2003年4月3日(木)「しんぶん赤旗」

教育基本法「改正」やめよ

衆院委 児玉議員、根拠のなさ示す


 日本共産党の児玉健次議員は二日の衆院文部科学委員会で、中央教育審議会が答申した教育基本法「改正」の根拠についてただしました。

 中教審の十一月の中間報告は、教育基本法は、重要な教育の理念や原則が「不十分」なので見直すべきだとの意見が「大勢を占めた」と記述していました。

 児玉氏は、この記述について中教審の鳥居泰彦会長が、答申提出の直前に「大事なところで、私たちの本意ではないところが残っていた」と発言し、削除されたことを指摘。「ならば、だれが『不十分』、『大勢を占めた』と判断したのか」とただしました。遠山敦子文科相、河村建夫同副大臣ともに、答えられませんでした。

 児玉氏は、「中間報告の記述は文科省の“自作自演”ではないのか。ここは、基本法『改正』の必要性を打ち出した核心部分だった。『改正』の根拠を失わせるものだ」と批判しました。

 児玉氏は教育基本法の成立過程での国会論議をふりかえり、答申が「新たに規定する」としている「社会の形成に主体的に参画する『公共』の精神」などは、すでに基本法に「平和的な国家及び社会の形成者」という言葉で含まれていると指摘。「教育基本法の理念は、国際的な教育理念の発展と一致している。必要なのは、教育基本法を生かし、その理念から離れてしまった日本の教育を、理念の方向に戻すことだ」とのべました。

衆院 文部科学委員会会議録 7号

平成十五年四月二日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 古屋 圭司君
   理事 奥山 茂彦君 理事 鈴木 恒夫君
   理事 馳   浩君 理事 森田 健作君
   理事 鎌田さゆり君 理事 山元  勉君
   理事 斉藤 鉄夫君 理事 佐藤 公治君
      青山  丘君    伊藤信太郎君
      小渕 優子君    大野 松茂君
      岡下 信子君    岸田 文雄君
      近藤 基彦君    佐藤 静雄君
      谷田 武彦君    中谷  元君
      林田  彪君    松野 博一君
      森岡 正宏君    柳澤 伯夫君
      大石 尚子君    鳩山由紀夫君
      肥田美代子君    平野 博文君
      藤村  修君    牧野 聖修君
      松原  仁君    山口  壯君
      池坊 保子君    東  順治君
      黄川田 徹君    石井 郁子君
      児玉 健次君    中西 績介君
      山内 惠子君    松浪健四郎君
    …………………………………
   文部科学大臣       遠山 敦子君
   文部科学副大臣      河村 建夫君
   文部科学大臣政務官    池坊 保子君
   文部科学大臣政務官    大野 松茂君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策
   局長)          近藤 信司君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育
   局長)          矢野 重典君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局長
   )            遠藤純一郎君
   政府参考人
   (文部科学省スポーツ・青
   少年局長)        田中壮一郎君
   文部科学委員会専門員   柴田 寛治君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 文部科学行政の基本施策に関する件

     ――――◇―――――

○児玉委員 日本共産党の児玉健次です。
 教育基本法と教育振興基本計画に関して中教審の答申が出ました。きょうは、とりあえず何点か質問をします。この答申は昨年十一月の遠山大臣の諮問にこたえたものですから、きょうのところは遠山大臣に答弁をしていただきたい、こう思います。
 さて、最初の問題ですが、教育における理念、教育の原則、これは非常に重要なものだと私は考えます。国際的に見て記念碑になる一つは、一九四八年十二月に国連の第三回総会で採択された世界人権宣言だと思う。もちろん、これは人権全般にわたっていますが、委員の皆さんの机の上に資料を配っておりますけれども、その冒頭のところ、第二十六条の二、「教育は、人格の完全な発展と人権および基本的自由の尊重の強化とを目的としなくてはならない。」以下、こういった規定がされています。
 そして、これを受けてさまざまな粘り強い努力がありましたが、国際人権規約、A規約、B規約、これについては、日本は一九七八年の五月に署名して、翌年国会が承認し、批准しました。
 そして、もう一つ非常に大きな記念碑は、一九五九年、第十四回総会で採択された児童権利宣言だと私は思います。
 これは宣言ですから、各国を拘束する条約にしようじゃないか、そのための努力が始まって、子どもの権利宣言が、児童の権利宣言が出されてからちょうど三十年後、本当に三十年後です、十一月二十日という日をわざわざ選んで、この日、ニューヨークの国連総会はどんな状況だったか。午前十時に、国連総会は全会一致で子どもの権利に関する条約を採択しました。その日の午後の国連総会の状況は、今でも話題になっています。
 ニューヨークに住む五百人の子供が広い国連総会の場所を埋めて、そこでオードリー・ヘップバーンが、子どもの権利条約の母体となった子どもの権利宣言を、当時の文章によれば、美しい英語で一字一字かみしめるように読み上げた。その後、五百人の子供たちの何人かはざわついていたけれども、それはそれで和やかな雰囲気だった。何人かの子供たちが質問をして、条約作成に努力したグラント・ユニセフ事務局長やポーランドの担当者などが真剣に回答した。
 さて、その後どうなっているか。この子どもの権利条約の締結国は急増して、今、百九十一カ国です。そして、条約締結国の教育状況を権利条約に基づいて審査し、そして所見、勧告を示す、それが仕事の子どもの権利に関する委員会は、これまでの十人の委員ではもうとても足りない、十八人に増員しよう、そのための条約改正案が今この衆議院で外務委員会にかけられています。
 大臣に伺いたいんだけれども、国連を中心としたこのような教育の理念の世界的な広がりとその内容の豊かな発展について、大臣はどのように受けとめていらっしゃるか。

○遠山国務大臣 国連という場におきまして、加盟国、二百に近い国々が、皆が納得するようなすばらしい条約案をつくったりあるいは宣言をしたり、そういう役割を持つ国連の場におきまして、子供のことについても、今御紹介がありましたような宣言でありますとかあるいは条約というものが確立されていったというのは、これはすばらしいことだと思います。
 私もたまたま、先般、子供サミットが国連で開かれましたときに、日本政府代表で行きまして演説をする機会がございました。そのときにひしひしと思ったわけでございますけれども、その場に来る各国を代表する子供たちの状況というのは、日本の子供たちの状況から見ると、本当に貧しく、条件が悪く、しかし、その中でも生き生きと生きて、さらによくなりたいという意欲に満ちた子供たちに出会うことができました。そのことを比べますと、私は、日本の子供たちは、本当にいろいろな意味で恵まれているわけでございまして、国連の宣言なり条約、子供についてのそういったものの中でも、目的に照らして、あるいはその内容に照らして、日本の子供たちは大変恵まれている面が多いなというふうに思ったところでございます。
 いずれにしましても、お話しのように、国連の持つ役割というのはその面でも大変重要なものであるというふうに認識をいたします。

○児玉委員 この国際的な教育の理念に関する流れといいますか発展は、半世紀にとどまるものではありません。
 第一次世界大戦が終わった後、一九二四年九月に国際連盟が採択した子どもの権利に関するジュネーブ宣言にこういう一節があります。皆さん聞き覚えがあると思う。「すべての国の男女は、人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負うことを認め」云々です。「児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」。
 それから六十五年たって、先ほどの子どもの権利条約第三条の一に、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、」ちょっと略しますが、「児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と明確に言っています。
 国際的な教育の理念、原則に関する流れの発展にはしっかりとした一貫性がこの一世紀近い年月の間見事に貫かれている、私はそう思うんですが、大臣の見解を聞きたいと思います。

○遠山国務大臣 私は、主として国際連合、今の国連におけるいろいろな条約なりあるいは宣言なりというものをある程度フォローしてまいりました。今お話しの点についてきちんとサーベイした上でのお答えはできませんけれども、国際機関としての思想というものは、それなりに貫かれたものがあるのではないかなと推察をいたします。

○児玉委員 全体を議論するにはもちろん時間がありませんから、たまたま私は、人格という、教育基本法第一条でも問題になっている、そこの部分を抜き出してお示ししたのが先ほどの資料です。世界人権宣言についてはもう触れました。国際規約、A規約、その第十三条の一で、六六年十二月十四日のものですが、後に日本が批准した、「締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。」抜き書きです。子どもの権利宣言第六条、子供は「その人格の完全な、かつ、調和した発展のため、愛情と理解を必要とする。」そして子どもの権利条約、八九年十一月、先ほどのもの、二十九条の(a)、子供の「人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。」
 これらの国際的な流れより一歩先行しているのが日本の教育基本法です。一九四七年三月三十一日、世界人権宣言の半年ぐらい前に出されていますね。第一条「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、」云々、こういうふうになっています。
 私は、日本の教育基本法の理念は、国際的な教育に関する理念、原則の流れと見事に深く結びついて、そしてお互いに補完し合い、共鳴し合って大きな役割を果たしている、そういうふうに理解します。大臣のお考えを聞きます。

○遠山国務大臣 今配られました資料を見ておりますと、確かに、一九四七年の三月三十一日に制定された教育基本法、その第一条において、「教育は、人格の完成をめざし、」云々ということで条文が成り立っているわけでございますけれども、その後の世界人権宣言なりあるいは子どもの権利宣言、子どもの権利条約、いずれも冒頭に子供の人格の完成を目指すという点におきまして、私は、日本の教育基本法の理念、特に人格の完成を目指すということは、日本にとって基軸となる教育の理念でありますのと同時に、世界的な子供の教育について考えるときの非常に枢要な理念の一つであるということが言えると思います。日本の教育基本法におきましては、それにとどまらず、国家及び社会の形成者としての資質についても書いております。
 私は、国際連合のようなところで書かれますいろいろな条約ないし宣言というのは、万国に共通してあるべき姿を描き出すという役割を持つと思います。それぞれの締約国なり条約の批准国というのは、そういったものも前提にした上で、それぞれの国が何に力点を置いて考えていくかということをさらに付加して、そして国内法を整えていく、そういう関係にあるのではないかなと思うところでございます。

○児玉委員 教育の理念の枢要なところで共通点があると、まさに私もそう思います。
 そこで、この答申に入りたいんですが、第一章のところで、三ページですけれども、「教育基本法制定から半世紀以上の間に我が国社会は著しく変化しており、」と述べて、「国際社会も大きな変貌を遂げ、」と述べています。
 確かに国際社会は大きく変貌した。その中で、先ほど資料でも皆さんにお示しした教育の理念、原則に関する大きな流れ、これは国際社会の大きな変貌の中で見事にその内容を豊かに発展させている、私はそう理解します。これは、私だけでなくて定説にもなっていると思います。この理念の発展を変化、変質ととらえることができるだろうか。私はできないと思う。いかがでしょうか。

○遠山国務大臣 この答申の中にも、教育基本法を貫く基本的な理念そのものについては引き続き基本法の骨格として考えていくということでございまして、私は、人格の完成等の、そこに挙げられておりますさまざまな理念、原則といったものは今後も大変重要なものだと思っております。

○児玉委員 国際的な教育の理念の一貫性、そして、一貫しておるだけではなくて、大きく発展し、広がっている。
 私たち日本の問題、先ほど大臣はそれぞれの国のとおっしゃる、それは私は重要な要素だと思う。日本に関して言えば、戦争に対する痛苦の反省というのが教育基本法制定のときの重要なモメントだった、そう思います。そして、教育基本法の冒頭で言っているように、日本国憲法が掲げる、以下引用ですが、「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」教育刷新会議の皆さんたちの見識がここにあらわれていると僕は思いますね。教育の力によるべきものであるとは言っていないですよ。それは、教育の持っている非常に重要な特質が教育の力にまつべきであるという言い方をさせていると思う。そして、そういう教育基本法を今こそ豊かに発展させて、日本の教育のすべての場で生かすことが問われていると考えます。
 そこで、先ほど遠山大臣もいみじくも国家及び社会の形成者と言われたので、そこに入りたいと思います。第一条ですね。
 「平和的な国家及び社会の形成者」、このことに関連して答申では、「新たに規定する理念」として「社会の形成に主体的に参画する「公共」の精神」云々と言っています。九ページの部分です。
 まず伺いたいんですが、公共という言葉にわざわざかぎ括弧をつけたのはなぜだろうか。公共というのは、国家社会とどのように相違した概念を中教審は提起しようとしているのだろうか。そして、その前後に涵養という言葉が多用されています。涵養、さんずいに函館の函ですね。北海道だから函館と言わせてください。これは常用漢字にあるのかどうか、その二点伺わせてもらいます。

○河村副大臣 まず私から答えさせていただきますが、答申における公共という言葉は国家社会とほぼ同様に使われている、私はこう思います。
 民主主義社会における国家社会、これは、国民にとっては好むと好まざるとにかかわらず受け入れざるを得ない存在として存在するという形ではなくて、国民一人一人の生命の安全や生活を守るために国民の信託に基づいて存在するものであるというのが基本的な考え方だと思います。国民は、それを維持して、さらによりよいものにしていくために主体的に参画する義務を果たしていくべきである、このように思うわけでございます。
 このために、国家社会の一員として、法や社会の規範の意義とか役割について学んで、またみずから考えて、そして自由で公正な社会の形成に主体的に参画する公共の精神を教育を通じて一人一人に涵養していくことが求められる。特に日本人にとっては、国や社会のことは自分がやらなくてもだれかやってくれるという意識が伝統的に強い、近年、個人主義と利己主義とが取り違えられて社会規範意識が低下する傾向がある、こういう御指摘も審議会でもあったわけでございまして、改めて公共の精神の意義を強調する必要性が高まっているので今回の提言においてもこの点が強調された、このように理解をいたしておるところであります。

○児玉委員 涵養という言葉は、調べてみたけれども、常用漢字表にはありませんね。随分懐かしい言葉で、私など、昔、修身で、徳を涵養するという形でよく使わされました。
 今、河村副大臣のお言葉で非常に重要だったのは、かぎ括弧つきの公共というのは国家社会と特別な意味の違いがないと。そうだとすれば、わざわざこういうふうに言いかえる必要はない。
 それから、「主体的に参画する」という言葉に私はやはりこだわるんです。というのは、この点に関して立法者の意思がどうなのかということが問われる。これは、字句の問題じゃなくて、教育基本法の理念の核心に触れる問題ですから私はこだわるんですが、立法者の意思が重要です。
 教育基本法が成立するわずか十一日前、一九四七年三月二十日、貴族院の教育基本法案特別委員会、高橋誠一郎文部大臣が、今の、国家及び社会の形成者ということに関連してこう答えています。「此の形成者と申しまする文字は、単なるメンバーと云ふだけでなくして、実際の国家及び社会の構成者、ギルダーと云ふやうな意味も含まれて居る」。ギルダー、多分中世の同業者組合のギルドのことだろうと思うんです、そのギルドの構成員。御承知のように、ギルドというのは一定の厳しい技術水準が求められていて、その水準を満たす者でなければ、そういう資格がなければギルダーにはなれませんね。そういうものとして立法者は形成者という言葉を言っている。主体的とか積極的というのは当然含意されています。
 十二月のこの論議のとき私が引いた、当時の東京大学の田中二郎教授とそれから文部省調査局長の辻田氏が書いたものの中で、こうも言っているんです。「形成者というのは、単なる成員、構成者という消極的なものでなく、積極的に国家及び社会を形づくって行く者という意味である。」これで言い尽くせているじゃありませんか。大臣、どうですか。

○河村副大臣 先ほどの答弁と続きますので私が答えさせていただきますが、私、先ほどの御答弁の中で、今の日本社会においては、公共的なことといいますか、国家社会とかそういうことに対しては、だれかがやってくれるんだという意識が非常に強くて、自己主義が非常に蔓延している傾向が高い。ここでそのことをあえて強調して、この教育基本法の理念というものをもっと強く押し出すべきであろうというふうに、委員会の議論の中ではそういう形でこの答申になった、このように理解をいたしております。

○児玉委員 恐らくこの議論は、先ほど皆さんに見ていただいた各宣言、各条約、規約、そういったものの議論の中で論議を経てきているものです。そして先ほどの「消極的なものでなく、積極的に国家及び社会を形づくって行く」、立法者はそういうふうに考えている。
 そこで、大臣に伺いたいんですが、文部省が、一九四七年五月の三日、これは憲法施行の日です、高橋文部大臣の名前で発した「教育基本法制定の要旨」、この文部省訓令第四号は生きているでしょうか。

○遠山国務大臣 この訓令は、現在も生きているはずでございます。

○児玉委員 当然そうでしょう。
 この教育基本法制定の要旨の中に、次のような一節があります。「人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できるかぎり、しかも調和的に発展せしめることである。」そのあたりが全体として、教育基本法第一条における、国家及び社会の形成者としての資格、それは真理と正義を愛すること、個人の価値をたっとぶこと、「勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」、これが国家及び社会の形成者として見事に言い当てていて、そして、しかも、文部大臣高橋誠一郎氏はこういう訓令を出して、その訓令の終わりのところでこうも言っているんです。「この法律によつて、新しい日本の教育の基本は確立せられた。今後のわが国の教育は、この精神に則つて行われるべきもの」であると。
 そうであれば、今何が一番厳しく求められているかといえば、そのような形で、日本のすべての学校やすべての教育の隅々に、日本のこの教育基本法の理念、原則を満ち渡らせることではないか。そこが今一番肝要ではないか、私はそう考えます。いかがですか。

○遠山国務大臣 今回の答申におきましては、教育基本法の精神にのっとって制定された学校教育法を初めとする法体系のもとで進められた戦後の教育改革といいますものは、国民の教育水準を向上させ、日本の社会の発展の原動力となったということがしっかりと評価をされています。
 しかし、その一方で、教育基本法の制定から半世紀以上が経過をして、そして社会の状況も大きく変化する中で、今日、日本の教育はさまざまな問題を抱えているということでございまして、教育基本法の制定の理念というのは、先ほど紹介のありました内容で立法されているわけでございますし、その後もそれをもとに諸法規ないし諸施策が講じられてまいったわけでございますけれども、現在余りにも多くの問題を抱えている。そのようなことから、教育行政を含めまして、教育関係者はその現状を真摯に受けとめて、課題に向けて一層の努力を重ねる必要があるということを指摘しているわけでございます。
 こうした状況を打破して、新しい時代にふさわしい教育を実現するためには、教育の根本を定める基本法について、いろいろな角度から見直しを行っていただきました。そして、新しく構築される教育理念の基盤に立って、家庭教育、学校教育、社会教育等の各分野にわたる改革を進めていく必要があるというふうに提言されているわけでございます。
 私は、その答申というのは、そういうこれまでの制定の経緯なり趣旨なり、そしてその後講じられたさまざまな施策についてのレビューをした上で、今どうなのか、これからの日本を形成していく人材育成にとってどうであるのかという角度から十分に議論をされて今回の答申を得たものというふうに考えております。

○児玉委員 今の遠山大臣の答弁に触れて、私は二つのことを改めて聞きたいんです。
 先ほど議論してきたように、世界も大きく変貌しています。世界の変貌がどのくらいドラスチックであるかというのは、幾つかの国に関して言えば、日本よりはるかにドラスチックですね。そして、国連自身が、百九十一カ国が先ほどの子どもの権利条約の締結国になる。そういう中で、もちろん困難はあります、その困難を乗り越えていくときに、言ってみれば指針になるのが教育の理念であり、原則です。そして、その教育の理念と原則は、大きな変貌の中で豊かになり、発展をし、見事な一貫性を示しているんです。
 そういうときに、日本でさまざまな問題があるからというので、それではこの機会に教育において重視すべき理念も変えていいのかという問題ですよ。しかも、これは議論の問題じゃなくて、教育基本法が制定された後、例えば一つ、一番重要な点としては、教育委員会法が、地方教育行政の組織及び運営に関する法律と、教育委員の公選制が任命制に変わってしまう、教科書その他でどんどん、教育基本法が盛り込んだ豊かな理念が教育の現場においては無視されて、空洞化されて、そこから離れていく。
 遠山さんはレビューと言われた。その日本の教育の現状を国際的な理念、原則がどのようにレビューしているか。それが、一九九八年の子どもの権利委員会が日本政府に出した最終所見であり勧告じゃありませんか。世界の高度に発達した国の中で、極度に競争的な教育制度のために、子供たちの発達障害、読んでみたら、発達障害というところはディベロプメンタルディスオーダーとまで言っていますよ。そういう状況に、言ってみれば、世界の教育の一貫した豊かな発展の理念から乖離してしまっている。そして、乖離して、そちらに近づけるのでなくて、ますますそこから遠ざかる方向で逆にばく進する。これが今度の教育基本法の改正、見直しの趣旨だ。こういうやり方で国際的に評価にたえるのか、これが一つです。
 もう一つ、あなたがレビューとおっしゃったから、その点について触れたい。
 十一月の十四日に出された中間報告、これと今度の本報告を読み比べてみました。いろいろなところがありますけれども、そういう中で、私はこの部分がどうしてもわからなかった。
 中間報告の十六ページに次のような一節があります。「現行法には、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人を育成する観点から重要な教育の理念や原則が不十分であり、それらの理念や原則を明確にする観点から見直しを行うべきであるとの意見が大勢を占めた。」そういう意見が大勢を占めた、ここはこの委員会で何回か議論があった。最終的なこの議論の場で、中央教育審議会の委員諸君が多く欠席をして、定数に達しないままの議論が続く、そういう中で、この文章が中間報告では出てきた。
 今度の答申にはその記述が消えています。見事に消えている。なぜだろうか、いろいろ調べて、よくわかりました。この記述に触れて、鳥居会長が、一番大事なところで私たちの本意でないところが残っていた、こう述べて、そこのところを手直ししたんでしょう。
 そこで、私は、中教審の事務局を担当した文部科学省に聞きたいんです。
 鳥居会長にとっては本意でない、そういうふうに述べられたと私は承知している。ところが、消えた記述というのは、最も核心に触れた部分ですね。現行の教育基本法の教育の理念や原則が不十分だという評価です。この評価をだれがしたのか、そして、それらの意見が大勢を占めた、この判断はだれがしたのか、はっきり答えていただきたい。

○古屋委員長 きょうは、事務方が、政府委員の登録がございませんので、遠山大臣あるいは副大臣からお答えください。
 遠山大臣。

○遠山国務大臣 今、御質問は二つあったと思います。
 最初の方は、世界の変貌がいろいろあって、しかし、国連におけるいろいろな宣言等は一貫をしておるんではないか、それから日本の教育基本法もそれと軌を一にしている、そんな中で改正というのはむしろそこから離反していくのではないかというお話でございます。
 これは私は、答申を丹念に読めば、世界の趨勢と、先ほどおっしゃいましたような人格の完成、ないし国家、社会の形成者として必要な資質を養うために何が必要かということについての真理及び正義以下のさまざまな価値というものはしっかりと継承をする。その上で、さらに今の日本の現状を解決するための、あるいは乗り越えるためのものとして、付加すべき理念、原則としてこういうものがあるということで示されたものが今回の答申の提言内容だと思っております。
 その意味では、国際的な動向というものから離反するということではなくて、むしろ、その理念というものを日本の角度からさらに深め、そして充実していくという角度から御議論がされたものだと私は思います。
 鳥居会長のお話の件は、私は、実は中教審につきましてずっとフォローしておりませんので、答申はいただきましたが、お時間をいただければ改めて調べてあれいたしますし、今わかっている範囲で副大臣の方から答えさせていただいても結構でしょうか。

○河村副大臣 中央教育審議会において不十分という言葉がなくなって、だれがそれを決めたのかというお話でございました。
 私も就任以来、審議会に大部分出させていただいた中で、もともと、この中央教育審議会に諮問して教育基本法を見直してもらいたいということは、今の時代に何かまださらにこの基本を高めるものはないのか、また必要とするものはないのかという観点に立ってやっていただきたいということであったわけであります。
 これに対してあの答申も、御案内のように、教育基本法の理念といいますか、前文にある崇高な精神は引き続き前文として残すべきであるというふうになっておりますから、あの議論を聞いておりますと、不十分という言葉は、むしろ、これでは何か後ろ向きであって、そしてさらによりよいものにするということからいえば、こういう言葉はやはりこの際は不適切であるということで削除されたというふうに私は伺っておるわけでありまして、さらに教育基本法をよきものにするにはどうしたらいいかという方向へ我々は考えていくべきだ、そういうふうに推敲をしようということでこの言葉が削除されたというふうに理解しております。

○児玉委員 この点は事務方は要らないので、皆さんの会議録ですか、それを拝見して私はなるほどと思ったんだけれども、「「理念や原則が不十分」という記述があるが、」というある委員の発言があった。それを受けて鳥居会長が、一番大事なところに私たちの本意でないことが残っていた、こういうふうに述べているようですね、私が承知しているところは。
 そこで、河村さん、私の質問に答えていないんですよ。現行法に不十分なところがあるというのは評価です、これは。まさにレビューですよ。委員以外のだれがそのレビューができるんですか。そして、そういう意見が大勢を占めたというのは、単なる発言の、こっちが七人でこっちが三人というだけでなくて、説得力の問題も含めて、その意見が大勢を占めた、こんなまさに枢要に関する評価をだれがしたのか。そして、それが鳥居会長にとっては、私たちの本意でないと、見事に記述が消えたじゃありませんか。
 教育基本法を見直し、改正するという皆さんの判断の一番核心になる部分が消えているんですよ。だから、答申が出た後、なぜ見直さなきゃいけないのかというのをどこを読んでもわからないというのは、当たり前の話ですよ。これは、もしかしたら事務局の自作自演かもしれませんね。勝手に自分で判断して書いておいて、たまたま委員が少ないからよかったというようなことになりはしなかったかということさえ私は危惧します。
 教育基本法改正の必要性を示す根幹の部分についてそういうことがあったわけですから、これは教育基本法見直しの根拠そのものを失わせるものです。どうですか。

○河村副大臣 先ほど御答弁申し上げたわけですけれども、あの諮問によってもおわかりだと思うのですけれども、戦後の大きな変革の中で、これから日本の教育はどうあったらいいかということを踏まえて議論をしていただきたい、そしてその改正の方向を示してもらいたいということで述べたわけでありまして、諮問の仕方はいろいろあったと思いますよ。こういう点が問題点だからこういう点でやるべきだと、はっきりある程度文部科学省が方針を示してやるべきだという考え方もあると思いますけれども、この諮問においては、新しいあり方について、今の二十一世紀にふさわしいあり方についてどうであろうかという形で諮問をしたわけであります。
 そういう意味で、諮問の中では、これが後ろ向きに、これとこれはノーだからというような形ではなくて、さらに必要なものがあるのじゃないかという議論をしてもらいたいというふうにしたわけでありまして、そういう議論を、後ろ向きの議論をするためにこれはあるのじゃないんだというのが会長が言われた本意という意味だというふうに私は思うのであります。

○児玉委員 時間がありませんから、最後に一言だけ言って、続けましょう。
 私が問題にしているのは、現行の教育基本法の根本に触れた評価がだれかによってなされているということです。もう一つは、中央教育審議会の審議の状況を見て、こういう意見が大勢を占めたという状況判断をだれかがしているのです。しかも、そのことについて会長は自分たちの本意に反すると言うのだから、答えになっていませんよ。
 続けて質問します。

 
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