平成十三年六月八日(金曜日)
午前十時四分開議
出席委員
委員長 高市 早苗君
理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君
理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君
理事 平野 博文君 理事 藤村 修君
理事 西 博義君 理事 都築 譲君
小渕 優子君 岡下 信子君
河村 建夫君 杉山 憲夫君
砂田 圭佑君 谷垣 禎一君
谷田 武彦君 谷本 龍哉君
馳 浩君 林 省之介君
増田 敏男君 松野 博一君
水野 賢一君 森岡 正宏君
大石 尚子君 鎌田さゆり君
葉山 峻君 肥田美代子君
牧 義夫君 松沢 成文君
山口 壯君 山谷えり子君
山元 勉君 池坊 保子君
武山百合子君 石井 郁子君
児玉 健次君 中西 績介君
保坂 展人君 山内 惠子君
松浪健四郎君
…………………………………
文部科学大臣 遠山 敦子君
文部科学副大臣 岸田 文雄君
文部科学大臣政務官 池坊 保子君
政府参考人(文部科学省生涯学習政策局長)近藤 信司君
政府参考人(文部科学省初等中等教育局長)矢野 重典君
文部科学委員会専門員 高橋 徳光君
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本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
参考人出頭要求に関する件
地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第四三号)
学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七一号)
社会教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)
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○高市委員長 児玉健次君。
○児玉委員 日本共産党の児玉健次です。
私は、きょうの昼前に起きた大阪教育大学附属池田小学校における極めて痛ましい事件、亡くなられた方々に心から哀悼の言葉を贈ります。そして、負傷された皆さんの速やかな回復と、その方々に対して、同様お見舞いの言葉を贈ります。そして、文部科学省に対しては、速やかに適切で十分な対応措置をとっていただきたい、そのことを要望しておきます。
さて、きょうは、地教行法四十七条の二、子供に対する指導が不適切である教師と皆さんが提起されている問題について述べたいと思います。その後、時間があればさらに発展させたい。
この六月一日、本委員会で、私は教育という営みの特性について触れました。非常に多面性があり極めて高度である、そして集団的営みという性格が強い、その効果は年月を経て初めてあらわれる、こういうふうに指摘したのに対して、大臣は、会議録の未定稿によれば、今御指摘のような点というのはそういうことであろうと思いますと答弁されました。そこを土台にして議論を進めます。
現在、学校では、教師の孤立化の問題、職場における同僚性の喪失――大学を出て学校に赴任した若い教師がどうやって教師として生き生きとその力量を発揮するに至るか、その点については、先日、同僚である山内委員が御自身の経験を御紹介なさいました。非常に私はそれを興味深くお聞きをした。そういったことが今、日本の学校、職場で喪失している、こういう指摘がされています。
そのような状況の中で現在何が求められているか。教師が同僚とともにみずからの授業を示し合って、そして互いに批評し、支援し合う、こういう取り組み。お茶の水大学の勝野正章先生は、この五月に発刊された「教育」という専門誌の中で、子供を中心に教員も親も一緒に学び合い、育ち合っていく、そのような学校づくりが今各地で進んでいることを紹介されて、このような努力の中から教師の力量が集団的に、全体的に生き生きと発揮されていることを紹介されています。
大臣は、このような努力をどのように受けとめていらっしゃいますか。どのように評価しているかというよりは、あなた御自身がどのように受けとめていらっしゃるか、お聞きしたい。
○遠山国務大臣 学校におきます教育に十全の責任を持つのは教師でありまして、学校教育の成否はまさに教員にかかっているわけであります。そして、教員は全人格的な能力を発揮して子供に対応すべきと思っております。
今のお話でございますが、学校においては、多様な資質、能力を持つ個性豊かな人材によって構成される教員集団、これが校長のリーダーシップのもとに連携協力することによって、学校という組織全体として充実した教育活動を展開することが必要であります。
しかしながら、当然のことではありますが、教員一人一人については、それぞれが児童生徒に対して適切に教育を行うことのできる資質、能力を有していることが求められているのは当然のことであります。
○児玉委員 文字どおり、すぐれて集団的である。クラスで何人かの子供とある授業で対面しているときは、その教師は個として子供に対面しているかのごとくであるが、先ほど勝野先生の言葉を紹介したように、教師の力量が前進していくためには、同僚の教師と一緒に切磋琢磨していく。そして、子供、親に学び、その人たちと一緒に努力をしていく、そういうことで教師の力量は前進する。
そのような教師を、集団的な営みのそこから切り離して、一人一人別々にして、しかも長年月ではなく、例えば一年という短い期間を単位にして、指導が不適切であるとだれがどのようにして判断できるのか。判断するのかと私は聞いているんじゃないんです。だれがどのようにして判断できるのか、この点、お答えください。
○遠山国務大臣 学校の教員のまとまりを構成する一人一人の教員の切磋琢磨というのは非常に大事でありまして、教員同士なりあるいは子供とのやりとり、あるいは周辺のいろいろな状況の中で自己を磨いていくというのは当然のことでありまして、そういうみずからの指導力を高める努力を進めることも大事であります。
このような角度から、文部科学省におきましては、教員の自主的な研修活動を奨励、支援するために、中央教育研究団体の研修活動を助成したり、あるいは平成十二年には、教員が休業して自発的に長期間大学院で学べる大学院修学休業制度を創設したところであります。また、学校教育への父母等の参加につきましては、各教育委員会や学校において、学校開放、授業公開あるいは特別非常勤講師等としての地域の方々の授業への活用等、開かれた学校づくりの取り組みが進められているところであります。
今のようなバックを持ちまして、それぞれの教員がぜひ研さんを積んでいただきたいというのは前提でございますけれども、今回の法案で提示しております不適切な教員をだれが選ぶのかということでございますが、これは、校長が日々の授業状況等からそれぞれの教員の実態を把握しているのでございまして、市町村教育委員会も、校長の報告に基づいて、必要に応じて指導主事等を派遣したり、みずからも状況を把握していることが通常であると考えられます。
いろいろな情報がありましょうけれども、そういった情報を公正に分析した上で、市町村教育委員会の報告に基づいて、任命権者である都道府県教育委員会が、指導が不適切であるとの要件に該当するかの判断を、教育委員会で定めた手続に従って十分に検討した上で判断するということになるわけでございます。
○児玉委員 今のお話の中で、あなたは、教師が切磋琢磨することの重要性、それはお認めになった。ただ、あなたの今の答弁の中で、みずからの指導力を高める努力も必要だと。もし私の聞き間違いでなければ、あなたは、努力も必要だと言われた。私は、それは違うと思う。努力が必要なんですよ。そして、それは個としての努力と集団としての努力ですね。そういう中で、校長も一定の役割を果たさなければならないでしょう。
私が聞いているのは、指導が不適切であるとだれがどのようにして判断できるのか。今のお話では、校長が日々の授業の状況から把握している。そうですか。例えば、都会の、教師が三十人いる学校、僻地の、教師が数人の学校、大きな高校の場合、七十人、八十人教師がいることもある。そういう中で、日常の授業の状況から教師の指導が不適切であると判断できるような校長がいたら、私はお目にかかりたい。そんな人はいません。
問題なのは、今あなたが言ったことの中で、市町村が定める手続、規則に従ってという、結局そこに依拠していくことになる。
私は同僚の議員の皆さんに率直に言いたいんだけれども、誠実で真摯な教師ほど、みずからが教師として持っている力量が現在の子供たちの求めにたえ得るのかどうかということを日々真剣に悩み、不安を感じ、そして、そういう思いの中から、まさに切磋琢磨して教師として成長していくんです。その点、あなたは文部科学大臣としてお認めになるでしょう。いかがですか。
○遠山国務大臣 教員一人一人が切磋琢磨しながらみずから努力することが、これは確かにがでございますね、が大切ということは当然のことであります。そして、大事なことは、教員が子供たちに対して十分な指導力を発揮できるか、それが今望まれている教育の実態、ねらいと合致しているのかどうか、そういうことを常にみずからに問い直しながら教育をしていただきたいと思っております。
また、教員の皆さんが情熱を持って、子供たちに教えるべきことをきちんと教え、そしてみずからも全人格的な角度からきちんと対応されていれば、ほとんどの方がそうだと思いますが、そのような人が今この法案でねらいとしている不適切な教員に当たるということは考えられないと思います。
既に、どういう場合が不適切であるかということについて、るる何度も何度も御説明いたしておりますけれども、それらを総合的に考えていただければ、私は、教員の努力ないしその意欲、そしてみずから研さんする姿勢、そして、現実に豊かな、あるいはすぐれた教育がなされていれば、今回の不適切な教員というふうなことには当たり得ないと考えております。
○児玉委員 指導が不適切だとあなたは判断できると考えているようですね。しかし、今世界各地の教育事情、そして教育の専門家たちのさまざまな研究の中で、教育という営みを客観的に的確に評価することの難しさがどんなに甚だしいものであるか。もし一歩道を誤れば、その国の教育自身を困難に追い込んでいく。この点については、この後石井議員が皆さんに提起をすることになるけれども、そういう重要な問題ですよ。
私は、この際明確に、あなたに改めて問いたいのだけれども、誠実で真摯な教師ほど、教師としてのみずからの力量に不安を感じ、そして悩みながら、苦しみながら努力をしている。そういう教師には、指導が不適切、そういうレッテルがいつ自分に降りかかってくるかもしれない、あすは我が身というおそれが、今あなたが言った、ほとんどの教師の抱く共通のおそれになる。そして、熱意のある教師を萎縮させ、伸び伸びとした教育力の発揮を阻害させないか。これはそのまま子供の不幸せにつながり、日本の教育の荒廃につながる。
先日、あなたは、こういった危惧が広がっているという私の指摘に対して、教師を「萎縮をさせるようなことにはならないというふうに私は信じております。」と。信じておりますと答弁された、そのように信ずる根拠を具体的に示してください。
○遠山国務大臣 その判定において公正かつ客観的な視点で行われなければならないというのは当然のことであります。
本法律案におきましては、この措置が公正かつ適正に運用されるように、対象となる教員を、児童または生徒に対する指導が不適切であること、そして、研修等の措置が講じられてもなお適切に指導を行うことができないことのいずれの要件にも該当する者に限定する。この限定は内容が深いものでありますが、しかも、その要件に該当するかどうかを判断するための手続については教育委員会規則で定めることとしているわけでございます。その内容についても、判定委員会を設けることなどのきちんとした内容で今後指導していくということを考えておりまして、この法律案は、このように児童生徒に対する適切な教育を確保することをねらいとするものでありまして、教員を萎縮させるものではないと考えております。
○児玉委員 あなたがそのように信ずる根拠は、今は一つも具体的には示されていませんね。そして、あなたがおっしゃるその法律案がどんな過程で準備されたのかということも、出自の経過はその法案の中身を示しますから、その点をちょっと私は吟味してみたい。
大臣、ぜひ、文部科学省がことしの一月二十五日に出された二十一世紀教育新生プラン、私の部屋まで持ってきてくださった、それを手にとってください。八ページを開いてください。「主要施策及びタイムスケジュール」という欄があって、そこに地教行法の改正「通常国会に法案提出」と太い矢印がある、説明に何と書いてあるか。「指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員を教員以外の職員へ円滑に異動させるための方途の創設等」こう書いてありますね。そのとおりですね、大臣。では、そのことを確認しましょう。
そこで、先日のあなたと私との議論、地教行法四十七条の二、あなたは私に対してこう答弁された。「この法律案」すなわち地教行法四十七条の二です、「この法律案におきます転職の措置というのは、児童生徒への指導が不適切な教員のうち、分限免職」これは地公法二十八条における分限免職ですね、「分限免職などまでに至らない者」であると答弁された。そのとおりですね。
○遠山国務大臣 分限免職なり分限休職に至らない者すべてが当たるわけではもちろんございません。要件がつきますけれども、そういう前提であればそういうふうな内容で答弁したのであろうと思います。
○児玉委員 その点は会議録を確かめればはっきりします。会議録ではそのようになっています。
そこで、地公法二十八条の分限免職についても私はお尋ねした。あなたはこう答えた。地公法二十八条、「指導の不適切という範疇ではなくて、既に授業などの指導が放棄されていたり」として、もう一つのケースをお挙げになった。
大臣、もう一遍これを見てください、この新生プラン。あなたの今の二つの答弁に照らしてみて、この文章をどう読めばいいのだろう。ここに書いてある「指導力が不足し」というのは、明らかに地教行法四十七条の二のカテゴリーですね。そして、もう一つここに書いてある言い方「十分な適格性を有しない」というのは、地公法二十八条のカテゴリーではありませんか。あなたの答弁でも、今の二つは範疇を異にするということを明らかにされている。それをこの新生プランでは一体にし、ごちゃまぜにして、「指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員」。最も肝心なところでごちゃまぜになっているではありませんか。どうですか。
○遠山国務大臣 御指摘ではございますけれども、この項目は、左の「主な政策課題」に対応したタイムスケジュール及び主要施策になっております。左側の「主な政策課題」の方をごらんいただきますと、十一の「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる」の中の二つ目として「効果的な授業等ができない教師を他職種へ配置換えできる途の拡大や免職などの措置」ということでございまして、その内容が、今お読みになったことも含む二つの事柄に該当しているわけでございます。
それで、今の「指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員を」云々ということでございますけれども、このことをねらいとしながら、左の目的の主要な政策課題を達成するために今法案を提出しているわけでございまして、その法案自体、お読みいただけば、不適切な場合ということに限定されていることはおわかりいただけると思います。
○児玉委員 答弁はぜひすりかえないでいただきたいのです。私が言っているのは、指導の不適切というのは地教行法の世界である、そして、十分な適格性を有しないというのは地公法二十八条だ。わきのことをいろいろ言っているけれども、それを最も見事に示しているのがこの文章ですよ。色刷りのものが大量に学校に配られている。「教える「プロ」としての教師を育成します」。三行目に何と書いているか。「不適格教員への厳格な対応(教壇に立たせない)」このカテゴリーから地教行法が出てきますか。答えなさい。
○遠山国務大臣 これは、内容を短く表現した場合の表現であって、「教える「プロ」としての教師を育成します」という中の三つの柱の一つとして述べたものだと思います。
○児玉委員 短くするときには正確に短くしますよ。これは全くばらばらに、あなたたちの混乱とごちゃまぜを、ある意味では非常に的確に表現していますね。私が聞いているのは、「不適格教員への厳格な対応」というのは、これは地公法からしか出てこない概念、地教行法からは出てこない。
そこで、私はあなたに聞きたい。あなたは、法案について言えば一定の整理がされているというふうに今述べたけれども、それはそれで私は議論するけれども、今問題にしているのは、法案準備の過程です。準備の過程で明らかに、この「指導力が不足し」という概念と、「十分な適格性を有しない」、この「十分な適格性を有しない」という点でいえば、地公法の世界でもないんです。地公法が問題にしているのは、十分な適格性があるかどうかの問題じゃない。適格性に欠けるかどうかが問題なんですよ。そういう勝手放題な言い方でもってこういうものを出す。この部分は明らかに混乱し、誤っています。削除してはどうですか。
○遠山国務大臣 この文章もよくお読みいただいたらわかりますように、通常の日本語の解釈としては、「指導力が不足し十分な適格性を有しない」ということは、指導力について十分でないという意味と解するのが普通ではないでしょうか。私はそのように解しまして、これを削除するとかなんとかということに当たらないと思いますし、今大事なのは、法律案でどのようなことが提起されているかということではないかと考えます。
○児玉委員 委員長に求めますけれども、この文章というのは、今大臣が言った、短くしたらこうなるという性質のものじゃないですよ。「不適格教員への厳格な対応(教壇に立たせない)」、これは明らかに地公法二十八条の世界であって、その法律は出されていないし、私たちは今それを審議しているわけではない。準備の過程でこんなでたらめな、ごちゃまぜの、混乱した中身で皆さんがこの法案を準備して、しかも、これは全国の学校や関係者に配られているじゃありませんか。
こういうミスは改めるべきですよ。そして、この部分は削除すべきだ。その点について、私は速やかにこの文部科学委員会の理事会で協議をしていただきたい。どうですか。
○高市委員長 当委員会で現在審議しておりますのは、でき上がってきた三本の法律案についてでございます。その前に使いました資料につきまして、これをまた理事会で取り上げて、その文言についての扱いを決定するということに関しては、私はお受けできません。
○児玉委員 常任委員長の職責というのは、公正に審議を進めることですよ。理事会でどういう議論になるかというのは、私は理事の皆さんの良識にゆだねたい。問題は、法案が出される準備で、こういう混乱した、ごちゃごちゃのことがあっていいのか。さっき言いましたように、出自の誤りはできた法案に大きく影響するんですから。ですから、私は、理事会で検討していただきたい。重ねて言います。
そこで、続けて、このようなずさんさ、法案としての重大な欠陥はなぜか。前首相の私的諮問機関でしかない教育改革国民会議の報告を受けて、性急、拙速なやり方で事を進めたからです。
この五日の委員会で石井郁子議員は、一九六三年の行政管理庁の「審議会と懇談会の差異について」、これを具体的に皆さんに論議の中でお示しして、審議会とはその意思が公の権威をもって表示されるものだ、懇談会は出席者の意見が表明されるにとどまるものだ、こういうことも紹介をした。
遠山さんは何と答えたか。総理のもとで持たれた懇談会は省庁の懇談会とは違う、こういう趣旨の答弁をされた。
それならあなたに聞きますが、一九八三年、中曽根元首相のもとで、文化と教育に関する懇談会、座長は井深大ソニー会長です、これが発足した。あなたも御存じだろう。この懇談会は、翌年三月二十二日に教育改革の方向と課題に関する報告を中曽根首相に提出した。まさに総理大臣のもとでの懇談会が報告を首相に提出した。
その翌日三月二十三日に開かれた衆議院の文教委員会、私たちのこの委員会の前身ですね、そこで森喜朗元文部大臣は何と述べたか。昨日総理の私的諮問機関から出ております文化懇の問題を、その意見に耳を傾けようと傾けまいと、これは臨教審の委員の皆さんのお考えになることでございます、全く拘束されるものではありません。これが最低の良識じゃありませんか。当時の森文部大臣は、私的機関である文化と教育に関する懇談会の報告は審議会を全く拘束しない、まして審議会の審議を行わずに拙速に法案化するなどということは、ここからは到底出てこないですよ。
その八三年に文部省がやった最低の進め方が、なぜ今できないのか。大臣、答えてください。
○遠山国務大臣 これにつきましては、これまでも御説明しておりますように、総理のもとに日本の英知を集めた教育改革国民会議が開かれて、そしてその結果を、最終報告を昨年の暮れに受けて、その後に、ことしの一月に二十一世紀教育新生プランということで、これは行政府としてそれを実現化するためのプランをつくり、そして今日の法案になったわけでございます。
それは突然出てきたわけでございませんで、これまでも、何度も申し上げておりますように、不適切な指導の教員について十分に対応するようにというような御指摘が、中央教育審議会等の審議会でなされてまいってきているわけでございます。したがって、突然浮上してといいますよりは、私は、これまで審議会が重ねてきた論議もベースとしながら、今臨まれる問題に新たに取り組んで、そして今日の法案という形で御議論に供しているというものであると考えております。
○児玉委員 時間が来たから最後に言いますけれども、今の答弁も先ほどと同じように全く答えになっていないですね。あなたはこの前、首相の私的な懇談会が一般省庁のものとは違うと答えた、それで私が述べたのに対して、今度は経過を持ってくる、こういうやり方にこの法案の本性がよく示されていますね。この法案は撤回される以外にない、そのことを厳しく言って、私のきょうの質問を終わります。


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