を経て法律として制定されるということが適切な方法である、こういう認識に立っているわけでございます。
 したがいまして、私どもは、教育に関する国の関与という点におきましては、これはあくまでも、憲法を初めとして法律によって定められた、そういったことについて、それを、行政的な手続に従って文部科学省として教育現場に対してその方向性を指示し、また、その法律の定めに従って行われた指導に基づいて各現場においてこれがなされること、これは、国による関与というよりは、法律に基づいた事柄の実行である、このように理解しているところでございます。

○石井(郁)委員 私は、今の御答弁というのは、本当に大変逆立ちした話だと思うんですよね。法律に目標を書けば何でもできるんだ、法律に従って行政を進めたらいいんだという話になっているわけですね。今私が伺っているのは、この法律にこういう教育の目的とか目標を書くということの問題性を話しているんですよ。
 引用しています田中耕太郎は、「教育の目的に立ち入って規定するという異例を犯さざるを得なかった」、現行基本法もそういう異例を犯さざるを得なかったと。そしてその後、こういう現象というのはすぐ取り除くことができない、だから、教育基本法はすぐ変えようと思っていませんから、できないにしても、これを拡張、強化してはならないと言っているんですよ。これは一九五二年です。御存じのように田中耕太郎は、当時の発案者、そして最高裁の長官でいらっしゃいますよね。これを拡張、強化してはならないと言っているんですよ。
 それを、今度はどうですか。まさに目的ではなくて、さらに教育の目標にして、事細かに、いわば「態度を養う」という徳目を二十項目も挙げて列挙しているわけでしょう。事細かに徳目を挙げる、まさに拡張、強化になっていませんか。こういう点については、大臣としてどのように検討されたんでしょうか。

○小坂国務大臣 教育の目標を法律で規定することによって、その教育の目標を人の内心にまで立ち入って強制しようとするものではありませんから、憲法の定める内心の自由に抵触するものではないと考えておりますし、それらの事柄をわかりやすくこの法律の中に明記することは、決してそれ自体が憲法に違反するわけではないわけでございますし、私は、抑制的かどうかという点においては、すべての事柄、法律を拡張的に解釈するというのはこれは行き過ぎであろうと思いますが、基本的には、その法律の範囲内にとどまるような意味でいえば、時のそれぞれの権力というものがそれぞれの時代の変遷の中でありますから、そういう意味では、ある程度抑制的に行われるということは私も考えておりますけれども、しかし、あくまでも法律で規定し、国民の代表たる国会議員の審議を経て決められたことというものを教育の目標として掲げ、それを教育の現場に浸透させること自体、それが違憲的なものであろうとか、あるいはなしてはならないことというふうには考えていないところでございます。

○石井(郁)委員 私が伺ったのは、こういう目的規定あるいは道徳的な規定を法律に盛り込むことについては、やはり拡張、強化してはならないということについて本当に真剣に検討されたのかどうか、どうもその形跡はうかがえないというふうに思うんですね。
 そして今回の目標は、しかも、道徳心、公共の精神、伝統と文化の尊重、我が国と郷土を愛する態度等々、やはり国が徳目的な目標を決めるわけです。そして教え込むわけですね。さらに評価もするということになって、これは、憲法が禁止する内心の自由にやはり踏み込むことになるんじゃありませんか。これは非常に私は明白だというふうに思います。
 大臣に最後に一言ですけれども、法律ですから、やはり法律は、その特質からして強制力を持つものですね。そういうものをお決めになるということについて、大臣、いかがですか。私は、大変重大な問題をこの今回の与党案ははらんでいるというふうに思いますが、法律は強制力を持つんですよ。教育の問題でそういうことを決めるということがやはり内心の自由に反するということについて、時間が来ましたので、やはり憲法の保障する内心の自由に反するということを私は最後に重ねて申し上げまして、きょうの質問を終わりたいと思います。


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