2002年3月23日(土)「しんぶん赤旗」より
日本共産党の児玉健次議員は二十二日の衆院文部科学委員会で、教員養成大学・学部の統廃合問題などについて質問しました。
統廃合問題をめぐっては国立大学協会の教員養成特別委員会が昨年十二月、意見書を文科省に提出。教員養成系大学・学部に設置されている「新課程」について「存置充実などの方向性も含め多様な可能性を閉ざすことなく」議論を積み重ねていく必要があると提起しています。児玉氏は、この意見書の提起を受けとめるよう求めました。
遠山敦子文科相は「それぞれの大学の関係者の意見も十分に聞きながらこれから共同作業で進めていく」と答えました。
児玉氏は、全国的に三十人学級の取り組みが広がりを見せているとし、「教員養成大学が各県に存在していることの重要性がますます重くなる」と指摘。同意見書で教員養成大学について(1)再編・統合を機械的に進めてはならない(2)再編・統合や大学・学部の縮小がそれ自体目的化され、一律に決定されてはならない―と要望している点を紹介し、「この要望に対して真剣にこたえるべきだ」と迫りました。
遠山文科相は「委員の方々と思いは同じ。機械的に統合再編せず、これまでの実績や地元の意見も重視しながら目的に向かって一緒に、あるべき方向を探していこうという考えだ」と答えました。
○河村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を続行いたします。児玉健次君。
○児玉委員 日本共産党の児玉健次です。
この改正案では、四つの国立大学で三年制の医療技術短期大学部を医学部に統合する、四年制の課程で医療技術者の育成を進めることが提起されています。
これまでこの一連の努力は何年かけて行われてきたか、そして、もしこの改正案が成立するとすれば、医学部への統合がいまだなされていない大学は幾つ残っているか、お答えいただきたい。
○遠山国務大臣 医療技術短期大学部の四年制学科への改組・転換の動きは、一番最初に行われましたのが平成八年三月、失礼しました、今のは廃止された時期ですね。四年制学科への転換が最初に着手されましたのは平成五年度のことでございまして、それ以降、逐次各大学で準備の整ったところから転換してまいっているところでございます。
今回の法律でお認めいただきますと、あと残りが四大学ということでございまして、北海道大学、東北大学、京都大学、熊本大学があと残っております。
○児玉委員 そうしますと、これまで十年を経過してきたと。
それから、患者の立場に立って、しかも高い専門的技能を持って治療に当たる看護婦さん、看護師さんの養成というのは国民的な希望ですが、それぞれの地域には看護婦養成についての地域的な事情がありますから、残っている四つの大学でも、学内と地域での合意が成立したら、諸準備が整ったところから順次統合が進んでいく、このように考えますが、どうですか。
○遠山国務大臣 御指摘のとおりでございまして、この医療技術短期大学部を四年制の学科へ移行いたしますには、大事な要素が、一つは教員の確保のことでございます。同時に、もちろん国の財政状況のこともございますけれども、それぞれの大学で準備が十分できたという段階で四年制学科への転換を図っているところでございまして、残りの四校につきましても、その諸般の事情を勘案しながら引き続きこれに取り組んでいく予定でございます。
○児玉委員 そのように進めていただきたいと思います。
そこで、国立学校設置法という法律についてですが、厚生省や通産省なども随分たくさんの研究所を持っています。その省庁に属する諸機関は、それぞれの設置法で一括されているのが通例だと思います。
戦後、新しい教育改革が進められる。一九四九年に、国立学校設置法は、大学における自治を尊重するという見地から文部省設置法とは別個の法律として成立した、私はそのように承知しておりますが、それでいいですか。
○遠山国務大臣 もう委員御存じと思いますけれども、国立学校設置法は、国立学校の設置の根拠並びにその組織及び運営に関する基本的事項について定めているものでございます。
国立学校が文部科学省の、当時の文部省でございますけれども、設置法とは別の法律によって設置された趣旨といいますのは、戦前は、それぞれの高等教育機関制度が個別の勅令によって根拠が与えられていたという経緯がございます。また、一般的な行政機関であります文部省、今の文部科学省でございますが、本省から一定の距離を置きながら全体として規定するということが適当という判断もあって国立学校設置法が制定されたと理解しているところでございます。
申すまでもなく、大学におきます教育研究が多様でかつ独創的な発想のもとで活発に行われていきますためには、学問の自由あるいは大学の自治というものは不可欠なものであります。そのことから、特に人事等の取り扱いにつきましては、別に教育公務員特例法が定められているところでございます。
なお、大学人みずからが大学の社会的責務の重要性を自覚しながら、時代や社会の変化、国民のニーズを的確に受けとめて、その期待にこたえる努力ももちろん必要と考えているところでございます。
○児玉委員 今出てきた学問の自由、そして大学の自治の問題ですが、憲法二十三条では、「学問の自由は、これを保障する。」と明記されています。
学問の自由は、もちろん広くすべての国民に対して保障されなければなりませんが、大学が、学校教育法五十二条で明らかなように、学術の中心でもあることから、大学における学問の自由を保障することがとりわけ重要である、大学における学問の自由を支えるのが大学の自治である。これは最高裁の大法廷判決、一九六三年の五月二十三日に明記されていることです。
それで、学問の自由、大学の自治の保障は、戦前の高等教育に対する痛切な反省から出発している、私はそのように考えます。と同時に、滝川幸辰事件など、ああいった事件で、大学にあって、学問の自由を守って、文字どおり懸命な努力をなさった先達の努力も踏まえた上で、学問の自由と大学の自治の保障が強調されている。
御承知のように、戦前の大学にあっては、帝国大学令の一節ですが、国家の須要に応ずる学術技芸の研究を目的、こういうふうにはっきりされていて、強度の官僚統制を受けていた。それであってはならないというのが、憲法二十三条の規定だと思います。
このことについて、大臣はどのように認識されているか、伺います。
○遠山国務大臣 今御指摘のように、大学の自治は憲法二十三条によって保障された学問の自由の精神に由来するものでございまして、大学の自主性を尊重するために歴史的に積み上げられてきた制度、慣行であると考えております。これは何も国立大学に限ったことでございませんで、国公私立を通じて、大学における自律性、自主性、その上にこそすぐれた研究、教育が行われていくということはまさにそのとおりでございまして、そのようなことを前提にいろいろな制度は成り立っていると思うところでございます。
そして、大学におきます教育研究が、多様かつ独創的な発想のもとで活発に行われますには、こうした学問の自由でありますとか大学の自治というのは不可欠でありますが、同時に、社会のニーズといいますか、大学の社会的な責任の重要性にかんがみて、大学人みずからが、いろいろなその時代の動きあるいは社会の変化、国民のニーズなどを十分に把握して、そのような制度の長所、伝統を生かした上で活発な教育研究活動を行って、我が国及び国際社会に積極的に貢献していくということもまことに重要な役割であると考えております。
○児玉委員 今遠山大臣がおっしゃった社会的な責任の重さ、そのことがまた翻って、学問の自由と学園の自治の重要性を喚起していますね。
私は最近、一九九七年の十一月十一日にユネスコの第二十六回総会で採択された勧告を読む機会がありました。この中でこう言っていますね。学問の自由を掘り崩しかねない性質のよくない政治的圧力によって学術の社会が傷つきやすいことに関心を表明し、ユネスコは関心を表明し、教育及び教育研究への権利は高等教育機関での学問の自由と自治の雰囲気の中でのみ十分に享受することができる。これは、歴史的、伝統的にそのことが重要であるだけでなく、二十世紀の末から二十一世紀にかけて、世界的な見地からしても、高等教育機関での学問の自由と自治の雰囲気、その中で学問が発展することが重要だというふうに指摘していることを、私は、今改めて強調したいと思います。
そこで、現在の時点において、学問の自由と大学の自治のあり方が鋭く問われている幾つかの問題の中の一つ、それに教員養成大学をめぐる経過、そして現状があると私は思います。教員養成大学の自主的な改革は、教育に対する広い、父母、国民の皆さんの強い期待にこたえる形で進められなければなりません。私は、その点で幾つかの問題を具体的にお聞きしたい。
まず、いわゆる新課程の問題です、新課程。
文部省が、一九八六年のことですが、国立の教員養成大学・学部の今後の整備に関する調査研究会議を立ち上げられた。その調査研究会議が八六年の七月二十九日に出した報告、「国立の教員養成大学・学部の今後の整備の方向について」を一読しましたが、その中にこういう具体的な提起があります。「教員養成学部の中に、教員以外の職業分野へも進出することを想定した課程等」、これがいわゆる現在の新課程になっていますね。
そして、その中身を非常に具体的に提起しています。情報、日本語教員、カウンセラー、社会教育の指導者、福祉関係者などの養成課程、教養、国際関係、地域研究関係等の課程等。これを設置する方向が必要だと報告が提起して、それを受けてわずか半月後に、八月十二日、当時の文部省の大崎高等教育局長がこれを通知で教員養成系大学に発した。これが契機になって新課程が全国の大学・学部で一斉に始まり、そしてこれを加速させたのが、そして拡大させたのが、一九九七年に始まる教員養成系の学生定員五千人の削減でした。これらの経過を見れば、新課程は、文字どおり文部省の主導によって設置されて今日に至っている。
そこで、私は大臣に伺いたいんですが、国立大学協会に教員養成特別委員会、こういう部会があります。拝見すると、東京学芸大学の学長さんが委員長を務めていらっしゃって、宮城教育大学や東京外語、お茶の水、その他多くの大学関係者がそこに入っている。この国立大学教員養成特別委員会が、昨年の十二月二十六日、もう年末ぎりぎりの十二月二十六日に、文部科学省に対して「「今後の国立の教員養成系大学・学部の在り方について」に対する意見」というのを提出されています。その中でこう述べていらっしゃる。新課程、そこに学ぶ学生たちの専門志向や満足度は高く、学んだ結果身についた力の自己評価も高いことからも、この新課程の重要性、価値が明らかとなっている、こう評価されています。この評価について、遠山大臣はどのように考えていらっしゃいますか。
○遠山国務大臣 新課程につきましては、今お話しのように、昭和五十年代後半からの教員就職率の低下の現状を踏まえて、昭和六十一年に我が省に、有識者による国立の教員養成大学・学部の今後の整備に関する調査研究会議を設けて、検討いただいて、その報告において、教員養成課程の入学定員の一部を振りかえて他学部等の組織を充実することや、教員養成学部の中に……(児玉委員「経過はもうわかっています」と呼ぶ)よろしいですか。
そういう経過のもとに置かれまして、その後新課程は整備されてまいっているわけでございますけれども、その後、教員の就職率が一層低下したこともありまして、現在では、教員養成学部の入学定員の約四割を占めるに至っているわけでございます。
したがいまして、教員養成学部の中に置かれている新課程そのものは、それなりの、今の在り方懇談会の中で述べられたような役割を果たしてまいっていると思います。
他方で、教員養成学部の専門学部としての目的との関連で、なかなか難しい問題を提起していることも確かでございます。
○児玉委員 私がお聞きしているのは、経過やその他でなくて、この教員養成特別委員会が述べている、新課程で学ぶ学生たちに対する評価、そこでの教育内容に対する評価です。
この特別委員会の方々は、こうも言っている。新課程は設置以降その政策的位置づけに一貫性が感じられない、必要な教員定数や施設設備の整備も不十分なまま今日に至っている。これは個々の大学の責任ではありません、それを設置させた文部科学省の責任だと、私は率直に言いましょう。
そういう困難の中で新課程に学ぶ学生たちの満足度、そして、そこで学んだ結果身についた力の自己評価も高い、こう述べている点です。この評価について、大臣はどうお考えか。
○遠山国務大臣 教員養成学部の中に新課程が整備されるにつきましては、あくまでも各大学におけるそれぞれの検討結果に基づいて対応してまいったわけでございます。
その中での、新課程のこれまでの果たしてきた役割でありますとか、あるいはそのメリット、あるいは問題点につきましては、この懇談会の中で述べられているとおりだと思います。
○児玉委員 この特別委員会で述べていることについてはどうなんですか。
○遠山国務大臣 そこで述べられている内容について、基本的には私はそのとおりであると考えます。
○児玉委員 私もそう思います。
そして、それをさらに踏まえて、教員養成特別委員会は新課程についてこうも言っている。大学・学部の機関としての判断や多くの担当教員の判断も、学校教育以外の分野における教育指導者養成、学際的分野、領域の専攻や、地域における生涯学習の拠点として発展させていくことを、教員養成系の方たちでつくっている、そしてその他の大学の方も加わっている教員養成特別委員会は、そのようにすることを文部科学省に対して要望として出していますね。この要望に対して、大臣はどのように受けとめていらっしゃいますか。
○遠山国務大臣 懇談会の意見では、再編統合を含めた今後の教員養成学部のあり方についていろいろ示唆をされているわけでございます。
教員養成特別委員会における議論の内容につきましても、私は、トータルとしてその方向性というのは、現在の教員養成学部の持っている問題点、あるいはこれから行くべき方向性についてを含めて、示唆のある内容であると考えます。
○児玉委員 どうも議論がすれ違いますね。
何しろこの「今後の国立の教員養成系大学・学部の在り方について」は、昨年の十一月二十二日、大臣も御承知のように、これは文部科学省の一局長のもとでの懇談会が出した報告です。この出した報告が金科玉条であってはならないというのは、今、全国の論議の中で多くの方がその方向で議論をしている。今大臣はいみじくも示唆だと言われたけれども、まさにそれはせいぜいサジェストの程度でしょう。私が言いたいのは、現にこの教員養成系大学で教育の専門家として献身されている方たちの要望をどう受けとめるかの問題なんです。
そこで、この特別委員会はこう言っている。各大学・学部や地域の実情に応じて、存置充実などの方向性も含め多様な可能性を閉ざしてはならない、そして各大学・学部での議論を積み重ねていく必要があると。この提起に答えるべきじゃありませんか。私は、懇願会の報告書のことを議論しているのではないから、そこははっきり踏まえてください。
○遠山国務大臣 国大協の中での御議論を踏まえた上で、在り方懇談会における議論がなされたと思っております。委員構成の中におきましても、各国立大学の意見を反映し得る委員が懇談会の中の委員にもなっておられまして、私としましては、その双方の意見を集約した形の在り方懇の内容というのは、私どものこれからの政策の上で重要な内容を示唆してくれていると思っております。
○児玉委員 今あなたがおっしゃったことは重要な問題を含んでいますよ。これが出たのは、去年の十一月二十二日です。十一月二十二日にこれが出て、そして、在り方懇の中にメンバーの重複があるにせよ、出されたこの報告書の内容を検討の上出されたのが、十二月二十六日のこの意見書ですよ。先後関係は逆ではない。これが出されて、その中身を踏まえて国立大学協会教員養成特別委員会の意見が出ているんですから。そこを文部科学大臣はひっくり返してとらえるようでは、事態は全くとんでもないことになりますよ。どうです。
○遠山国務大臣 教員養成特別委員会の委員長であります東京学芸大学学長は、懇談会の方の委員でもありまして、この委員会の意見等につきましては懇談会の場で随時紹介されて、報告書をまとめるに当たっては、これらの意見を十分踏まえたものであると考えます。
○児玉委員 まだ同じことを繰り返して言っているけれども、岡本靖正東京学芸大学学長は国立大学協会教員養成特別委員会の委員長です。その委員長が、この懇談会の報告書が十一月二十二日に出された後、その内容を検討の上で、十二月二十六日に、新課程についてはそれぞれの大学の「存置充実などの方向性も含め多様な可能性を閉ざすことなく、各大学・学部での議論を積み重ねていく必要がある。」こう述べているんですよ。そこのところを、大臣、しっかり受けとめる必要があるじゃありませんか。どうですか。
○遠山国務大臣 こういった議論の起きます背景には、国立の教員養成大学・学部が直面する大きな課題があるということは明確だと思うわけでございます。
その課題としましては、非常に深刻な近年の少子化の影響を受けて教員養成の卒業生である人の教員就職率が非常に低下していること、あるいは、各教員養成大学・学部が非常に小規模化しまして、教員組織に余裕がなくなって新たないろいろな教育課題に積極的に取り組むことが困難となっていることでありますとか、あるいは、教員養成を目的としないいわゆる新課程の増加によって教員養成学部の専門学部としての性格があいまいになっていることなど、教員養成学部自体が本当に力量ある教員を養成する上で十分な対応ができていないのではないかということから、さまざまな議論をしていただいた上で、再編統合も含めた組織体の充実について提言されているところでございます。
もちろん、この方向性をもとにして、それぞれの地域での意見でありますとか、教育委員会等関係者の意見も含めて、もちろんそれぞれの大学の関係者の意見も十分に聞きながら、これから共同作業で進めていくというのが私どものスタンスでございます。
○児玉委員 そこのところを私は特別に文部科学省としては重視していただきたいと強く求めます。
それでは、懇談会報告書、初めてこれに触れたいと思うんです。初めてこれに触れたいんだけれども、その十三ページをちょっと、大臣、あけてください。その頭のところに、読んでいて、あれっということが書いてあります。
教員養成のあり方としてアカデミシャンズという言葉が出てき、エデュケーショニストという言葉が出てきて、その対立があると。難しい言葉で、エデュケーショニストというのを私は手持ちの辞書で引いてみましたら、こう書いてありましたね。普通軽蔑的に教育屋のことを指すと書いてあるんです。政治屋というのがあります。政治家と違って政治屋。エデュケーショニストというのは軽蔑的に教育屋のことを指すそうで、そのことを使ってこういうふうに書かれたのかどうか、私は大いに興味がありますが、要は、ここで、この報告書がアカデミシャン、それとエデュケーショニストの対立に殊さら触れて、そして、あたかもそれが両立しないものであるかのように言う。
教科の内容を学問的に十分深めることは、なぜ教員としての知識、技能を備えることと対置されなければならないのか。教科の内容を学問的に深めることは、必ず、子供の発達段階に応じて興味、関心を引き出すことに直結しますね。そして、こういう言い方というのは、結局、文部科学省の一部の方がよく口にされる言葉、特化した教員養成という主張、狭い意味での教育実践の偏重と学問の軽視、ひいては閉鎖的な教員養成につながりはしないか、そのことを私は危惧するものです。いかがですか。
○遠山国務大臣 このアカデミシャンズとエデュケーショニストとの対立ということが確かに書かれておりますけれども、こういう考えは、特にこの起草者がつくった言葉ではなくて、戦前からも言われていることのようでございます。そして、エデュケーショニストにつきましては、わざわざ括弧をして「(教員としての特別な知識・技能を備えることこそが優れた教員の第一条件と考える人達)」というふうに書いてございまして、今の御疑問に対しては、このペーパーでは答えているのではないかと思います。
そういった対立があることによって、教員養成学部独特の課題についても、その共通認識あるいは共通の目標を持って努力をするという点において、やや問題もあったのではないか、そのことが教員養成カリキュラムの共通の目的性を欠いて、ややもすると、学生に対する教員教育が教員個々人の裁量にゆだねられているのではないかとの批判につながっているということでございます。今のお話の導入は、そこでの懸念を説明するために用いられたものだと思っているわけでございまして、必ずしも、この書き方自体のことでありますより、やはりそういういろいろな経緯を持った中で、いかに教員養成学部をしっかりした中身としてこれから発展させていくかということに力点が置かれている内容であると私は考えております。
○児玉委員 単なる紹介であって、文部科学省としてはこの方向でやろうとしているのではないというのであれば、それは当然のことですよ。
私がそのことについてあえて言うのは、戦前にあって、師範学校が視野の狭い教師を育てる、教員を育てる、そして教育を国家目的に隷属させていく、そのことが日本の不幸にもつながったわけです。戦後、教育の民主的改革で教員を大学教育全体の中で開放的に育てていく、この原則が今こそ重要である、その点を私は強調したいと思います。
そこで、最後に、この教員養成特別委員会の文部科学省に対する意見書を繰り返し読ませていただいて、私は次のように考えました。これまで、日本の教育、とりわけ初中等教育にあって、全県に設置されてきた教員養成大学は、文字どおり巨大な支え柱だったと思います。そして、今、団塊世代の教職員がもう幾ばくもなく退職の時期を迎えます。そして、全国的に三十人学級以下の取り組みが、力強く、しかも幅広い広がりを見せています。そういうときだからこそ、教員養成大学が各県に存在している、そのことの重要性はますます重くなるだろう、こう考えます。
それで、この特別委員会の諸先生たちが、文部科学省に対して次の二点を要望されています。
その一つ、教員養成系大学の再編統合を機械的に進めてはならない。そして二つ目、再編統合や大学・学部の縮小が、それ自体目的化され、一律に決定されてはならない。私は、これらの諸先生の今後の日本教育に対する使命感が、この二つの要望を出させていると思います。文部科学省はこの要望に対して真剣にこたえていただきたい。どうですか。
○遠山国務大臣 私どもも、恐らくこの委員の方々と思いは全く同じでございまして、今、本当の意味で日本の将来の教育を支えてくれる教員を、しっかりした、内実ともに実力を持った人を育てていくにはどうあったらいいかということを根底に置いているわけでございまして、単に機械的に統合再編をするとか、あるいは、これまでのいろいろな努力についての実績でありますとか、地元の意見でありますとか、そういうものについてももちろん重視をしながら、大きな目的に向かって一緒にあるべき方向を探していこうというのが、私どもの考え方でございます。
○児玉委員 先ほども大臣のお言葉の中で、共同作業を進めるという言葉がありましたね。私は、一つやはり強く求めておきたいんですが、ある教員養成系大学の予算の面だとか、教官の定員配置の面だとか、時にはその大学の存置も含めて、文部科学省がその大学の生殺与奪の権を握っておいて、そして文部科学省が許容する範囲の中でどうぞ論議を進めてください、こういうものであれば、それはとても共同作業とは言えませんから、そういうことがあってはならないということを強調して、質問を終わります。
ありがとうございました。



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